↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/19

五

 四月八日。

 めでたく第一志望の高校に合格した俺は、晴れて入学式を迎えることになった。


 生真面目な性格が幸いしたのか、俺の学業成績はそれほど悪くなかった。国語だけはずっと苦手だが、そのマイナス分はほかの科目で補った。その結果、学力的には上の下、都内でもそこそこの高校に進学できた。


 入学式はついさっき終わり、これから教室でホームルームが行われる。


 ちなみにいま、俺は男子トイレの鏡とにらめっこ中である。


「よしっ……自己採点で六三点はつけられるな。飛びぬけてよくもないが、眉をひそめるほど悪くもない。偏差値なら五二、三……ま、まあ、五〇以上はつけられるレベル……だよな?」


初日からなにをやっているのかと非難されそうだが、俺にとってはキリスト教徒にとっての聖餐(せいさん)式くらい大切な儀式なのである。


 彼らはパンとワインをキリストの肉体、血液に見立てて飲み食い、信徒の一員であることを確認し合う。他方、俺は髪型をチェックすることで小市民の一員であることをたしかめる。


 不謹慎な比較かもしれないが、ずっと陽のあたらない人生を送ってきた身からすると、美容に関しては命がけにならざるをえない。


 二日前、生まれて初めて美容院で髪をカットしてもらったが、鏡を見るたびに照れくさくなる。美容師によると、『毛束をハネ気味にしたショートウルフヘア』だそうだ。


 前髪とサイドの髪の毛はそれぞれ眉と耳にかかるくらいの長さで、襟足は外側にハネさせている。なにしろ手先が不器用なので、何回も何回もセットの練習をした。


 洗髪後、ドライヤーで乾かしたあとにハードワックスを擦り込み、指先で細かく毛の束を作っていくのだが、とにかく最初の頃は失敗の連続だった。ワックスの量が多すぎたり、束の大きさが不揃いだったり……。


 だが、猛特訓を重ねたことにより、ようやく見られる髪形を作れるようになった。


「顔つきも引き締まってきたし……いけるっ。これならいけるはず!」


 今朝、体重計で測定したところ、現在の体重は七二キロ。半年ちょっとで九キロの減量に成功した。身長は一八〇ちょっとのはずだから、そこそこ細身になってきたと言える。


 悔しいが、効率よくダイエットできたのは親父のおかげだった。一流の格闘家がそうであるように、一流の軍人だった親父は体作りのエキスパートなのだ。


 その愛弟子である俺は、自然と肉体改造の方法論をマスターしていった。減量を始めるにあたってこれまでの食生活、トレーニングメニューをすべて見直し、なるべく筋力を落とさず、体脂肪だけ減らすように努めてきた。


 その甲斐あって、理想的な細マッチョボディを手に入れることができた。


「さてと……そろそろ行かなくちゃな。戦場という名の教室に」


 ホームルームでは、当然のことながら自己紹介が行われる。もしそこでしくじったりすれば、ふたたび暗黒の学園生活に陥りかねない。


 用のあるときしか認識されず、通常時は暗黒物質(ダークマター)そのものの存在と化してしまうのだ。


 そつなく、できるだけ堅苦しくならずに生まれ変わった自分をアピールしなくては!


俺が振り分けられたクラスは、『1ーC』だった。


 まだ担任がやってこないので、教室内はざわついている。同じ中学出身の者同士もいるらしく、グループで固まりながら談笑している。対人スキルが高い連中は、堂々と初対面の生徒に話しかけていた。


 クラスの総人数は三七名で、その内訳は男子が一九、女子が一八、とほぼ均等である。俺の中学は詰襟にセーラー服が指定制服だったが、ここでは男女ともにブレザーを着用する。


 特に女子の制服はかわいいことで有名で、とある有名デザイナーが手がけたとのこと。


 女子の上着は濃紺色で、ダブルの四つボタン、二つ掛け。ネクタイではなくドット柄をあしらった赤いリボンを締める。下のプリーツスカートは、紺と緑のタータンチェック柄である。


 ちなみに男子の制服は上下とも女子と同色で、上着はダブルではなくシングルの三つボタンだった。むろん、胸元はリボンではなく、ネクタイを締める。


 ――ガラガラガラガラガラ。


「ハイハイ。みんな、着席! 静粛にね」


 パンプスのかかとをカツカツ鳴らしながら、ダークグレーのスーツを着た女性が教室に入ってくる。彼女の名前は綾垣(あやがき)ありさ。我がクラスの担任である。入学式の開始前、引率の際に軽く自己紹介された。


