三
花口氏のバイクで自宅の最寄り駅まで送ってもらうと、近くのコンビニのトイレへ駆け込み、てばやく着替えをすませた。
あんなコスプレめいた格好で帰宅できるわけがない。ジャージ姿になると、徒歩で自宅へ向かった。
駅舎の周辺には、昔ながらのひなびた商店街が広がっている。いっときは巨大ショッピングモールの進出がささやかれ、すわ一大事、いよいよこのあたりもファスト風土化していくのか、と危惧の声が絶えなかった。
だが、土地取得に関するごたごたが長引いた末、いつのまにかその計画は立ち消えとなった。
聞いた話では、一部の住民が猛烈に反対運動を繰り広げたとか。都内の、比較的裕福な層が多い土地柄であることが幸いしたのかもしれない。
商店街を抜けると、閑静な住宅街に差しかかる。迷路のように複雑な区画のため、初めて訪れる人は迷子になりやすい。
ちなみに我が家は細路地の奥まった場所にある。駅から徒歩一五分の立地だが、道順がややこしいのが難点だった。
路地の行き止まり、その左右に築七〇年を超える古民家が建っている。左側は喫茶『緑雨』の店舗で、右側が自宅だった。
いまから一三年前、俺の親父は道路をはさんで向かい合う家屋を土地ごと買い取り、両者とも内装工事を施した。その後、片方を住居、もう片方を自分が経営する喫茶店にしたのである。
住宅街の、それもこんなへんぴな場所にあるにもかかわらず、そこそこ商売繁盛しているようだ。もっとも、俺の親父は働く必要のない身分で、ほとんど道楽でやっているようだが。
カラカラと磨りガラスの引き戸を引いて、自宅の玄関へ入る。
「ただいまー」
ギシギシと床板がきしむ音が近づいてくる。なにせ築七八年の木造家屋なので、あっちこっちがボロい。定期的に修繕工事を行っているが、こちらを直せばあちらにガタがくるという具合だった。
家主である親父は、『そこに趣きがあるんだろうが』と強弁するが。
「おっかえりー。おにいちゃま!」
パジャマ姿の妹――海晴が飛びつきそうな勢いで俺を出迎える。
現在、一四歳の中学二年生。
身長一五〇センチ足らずで、切り揃えられたおかっぱ頭のため、ぱっと見小学生にしか見えない。目鼻立ちはそう悪くないんだけどな……。
「あのなあ。なんなんだ、そのおにいちゃまってのは」
「いやあ、そろそろお兄ちゃんって呼ぶの、飽きてきてさあ。それに三島由紀夫の小説でも使われてるんだよお? イヒッ」
「頼むからやめてくれ。知り合いにでも聞かれたら、不幸な誤解を生みかねない」
「あらら。お気に召しませんでしたか。残念無念!」
「それとイヒッって笑うのやめろ。なんかはしたない感じがする」
「えーっ! なんでなんでー。気に入ってるんだけどなあ。イヒッ」
「悪いことは言わないから、やめておけ。そんなんじゃ、いつまでたっても嫁のもらい手がないぞ?」
「わたし、まだ一四なんだけど。お兄ちゃんこそ、そんなんじゃナウでトレンディでイマい男の子になれないゾ?」
「イマい?」
ナウでトレンディまではかろうじて理解できたが、イマいとは?
