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二

「姉(あね)さん!」


 身を起こすと、俺は舎弟たちに包囲されていた。皆が皆、こめかみに血管を浮き立たせ、どす黒い憎悪が横溢している。


「ちょ、ちょっと待て。俺は別に……」


 不可抗力だったと言おうとしたが、さらに事を荒立てることになると思い、口をつぐんだ。頭を切り替え、包囲網を突破する機略をめぐらす。


「待ちな!」


 一触即発すれすれの時点で、制止の声が発された。


「負けは負けだ。帰るぞ」


 ゆらりと立ち上がると、女番長は舎弟たちに引き上げを命じた。両瞳に涙をにじませ、痛みが残っているのか右手で左肘を押さえていた。


「――ハッ!」


 そこで俺は息を呑んだ。雷ヘアーと服装ばかりに気を取られ、実のところ俺はまともに女番長の相貌を見てなかった。


 マスクで顔の下半分が覆われているため、正当な評価は下せない。だが、涙に濡れた瞳は異様に美しかった。ぴんと逆立つまつ毛、瑕疵(かし)ひとつない黒真珠のような黒目、ほのかにふくらんだ涙袋。


 見つめられるだけで、心が波立ってしまいそうだ。なぜ、いままで気づかなかったのだろう……。


「悪かったな。みっともないことしちまって。押さえ込まれた時点で、勝負はついてたのにさ」


 俺の前に立つと、女番長は目を合わせずに頭を下げた。


「あ、いや……それより肘、だいじょうぶか? 加減はしたつもりなんだが……」


「フッ……しょせん、粋がっても女は女、ってことか」


 自嘲気味な笑い方が、どこか悲しかった。


「おかげさまで、たいしたことはない。ホンモノには勝てないね。これですっぱり、あきらめがついたよ」


「そうか……」


「もう、潮時だったんだ。いつまでも馬鹿やってるわけにもいかないし……あんたには感謝してるよ。ものの見事に引導を渡してくれたからさ」


「あんたは強かったぜ。すさまじくな。お世辞とかじゃないぞ? ほんの一瞬の差だった。どこで鍛えたのか知らないが、たいした腕だと思う」


「くくっ……見かけによらず、あんたはいいやつみたいだな。噂どおりだよ。だからこそ、最後の相手になってもらったんだ。ゴロツキ呼ばわりしてすまなかった。あんときはその、頭に血が上っちまって……」


「俺は……」


 好きでこんな真似を続けてきたわけじゃない、と本音を吐露しそうになったが、なんとか言葉を喉奥に押し込んだ。いま、ここでそれを言うのは失礼にあたるだろう。


「そういえば、あんたも『引退』するとか言ってたね。そんなに強いのに……」


 女番長は手の甲で目尻をぐいっと拭う。いまでこそサバサバした態度を取っているが、敗北の瞬間はこらえきれないものが込み上げてきたのだろう。


 そうなってしまうくらい、この女は本気(マジ)だったのだ。


「えーと、その……俺は……」


 『引退』の理由を述べるべきかどうか、俺は煩悶(はんもん)した。素直にぶちまけることが正しいとは限らない。


 しかしなぜか、真相を語りたくなっている自分がいた。俺は赤の他人も同然の人間にべらべらと私事(わたくしごと)を語るようなタイプじゃない。


 安易に自分語りをするような手合いは、いまいち人として信用できない。本当に大事なことは胸にしまっておくべきだし、それこそが男の生き様ではないのか?