 見た目の印象は、青少年の教育上、よろしくない映像作品に出てきそうな女教師像そのものだ。


 分け目をきっちり作ったショートヘア、吊り目がちで蠱惑(こわく)的な目元、高い鼻梁にぷるんと突き出た深紅色の唇。


 ほっそりと長い首の下は、出ているところと引っ込んでいるところの差が激しく、特に胸元から突き出た物体は犯罪級に実り豊かだった。


「あらためて、初めまして。わたしがこの1ーCの担任を務める綾垣ありさです」


教卓に立つと、綾垣担任は大人の色香を感じさせるハスキーボイスで名を名乗り、くるりとまわれ右した。


 そしてチョークを手にすると、カッ、カッ、カッ、と力強い音を響かせながら、黒板の面積いっぱいにみずからの姓名を大書(たいしょ)していった。あまりに豪快な書きっぷりに、幾人かの生徒がおおっと感嘆の声を漏らす。


「さてと。まずはわたしのクラスに所属する上で、遵守すべき事項を伝えていきます。もし万が一、禁を犯すようなことがあったら……わかるわよね? フフフ」


 新垣担任は片側の口角を吊り上げ、教卓の引き出しから細長い棒を取り出す。


「それじゃ、耳の穴をかっぽじってよくお聞きなさい」


 ピシッ、と指し棒が教卓を叩く。


「ひとつ! タイガースが負けた日の翌日は、野球の話題は厳禁。デトロイトのほうじゃありませんでしたっけ、みたいな寒いボケは禁止だからね?」


――ピシッ!


「ふたつ! クラス内恋愛は禁止とします! あたり前のことだけど、学生の本分は学業にあります。色恋に夢中になるのは一〇〇〇年早い!」


 ピシリッ、と教室中の空気が凍結した……ような気がした。


「……なんてのは、さすがに厳しすぎるので、まあそうねえ、もしやるなら節度をもったおつきあいをしなさいね。あ、それと、わたしが二日酔い気味のとき、コイバナやらなんやらはくれぐれも慎むように。場合によっては、内申に響くことになるから」


 ――ピシッ!


「みっつ! これは別に禁止事項というわけじゃなくて、ひとつのアドバイス。いい? 若いうちはなるべく負けなさい。恋でも勉強でも、スポーツでも賭けマージャンでもなんでもいいけど、心行くまで挫折を味わいなさい。いまは勝ち組礼賛、勝利至上主義が好まれる風潮だけど、負けを知らない人間は決して人生を楽しめないし、かっこいい大人になれません。あまり関係ないけど、わたしの愛するほうのタイガースだって、九〇年代の暗黒期には負けて、負けて、負けまくったんだから。あ、でも、勝たなくてもいいってことじゃないのよ? どこかで勝とうとしなければ、負けは成立しないわけだし。ただね、それだけが人生じゃないし、勝ちにこだわるばかりでは見えないものがあるってこと」


 ――パチパチパチパチ!


 長広舌が終わると、椅子を引く音とともに、拍手の音が教室の一隅から響き渡った。


「すばらしい! いやあ、胸が熱くなるお話でした」


 廊下側、最後列の席にいた生徒が立ち上がって、両手を打ち鳴らしていた。

「あら? 君、なかなかのイケメンねえ」


 新垣担任が指摘したとおり、その生徒は白皙(はくせき)の美男子で、制服を着ていなければ歌舞伎町のホストと見紛うような風体をした男だった。


 長めの髪の毛は重力に逆らうように盛られ、いやらしく目の高さまで垂らされている。シャープな裏二重、すっと通った鼻筋に引き締まった口元。長身痩躯の体型で、すらりと伸びた手足はモデルのようだった。


「ハハハッ。しょせん、顔なんて骨と皮でできた物体にすぎません。大事なのは心、熱き青春の血潮をたぎらせるハート! 何百敗、何千敗、いや、何万敗しようとも向こう見ずに、あきらめ悪くトライを決めようとする態度(アチチュード)こそが肝要である。先生のみっつ目のアドバイスは、そういうことがおっしゃりたかったのではないですか?」


 この赤道直下のニューギニア並みに暑苦しい男は、何者なんだ?


