六
ホームルームが終わると、たちまち教室はにぎわい出した。
初対面の挨拶がすみ、目に見えない重圧から解放されたせいだろう。多くの生徒たちが臆するところなく、友達の輪作りに励んでいる。
いまのところ、俺に話しかけてくる者はひとりもいなかった。
あれ、おかしいな?
自己紹介のとき、不慮の事故じみていたとはいえ、笑いを取ることができたのに。それとも、自虐ネタはカウントされないのか?
いやそうではなく、単純にさけられているとか。自分としては、一世一代のイメチェンを敢行したつもりだが、これはもしや、中学時代の二の舞になりつつある……?
「あの……」
「はっ!?」
教室の後方、ロッカーの前でぽかんと立ちつくしていると、横合いから声をかけられた。
「あえっ?」
眼球を横に動かした瞬間、思わずへんちくりんな声が出た。
「ああ、やはりそうですわ。あの……いつかの定員さんですわね?」
出来の悪い茶運人形のように、ぎこちなく声の主に身体を向ける。
「ぐ、偶然ですね。まさかこのような場で、再会するとは……」
驚きと緊張のあまり、ろれつがあやしくなっている。正対しても、どうしても俺は南風さんと目を合わすことができなかった。
「驚きましたわ。本当に。よもや、同じ高校におられるなんて。てっきり、年上のお方だとばかり……はああ。まだ、心臓がドキドキ鳴ってますわ」
「いやはは。『袖振り合うも多生の縁』じゃないですけど、なにかこう、運命じみたものを感じますね。神様だか仏様だかは、よほどいたずらを好まれるようで」
棒読み口調なのに加えて、自分らしくないキザな言いまわし。人は極限まで追いつめられると、キャラが変化してしまうものらしい。
「まことにおっしゃるとおりでございます。ですが、ここで知り合えたのもなにかの御縁。あらためまして、よろしくお願い申し上げます」
「あっ……いや、こちらこそ、よろしくお願いします」
ふたりして、慇懃に頭を下げる。
もとの体勢に戻るやいなや、俺は片手を前方に突き出す。
「ちょっと待っててください!」
そして大あわてで、自分の席へ駆け戻る。
南風さんとお辞儀し合った瞬間、脳内で往年のトレンディドラマの主題歌のイントロが鳴り出した。もし今日、このとき、この場で君に出会えなかったら。おそらく、俺たちは永遠に再会を果たすことができなかっただろう。
もはや、自分を止められない!
こんな『棚から牡丹餅』はもう二度とやってこない。
なんとしてでも、お近づきにならなくては。
机の上に置いてあったかばんをつかむと、俺は急いで南風さんのもとへ戻ろうとする。
まずはステップその一、『一緒に下校する』を実現するのだ!
「うおっ!?」
だが、そのときの俺はすこぶる浮き足立っていた。足元不注意で、思いっきり足首を机の脚に引っかけると、これ以上ないほど無様にすっ転んでしまう。
――ガシャン!
「あいつつつ……」
まだ、教室にはほとんどの生徒が居残っていた。
そのせいで、たくまずして注目を一身に集めてしまう。腰をさすりながら立ち上がると、死にそうなほど羞恥心を覚えた。どうしてこう、こんなときに限ってドジを踏んでしまうのか。
床に落ちたスクールバッグを拾い上げると、俺は頬の火照りを感じながら、すごすごとロッカー前へ移動していく。
「あのこれ、落ちたみたいだけど……ん? なんだこりゃ?」
背後を振り向くと、俺は地響きを立てて足元が崩れ落ちていく感覚に陥った。
「これ……ブロマイド? しかもめっちゃ古そうなんだけど」
俺の定期入れを手にしていたのは、隣の席の美樹原だった。
「なんか、どっかで見たことのある顔のような……にしても、たいした趣味ね。こんな写真、定期入れに入れておくなんてさあ」
ブロマイド入りの定期入れを右手でひらひらさせながら、美樹原は苦笑している。言わずもがなのことだと思うが、その写真に写っていたのは星宮純だった。
デビュー時の衣装を着ているから、いまからちょうど三〇年前に撮られたのだろう。まだ場慣れしていなかったのか、笑顔がぎこちなく、全盛期のオーラは感じられないが、俺のお気に入りの一枚だった。
「あんたって、こういうのが好きなわけ?」
差し出された定期入れを、俺は無言で受け取った。
「……わ、悪いか?」
過去は振り返らないと決心したはずなのに、どうしても捨てられなかった。それどころか、肌身離さず持っているあたりに未練がましさが透けて見える。
「別に悪くないけどさ。趣味なんて、人それぞれだし。それにいまは、女の子でもドルオタやってる子が多いしね。アタシの中学でも、クラスで五、六人いたなあ。放送委員やってる子なんて、昼休みにガンガン推してるアイドルの曲流してさ。ああいうのは、ちょっとやめてほしいけど」
趣味は人それぞれと言いながら、美樹原の言い様にはあきらかに嘲弄が含まれていた。
茶髪にショートカット、それに薄化粧をしているせいか、同年代のなかでは大人びて見える。もっと早く生まれていたら、いつか妹に説明を受けた『コギャル』になっていたであろう。そんなタイプに見えた。
顔立ちは悪くないが、個人的にこの手の女は苦手だ。というか、俺は女全般に苦手意識があるのだが……。
「ねえねえ。その写真の子って、あのお嬢様に似てない? ていうか、そっくりだよね?」
そこでようやく、南風さんを待たせていることを思い出した。
「あ、あれっ!?」
ところが、ロッカーの前に彼女の姿は見当たらなかった。
「ん? あの子なら、もう帰ったみたいよ。ほらあの、ちょっとイッちゃってそうなやつ。姉小路だっけ? あんたが醜態をさらしたあと、横からあいつが話しかけてさ。あっというまに連れ去っちゃった。ったく、ああいうのに限って尻軽っていうかさ。あの男も男で、顔じゃなくて心だとかほざきながら……って、いつのまに!?」
台詞を終わりまで聞くことなく、俺は教室から飛び出していた。