 なのに、女番長の黒目がちな双眸に見据えられると、なにもかもを話してしまいたい誘惑に駆られる。こんな気持ちになったのは初めてのことだった。


「別にいいよ。他人(ひと)には他人(ひと)の事情がある」


 年若いのに、女番長はどこか達観したような台詞を口にした。


「さ、帰るよ。みんな……もう、引退式は終わったんだ」


 女番長はくるりと背を向け、こちらとは反対側のゲートに向かって歩き出す。


「ご苦労様でした」


 揃って頭を下げると、舎弟たちはぞろぞろと女番長につき従っていく。


「チッ!」


 だれひとり、女番長の命令に逆らう者はいなかったが、しんがりの位置にいた金髪坊主は去る間際、首だけこちらに振り向かせ、悔しそうに舌打ちした。


 それからほどなく、深夜の駐車場は静寂に包まれた。


「さてと。お迎えを呼び出すか」


 俺はポケットから借り物の携帯を取り出し、発信履歴のいちばん上の番号にワンコールした。


 ひとりきりになると、俺は星々が散りばめられた夜空を見上げた。


「あれは……オリオン座? ……いや、違うか……」


 あてずっぽうに言った自分が悲しくなってくる。俺はまるで星座に詳しくないし、ついでに言えば、草木や花々の名前もほとんど知らない。


 妹のように、花壇を指差して『きれいなスイートピーだねー』などと何気なく言える知識は持ち合わせてない。


 とはいえ、さらりと花の名前なんかを口にできる男は気持ち悪い。年頃の男子――いや、女子もか――ならば、ほぼそのように思うのではないだろうか。


「かつてはそう思っていたさ……かつてはな」


 だが、わかってしまったのだ。

自分が本来、『そちら側』に行きたがっている人間だということが。


 ――ドドドドドドドドドドド!


 心のうちで葛藤していると、車道の方角から単車のエンジン音が近づいてきた。


 俺はきびすを返すと、元来た道を足早に引き返していく。

 チェーン柵をまたいで歩道におりると、中型バイクはシフトダウンを繰り返していき、ゆっくりと速度を落としていった。


 道ばたに停車すると、ドライバーはギアをニュートラルに入れ、歩道側に片足を下ろした。降車後、サイドスタンドを下ろすと、メットを脱いでこちら側に歩いてくる。


「お疲れ様でした。いつもながら、見事っス」


 襟足を伸ばしたオールバックの青年――花口勲(はなぐちいさお)――は、礼儀正しく労をねぎらった。


 ライダースーツに包まれた痩身は、まるでロックンローラーのようにガリガリだった。


 細長い眉毛は切れ長の瞳と平行線を描いており、涼しげな目元を構成している。鼻梁はやや高く、色素の薄い唇が酷薄な印象を与えていた。


 総合的に見れば整った顔立ちだが、髪型のせいもあり、かなり老け顔の部類に入るだろう。これでまだ、一六歳なんだからな……。


「とうとう最後まで、タメ口きいてくれなかったな。俺のほうが年下なのに……」


 花口氏は俺よりいっこ上の、現役の高校一年生だった。


「いやいや、あなたは俺の命の恩人っス。そんな人にタメ語使うわけにはいかないっスよ」


「そんな大げさな」


「大げさじゃないっス。あのとき助けてくれなかったら、鉄パイプでボコボコにされてたし。下手すりゃ、命(タマ)落としていたかもしんねえ」


 俺は複雑な気分を味わっていた。俺の人生が袋小路に追い込まれるきっかけを作ったのは、花口氏にほかならないからだ。


 もしあのとき、この人を助けなかったら、『不良狩り』などというハイリスクな任務に就くことはなかっただろう。


「いまでも思い出しますよ。ゴリラみたいな連中をあっというまにのしちまってさ。しかも、武器もなにも持たずに。なんつうかその、神様みたいに見えていたっス。後光が差してたっつーか。いやマジで、あなたは俺の命の恩人なんスよ」


「一対一〇の喧嘩なんて、私刑《リンチ》も同然だから。見すごすわけにはいかなかったよ」


 およそ二年前。花口氏はガード下で氏言うところの『ゴリラみたいな連中』に絡まれていた。


 ゴリラみたいな連中のなかには鉄パイプやヌンチャク、電気銃(スタンガン)まで装備しているメンバーがおり、さすがに他人のふりをしてやりすごすわけにはいかなかった。


 そこで俺は助太刀として参戦し、ゴリラもどきどもを制圧したあと、なにも言わずに立ち去ろうとしたが、花口氏が、お願いだから礼をさせてくれ、と必死の形相で拝み倒してきた。


 本音ではハードボイルドに姿を消したかったのだが、俺は昔から無理強いに弱いのである。


 その後、俺は花口氏の所属するバイクチームのメンバーに引き合わされ、助っ人役として参加することになった。


 なぜ、そんな役割を引き受けたのかと言えば、彼らがいまどきめずらしいほど義侠心に富む連中だったからだ。


 無辜(むこ)な市井(しせい)の人々には手を出さず、悪名高い面子だけを選んで喧嘩を吹っかける。


 女性を拉致監禁したり、弱い者だけ狙ってカツアゲしたり、違法薬物を売りさばいたり、と悪行を重ねる人間だけを狙い撃ちにするという方針だった。


 花口氏を助けたこと自体は後悔していない。なにがあろうとも私刑(リンチ)は極悪な行為であり、許されざる私闘方法だから。それに彼らの『悪いヤツだけやっつける』という矜持(ポリシー)に共感したのも事実である。