「いま風ってことだよ」
「いつの時代の言葉だよ。前から聞こうと思ってたんだが、どこでそんな知識仕入れてんだ?」
「それはヒ・ミ・ツ。ムフ」
「はあ、そうですか……」
上述の会話からわかるとおり、海晴はかなり世の中からズレている女の子だった。
本人いわく『死語マニア』だそうで、日夜、使われなくなった俗語や若者言葉の収集に励んでいるらしい。
こんな暗い趣味の持ち主だから、学校でいじめられてないか心配になるが、どうやら良好な友人関係を築けているようだ。まあ、根は悪いやつじゃないし、ひいき目に見れば天真爛漫な妹と評せよう。
「けどさあ、また朝帰りじゃない。悪いお兄ちゃんだねえ。お友達となにしてたの?」
「特になにも……マン喫でだらだらしてただけだし」
ここは『嘘も方便』ということわざを信じるしかない。よもや、この純真な妹に『関東一強い不良娘と一騎打ちしてきた』などと打ち明けるわけにもいかない。
「親父は台所?」
「うん! もうとっくに仕込み始めてるよ?」
喫茶店のランチメニューの仕込みがあるため、親父の朝は早い。午前五時に目を覚まし、定番メニューであるボルシチ、焼きチーズカレーの調理を開始する。
身内が言うのもなんだが、その味は絶品である。近隣の住民はもちろんのこと、土日などには遠方からランチ目当てに訪れる客がいるほどだ。
黒光りする床板を踏み鳴らしながら、俺は海晴と一緒に台所へ向かう。
「おはよう」
声をかけると、調理台に向かっていた親父はくるりと身をひるがえした。ムキムキに鍛えられた巨体の上に、五分刈りに髭をたくわえたいかつい顔面が乗っかっている。
ぶっちゃけた話、茶店のマスター向きの容姿ではない。
「おお。女遊びはほどほどにしとけよ? ったく、許可したとたんに調子こきやがって」
朗々と響き渡るバリトンボイスは渋味にあふれ、迫力満点だった。
「朝から下品なこと言うなって! 海晴もいるんだぞ? ただ、友達と遊んできただけだから」
「へっ。もしそれが本当なら、がっかりだぜ。俺がお前くらいの年の頃は、魂をかけて女にうつつをぬかしたもんだ。てめえ、ちゃんとタマ○ンついてんのか?」
「だからやめろって! 実の娘の前で、お下劣すぎるだろ!」
「アハハ。わたしはぜんぜん構わないんだけどなあ」
「そうだそうだ。海晴ももう、一四だからな。おぼこ娘じゃあるまいし。タ○キンくらいでひるんでちゃ、人生やっていけねえぜ」
「あのなあ……」
この親父こそが、俺の人生を根本的に狂わせた張本人だった。名は鬼堂龍平という。
身長一九一センチの大巨漢で、齢五〇を数えながら筋骨隆々の肉体はすこしも衰えてない。
日本人離れした彫りの深い容貌の持ち主で、そのたくましい身体つきとあいまって、ハリウッドのアクション俳優と紹介されても腑に落ちそうな風采だった。
俺と正式に養子縁組しているが、血縁上は叔父にあたる。海晴は親父の実子なので、こちらも本来は従妹なのだった。
どうしてそんな間柄になったのかと言えば、幼少の頃に俺の両親が亡くなったからである。
俺の実の父母は、一二年前に交通事故で死亡した。年末の帰省の時期。故郷の札幌に里帰りしたときのことだった。
車が雪道でスリップした際、運悪くダンプカーに突っ込まれてしまったのだ。不幸中の幸いで、俺はその車に乗車してなかった。
しめやかに葬儀が執り行われたあと、父親の兄、つまりいまの親父が俺を引き取ると申し出た。
親族会議で了承されると、親父はすぐさま法律上の手続きをすませ、この家に俺を迎えた。遺児を受け入れる態度は立派だし、そのことに関しては感謝の気持ちしかない。
だが、俺の親父は風変わりという表現では生易しいほど、独特の経歴の人物だった。大学卒業後、外資系の商社に勤め、バブル景気の頃に株取引で億単位の財産を築き上げる。
その後、勤め先を退社すると、どんな天啓に導かれたのか、突然、フランス外人部隊の入隊試験を受ける。
大学時代、ラグビー部でフォワードのレギュラーを張っていたこともあり、あっさりと新兵として採用されてしまう。それに加えて、親父は独学でフランス語を習得していた。