「ほほお。君、なかなか見どころがありそうね? 見かけはクールそうなのに、中身は灼熱系男子なのかな? ちなみに名前は……えーっと……」


 乙に澄ましたキザ男もそうだが、この先生もなんなのか?


 熱烈な虎党で、見た目に反して恋愛にコンプレックスを抱いてそうなことは理解できたが。勝ち負けうんぬんの話はそれなりに感銘を受けたけど。それと灼熱系男子って初めて聞いた気がするんだが……。


 綾垣担任が生徒名簿に目を落としたところで、キザ男は胸に片手をあてながら、クラスメイトの顔に視線をめぐらしていく。


「本来は出席番号順なのでしょうが、せっかくですし、ここは無礼を承知で名乗らせていただきます。僕は姉小路司(あねこうじつかさ)と申します。この世に生を受けてから、アダムとイブが禁断の果実を食して以来の人類の難題、永遠の謎である『恋』に思いを馳せてきました。姉小路司と書いて恋物語(ラブロマンス)と読む、とは長年の知己の名言であります。もし無人島に一冊本を持っていくとしたら、躊躇なくスタンダールの『恋愛論』を選ぶことでしょう。かの大作家は恋愛を情熱恋愛、趣味恋愛、肉体的恋愛、虚栄恋愛と四つのカテゴリーに区別し……」


 長談義モードに入りかけたところで、綾垣担任が合いの手を入れる。


「あー、ちょっと待って。悪いけど、このままじゃほかの子たちの自己紹介が三〇秒制限になっちゃいそうだから。言い残した分はプライベートでやってちょうだい」


「了解しました。マイティーチャー」


 姉小路司と書いて恋物語(ラブロマンス)と読む男は、不平不満を漏らすこともなく、おとなしく席についた。


「それじゃ、出席番号いちばん、相川千尋(あいかわちひろ)さんからよろしくね?」


 それからしばらく、無難な自己紹介が続いた。


 ひとり目が並外れて強烈だったせいか、受けを取ろうとする雰囲気にもならず、淡々と氏名と出身校、おおまかな性格(キャラ)を説明するだけの内容に終始した。


 やがて『か行』が終わり、いよいよ俺の番がせまってくる。


 実は昨晩、夜を徹して何パターンもの自己紹介文を作成したのだが、『姉小路ショック』の影響なのか、それらのデータはきれいさっぱりと脳味噌から消し飛んでいた。


 マズイ。いくらなんでもマズすぎる。

 名前と出身校以外、言うべきことがなにも思いつかない!


「はい、次。えーっ、鬼堂勝利君。鬼とか勝利(しょうり)とか、見るからにごっつい名前ね。字面だけ見ると、角刈りでボクシングとかやってそうな感じ」


 心の準備が整わないまま、ついに自分の番がやってくる。俺は椅子を引くと、おどおどしながら腰を上げる。


 何対もの目、目、目。

 クラスメイトの視線にさらされた瞬間、すーっと血の気が引く音が聞こえたような気がした。


「き、鬼堂勝利です。区立南の森中学出身で……ええと……性格は真面目なほうだと思います。あと、趣味は……うーんと……」


 歯切れが悪く、内容も無味乾燥そのもの。しかも途中でつっかえてしまうとは。


 失敗だ! もう、仕切り直しは不可能だ!