 しかし、そのせいでかれこれ二年の月日が失われたのだ……。


「この二年間、本当にありがとうございました。あなたのおかげでチーム内で出世できたっス。俺なんか、ただの使い走りだったのに」


「いやまあ、乗りかかった船だったし。でもちょっと、やりすぎたかなって……」


「『第六天魔王』を名乗る男がなにをおっしゃるっスか」


「いやそれ、自称じゃないし。いつのまにか、勝手につけられただけで」


 『第六天魔王』こと、俺――鬼堂勝利(きどうかつとし)――は、『地獄の夜叉姫』に負けず劣らずの戦歴を刻んだ豪の者で、チーム『天下統一(てんかとういつ)』が誇る秘密兵器にして最強の裏番である。


 伝え聞いた話によると、不良界ではそのような人間として知られているらしい。

 純粋な実力だけ見れば、歴代ナンバーワン。

 過去に対戦した経験のあるA氏の証言によれば、『まさに全身凶器。あいつにだけは逆らっちゃいけねえ』だそうだ。


 そんな無敵の不良であるにもかかわらず、だれもその本名を知る者はいない。その謎めいたところが、なおさら畏怖の念を抱かせてしまったらしく、みずから進んで喧嘩を売ってくる輩はほぼいなくなってしまった。


 そういう意味では、あの女番長は恐れ知らずもいいところだった。


「けど、もったいないっスねー。鬼堂さんなら、絶対天下取れんのに」


「いやいやいや、俺はただのトーシロだから。バイク持ってないし、それに正式なメンバーじゃないもの」


 俺はチームに所属せず、最後までヘルパーとしての立場を貫き通した。


「なら、サクっと入っちゃいましょうよ。中村さんなんか、説得する気マンマンっスよ?」


「ああ。あの眼鏡の人か……」


 中村さんというのは、チーム『天下統一』の副リーダーの苗字だったはず。俺はめったに『集会』に参加しないので、花口氏以外のメンバーとはほとんど顔を合わさなかった。


 おぼろげな記憶をたぐると、たしか眼鏡をかけていたはず。ヤンキーに似合わず、どちらかと言えば優男系の風貌だったような……。


「俺、鬼堂さんになら、命捧げられるっス。年下とか、んーなことは関係ねえ。あなたは大将になるべきお人っス」


「気持ちだけ受け取っておくよ。俺はさ、いろいろやらなくちゃいけないことがあるから……」


「そうっスか……」


 花口氏の落胆した顔を見ていると、とても悪いことをしたような気分になる。でも、ここははっきりさせておかなくちゃならない。


「ごめんな。でも、なかなか楽しかったよ。自分の力量が試せたし」


「はは。試す必要がないくらい、最初から圧倒的だったじゃないっスか」


「そんなことないって。きわどい場面はたくさんあったし、特に今日の相手は……」


「どうでした? 『地獄の夜叉姫』の実力は」


「……強かった。ちょっとでも油断したら、間違いなく負けていたな」


「マジっすか!? ……ははあ、噂どおりだったってことっスか。あの女、プロレスラーみたいな西高の番長、負かしてますからね。でもなんか、ムカつくんスよ。『毒夜叉』のやつらって。あいつら、極悪非道の野郎にしか喧嘩売らないっスからね。俺たちのやり方、パクりやがってさ……」


「まあ、悪い連中じゃなさそうだったよ」


「鬼堂さんがそう言うなら……でも、これから忙しくなりそうっス。中村さんが中心になって、チームのてこ入れをやるとかなんとか……」


「てこ入れ?」


「うーん。なんか、スポンサーがどうのこうのと言ってましたね。俺にはよくわからなかったけど」


「ふうん。スポンサーねえ……」


「んじゃ、そろそろ行きましょうか。最後のお勤め、本当にご苦労さんでした」


 花口氏は深々と頭を下げた。


「こちらこそ、お世話になりました。もうこれからは、タメ語使いませんから。今日から平凡な一般人に戻るわけですし」


 俺は最初、敬語で話しかけていたのだが、花口氏たっての希望で無理やりタメ語を使わされていたのである。


「そんな水くさい……まあ、しょうがないっスね。でも、なにか困ったことがあったら、いつでも呼び出してください。金のことから女のことまで、なんでも。中村さんからも、そうことづかってますんで」


 俺は苦笑しながら、小さくうなずいた。


 こうして、俺の不良もどき人生は終焉を迎えた。

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