語学堪能なうえに人並み外れた体力、精神力を備えていたため、めきめきと頭角を現し、もっとも花形の部隊である第二外人パラシュート部隊に配属される。
以後、ルワンダや旧ユーゴスラヴィアなどの内戦地に派兵され、平和維持活動に従事していたとのこと。一〇年に渡る兵員生活を送ったのち、旅先で知り合った日本人女性と結婚。その一年後に娘である海晴が生まれる。
だが、生活上のすれ違いでその一年後に離婚。それから資産を切り崩して前述の土地家屋を購入し、喫茶『緑雨』をオープンさせるに至るのである。
変人の見本のような親父の教育方針は、その経歴に負けないほど常軌を逸していた。
『お前は俺の子だが、俺の子ではない。だからひとりで生きていけるよう、徹底的に鍛える。泣き言や口答えは許さんからな』
そう宣言したあと、親父は軍隊仕込みのやり方で俺を鍛えまくった。
自分のことを『サー』と呼ばせ、物心つかないうちから柔道やサンボの技を仕込み、あげくの果てには銃剣術や重火器の扱い方まで講義した。
地獄のようなカリキュラムを消化する毎日だったが、不思議とあまりつらさは感じなかった。
公平に言って、親父の指導は巧みだった。強面に似合わず人身掌握術に長けていたので、いたいけな少年の心に謀反気が育つことはなかった。
それどころか、日を追うごとに上達していく自分がうれしくてたまらなかった。
栄養学にも通じていた親父は食育も重視した。おかげで中学入学時点で俺は身長一八〇センチ、体重八一キロの偉丈夫と化していた。
「男ならよお、命がけの恋のひとつでもしてみろってんだ。そんなでかい図体して、まったく情けないぜ」
親父は呵呵と笑いながら、肩をすくめてみせる。
「そんなの無理だよお。お兄ちゃんって野暮ったいし、絵に描いたような朴念仁だもん。昔風に言えば、蛮カラって感じ?」
殺意に似た感情を覚えたのは気のせいだろうか?
「ちょっとひと眠りしてくる」
このままだと怒りの化身となり、家庭崩壊につながる大惨事を引き起こしかねないので、俺は自室へ戻ることにした。
「寝坊して学校サボんなよ? 無断欠席は絶対許さんからな。サボるならサボるで、ちゃんと俺を納得させる理由を作ってこい」
背を向けると、背中に迫力に満ちた声が降りかかる。
「わかってるって……」
六畳一間。ケヤキが香る自室に入ると、俺はドサッと畳に巨漢を投げ出した。
「くそっ。俺がこんな野郎になったのは、一〇〇パーセント、あんたのせいじゃないか」
古めかしい松材の梁を見上げながら、俺はいまいましげに愚痴をこぼした。
腕っぷしだけが取柄の、野暮天男子。こんなガタイのくせに、とことん引っ込み思案。子供の頃から群れるのが苦手で、学校ではしょっちゅう図書室にこもっていた。
人一倍目立つ存在のくせに――いや、まさにそのせいで空気のような存在と化していた。
きっと、刃物のような人間だと見なされていたのだろう。
あいつに触れたらヤバイ、と。
小耳に挟んだ話によると、心ない連中は俺のことを『切れたナイフ』と呼んでいたらしいし。
おかげで女はおろか、男の友達すらいない。それどころか、ここ数年、まともに同世代の人間と会話した記憶がない。『ああ』とか、『わかった』とか、事務的な問いに事務的に答えるだけの毎日だ。
「なんで……グレなかったんだろ?」
『不良狩り』などという野蛮な仕事に従事してきたものの、なぜか性格は荒れなかった。学則に違反したことは一度もないし、それどころか表向きは無遅刻無欠席の優良生徒なのだ。
ただ、見かけが怖いので、あらぬ誤解を受けたことは数知れず。『あいつは裏で女を囲ってる』だの、『駅前のゲーセンでカツアゲしまくってる』だの、その手の悪評には事欠かない。
生まれてから一度も、女の子の手すら握ったことがないのに……。
かてて加えて、一年ほど前に重大な問題が持ち上がった。
ある日の夜、俺は親父の寝室に呼び出された。そして『お前ももうすぐ一四だ。そろそろ女を知らなきゃいかん年頃だな。これからは好きにするといい』などと告げられ、いきなり訓練の終了が宣言された。
厳格に定められていた門限も撤廃され、唐突に俺は自由の身となった。そのときに親父は『女を知るための秘蔵コレクション』と称するビデオテープの山を俺に贈呈した。