「くっ……趣味は……だ、ダイエットです」


なにも思いつかなければ、『音楽鑑賞』やら『映画鑑賞』やら、嘘でもなにか適当に挙げておけばいいのに、完全にパニくっていたせいか、あらぬことを口走ってしまった。


 しかし意外性があったらしく、どよめきのあと、おもに女子の口からクスクスと失笑が漏れる。


「あらあら。女の子じゃあるまいし、そんなに人目が気になるわけ?」


 綾垣担任は意味ありげに含み笑いしている。


「いえまあ……中学時代は体格がよかったので。心機一転と言いますか……」


「太ってたってこと?」


「そういうわけじゃないんですが……ええと、体型でお悩みの方はお気軽に御相談を。いろいろノウハウ持ってますんで」


 俺は照れ隠しにポリポリ頭をかきながら、着席する。


 そこでどっと笑いが起きる。場があたたまったのは幸いだったが、理想にはほど遠い自己アピールとなってしまった。


 だが、これはこれでよしとしなければ。はからずも笑いを誘えたことにより、とっつきにくい印象は持たれなかっただろうし。


 その後は滞りなく進行していき、残すは数人のみとなった。


「残り五人か。なんかサクサク進んじゃったわね。はい次、南風姫香(みなみかぜひめか)さん。なんか芸名みたいな名前ねえ」


 窓際、最前列の席にいた女子生徒が立ち上がり、担任に向かって一礼してから、ゆるりと身をひるがえす。


「初めてお目にかかります。わたくし、南風姫香と申します」


 あまりの衝撃に胸がつぶれるかと思った。

 馬鹿な。ありえない。


 俺の視力は両目とも一・五で、検査の際にはいちばん小さな『C』の文字まで見分けられる。だから見間違いようがない。


 それでも、我が目を疑わずにはいられなかった。

なぜ、『ホッシー』に生き写しの女の子がこの教室にいるのか!


「八王子市、東が丘中学から参りました。皆様とお知り合いになれたこと、まことにうれしゅう存じます。見てのとおり、おっとりとした性格ですが、どうぞよろしくお願いいたします。趣味は刺繍に裁縫、それにお菓子作りで、いずれもたしなむ程度です。気さくにお声をおかけくださいませ」


 締めの言葉を述べると、お嬢様こと南風姫香は、いつか見たようなお辞儀をした。腰を六〇度折り曲げ、数秒してからやおら上半身を起こしていく。


 その優々たる身ぶりにほかのクラスメイトたちは目を見張っている。匂い立つような美貌に鈴を転がすような声、そして間然(かんぜん)するところがない楚々(そそ)とした立ち居振る舞い。


 肝が太そうな綾垣担任も、絵に描いて額縁に入れたようなお嬢様っぷりに目を丸くしている。


「ねえ。あなた、もしかしてやんごとなき方の子女……とかなわけ? うちは名門私立のお嬢様学園じゃないはずなんだけど……」


「いいえ。由緒もなにもない、庶民の出でございます」


「マジで? じゃあ、実家が目の玉が飛び出るほどの大金持ちとか?」


「先生はたいそう、はっきりしてらしてますのね。なにゆえ、そのようなことをお聞きになりますの?」


コンマ数秒、南風さんの口元がヒクついたように見えた。たぶん、目の錯覚だろう。あの子がそんな、いやしからぬ顔つきをするはずがない。


「ああ、メンゴメンゴ。ご無礼の段、どうかお許しくださいませ。いやね、プライベートをつつくつもりはなかったのよ。異様に浮世離れしていたから、ついつい、ね……」


「さようでございますか。先生に悪意がおありにならないことは、承知いたしております。ですからどうか、お気になさらないで」


 さりげなく担任をフォローしたあと、南風さんはもう一度クラスメイトたちのほうを振り向き、丁重に会釈する。それから一切音を立てずに着席した。


 ――ん?


 なんの気なしに横を向くと、隣の席の女子生徒――たしか美樹原(みきはら)ちえみと名乗っていた――が、不審そうに南風さんをにらみつけている。


「あ……」


 俺の視線に気づくと、美樹原はばつが悪そうに顔を伏せた。彼女の南風さんを見つめる表情は、どう見ても好意的とは言いがたかった。もっとはっきり言えば、あきらかにガンを飛ばしていた。


 キザ男、姉小路と同じく、いい意味でも悪い意味でも目立ってしまったからな。世間からズレまくった女の子だから、なかには虫が好かないと思った人間もいるだろう。


 美樹原の反応からもわかるとおり、特に同性はあの手のキャラをきらう傾向にある気がする。


 それにしても、一生の不覚とはまさにこのことだ。同じクラスに在籍しながら、彼女の存在に気づかないなんて。お前の目は節穴どころか、超巨大ブラックホール級だと自分を罵ってやりたい。


 ただし、唯一かばう点があるとすれば、俺は起床したときから目がまわるほど緊張していた。とてもとても、クラスメイトの顔を確認する余裕はなかった。


 なにせ今日は、これからの三年間を占う上で最重要に位置づけられる日。現代は速度重視、第一印象が命の時代だから、初動で失敗すると取り返しがつかなくなる。


 それはさておき、これから俺はどうすればいいのか?

 俺にとって、南風さんは生きた過去の亡霊も同然なのだ。むろん、彼女のほうはそんな事情など、知ったこっちゃないだろうが。


 でも、たしかに俺は愛していたのだ。

 星宮純のことを……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。