思春期まっただなかだった俺は、アダルトな期待に胸をふくらましながら、家族が寝静まった夜半にこっそりとテープを再生させた。
親父は物持ちが異常にいい人間で、我が家の居間のテレビには最新の映像再生機器のほかに、古びたビデオデッキが接続されている。
ところが、である。
俺のいじらしげな期待はものの見事に裏切られた。
モニターにアダルトな映像がでかでかと映し出されるかと思いきや、真っ青なワンピースを身にまとった少女が可憐な歌声を響かせ始めたのだ。
彼女の名前は星宮純。
一九八四年。いまからおよそ三〇年前にデビューしたアイドルである。
『真夏の乙女』、『センチメンタルクロニクル』等々、そのヒット曲は十指にあまる、往年のトップアイドルだ。
結論を先に言おう。俺は彼女に恋してしまったのだ。
黒檀のように艶やかなロングストレートヘア、長いまつ毛が印象的なつぶらな瞳、血管が透きとおりそうなくらい純白の肌膚。
どこを取っても『お嬢様』にふさわしい、完璧なパーツの数々。おちょぼ口から紡ぎ出されるウィスパーボイスは儚げながら、清涼感にあふれ、聴く者の耳を心地よく癒してくれる。
初めてその姿を見たときの感情は、言葉では言い表せない。ただひたすら、見入ってしまっていた。歌い終わった頃には、マジでぞっこん惚れていた。これが恋というものなのか、と得心した。
完全にハマッた俺は、それ以降、あらゆる手段を駆使して彼女にまつわる品々を収集していった。
復刻されたCDやDVDはもちろんのこと、グラビアが掲載された雑誌、コンサート会場で限定発売されたレアグッズの数々に至るまで。
なぜそれほど夢中になったのかと言えば、彼女自身の魅力もさることながら、それまでまったく女性に免疫がなかったことも影響しているだろう。
さらに言うと、孤独をかこつ日々を送っていたせいで、俺は軽い人間不信に陥っていた。不良連中と関わり続けたのは、それが原因だったのかもしれない。
つまるところ、さびしかったのだ。
そんな毎日のなかで、彼女の存在は救いそのものだった。
そのクリスタルな歌声を耳にするだけで、どんよりとした気分が晴れ渡っていき、世の中そう捨てたもんじゃない、という気持ちになった。
もし彼女に出会わなければ、もっと荒んだ人間になっていただろう。
そう。
彼女――星宮純は俺の初恋の人でありながら、救いの女神様でもあったのだ。
「でも、でもだよ……おかしいじゃないか……」
なんで現役の中学生が、三〇年前のアイドルに恋しなくちゃいけないのか!
っていうか、はっきり言ってキモすぎだろ!
それと親父、あんた、アイドルマニアだったのかよ!
このままじゃ一生日陰者になりかねない、と気づいたのが半年前。そのときに俺はバイクチームの活動から身を引くことを取り決め、同時に人生をやり直すことを決意したのである。
多くは望みはしない。人並みの、慎ましやかな小市民生活を満喫したいだけなのだ。荒事はもうたくさんだし、もっと家族以外の他人と触れ合いたい。性別にかかわらず、だ。
そしてできることなら、女の子とつきあってみたい!
彼女でもできれば、大昔のアイドルに夢中な自分を変えられるかもしれない。
しかし残念ながら、中学時代にそれを実現することは不可能だ。教室での俺は、裏社会の住人のように恐れられている。
ならば、まるごと環境を変えるしかない。幸いなことに、あと四ヶ月ちょっとで卒業だ。高校入学を機に、暗黒な青春を送る自分をゴミ箱に叩き込んでやるつもりだ。
そのための準備も抜かりない。五ヶ月前からダイエットに取り組んできたし、ひそかにファッション雑誌を買い集めたりしている。
高校入学までにあと三キロは体重を落としたいし、髪形もリーゼントはやめて、いまどきのヘアスタイルにあらためるつもりだ。
きちんと前髪を作り、衣服をぱつんぱつんに盛り上げる筋肉を減らし、威圧感を取り除くことに努めなくては。仏頂面を矯正し、常に口角を吊り上げる上品なスマイルを心がけよう。
硬派キャラは捨て去り、フェミニンなナンパ野郎に生まれ変わるのだ!
「やる! ……やるしかないんだ!」




