一
「そうだそうだ。いつまでもやってられるか、こんなこと」
広大な駐車スペースには、物々しい空気が満ちあふれている。巨大ショッピングモールに付設する屋外駐車場だが、車両は一台も停まってない。それもそのはずで、現時刻は深夜二時をすこしまわったところ。とっくに閉店時間は過ぎていた。
常夜灯の真白い光が改造制服姿の男女を照らしている。
こちら側は俺ひとりだが、白線を越えた先には総計一八名の不良軍団が陣取っていた。
並び立つ不良どもの中央に、この地域一帯――いや、関東一円で『最強にして最凶』の称号を欲しいままにしている女番長がそびえ立ち、研ぎ立ての刃物のように鋭い眼光を閃かせている。
マスクで顔を覆い、長丈スカートのセーラー服という伝統的なスケ番スタイル。服装はまだ許せるとしても、雷撃でも直接食らったようなチリチリパーマヘアがなんとも時代錯誤を感じさせる。
名の通った不良連中からは『地獄の夜叉姫』などと呼ばれているらしいが、むしろ『雷様』のほうがふさわしいんじゃないか?
「……にしても、最後の最後が女ってのがなあ……やれやれ……」
「おい。なにをブツブツ言ってんだ?」
マスクをつけているせいか、女番長の声色はややくぐもっていた。
「あ……スマン」
イカン。思わず、地の声音で答えてしまった。
「チッ。モヤっぺえ野郎だぜ。ほんとにこいつが『第六天魔王』とあだ名される男なのか? ぱっと見、おどおどしているし、ガタイのわりにまるで迫力がないじゃねえか」
「も、モヤっぺえ?」
『第六天魔王』という恥ずかしすぎる異名はともかく、聞き慣れない修飾語を耳にして、顔中を疑問符だらけにしてしまった。
「あ、あんだよ?」
「い……いやその、聞いたことのない言葉だったから」
あいにく、昨今の若者言葉の語彙に乏しい俺だった。もしかしたら、こんにち、都会のバッドボーイ、バッドガールたちは『モヤッぺえモヤっぺえモヤっぺえ』と壊れた鳩時計のように連呼し合っているのだろうか?
かつてのチョベリバ(超ベリー・バッドの略語)とかのように。
あ……あれはギャル語なんだっけ?
ギャルと不良娘の違いがとんとわからないけど。
「あっ……うっ、え、ええと、たしか、ダサいとか田舎者とか……そういう意味だってんだよ! なあ?」
女番長は背後にずらりと控える取り巻きたちを一瞥する。チーム『毒夜叉』のメンバーは首領格を除いて、すべて野郎どもで構成されていた。
短ランにボンタンというこれまた古式ゆかしい不良スタイルで統一されている。これまで数えきれないほどの悪党どもに遭遇してきたが、ここまで絶望的なファッションセンスの連中はいなかった。
それを言ったら最後、とわかっちゃいるが言わずにはいられない。
「……コスプレだろ」
「……なんか言ったか?」
地獄耳なのか、女番長は耳ざとく反応する。
「いや、なんでもない」
まあ、俺も長ランにぶっといボンタン、マスクにリーゼントという出で立ちだから、上から目線で彼らを評する資格はないのだが。
だが、好きでこんな格好をしているわけじゃない。それだけはわかってほしい……と心のなかでだれともなしに言い訳した。
「姉さん、無理にドスのきいた言葉遣いをしなくてもいいんですぜ」
剃り込みの入った坊主頭の側近がずいと身を前に乗り出し、女番長に耳打ちする。頭髪はおろか眉毛までもがあざやかな黄金色に染め抜かれている。
ヘアスタイルそのものはギリギリで許容範囲内だとしても、なぜに野暮ったいカラーリングを施すのか。染髪が不良の証であった時代はとうに過ぎ去ったはずなのに……。
「なっ!? お前らがそうしろと言ってきたんじゃねえか」
「しかしですね、もうすぐカタギに戻られる身ですから。変に癖になってもいけませんしね」
「よけいな気遣いだっつーの! あたいはよお、いついかなるときも半端モンになるつもりはねえんだ。もうすぐ引退だとしても、お前らと一緒にいる限りは『地獄の夜叉姫』なんだぜ?」
「あ、姉さん……くぅぅっ、義理堅いにもほどがありますぜ。姉御のためなら俺ら一同、いつだって腹かっさばいて死ねます! ぐううっ……」
「ううううっ……」
坊主頭が仰々しく覚悟を語ると、女番長を取り巻く舎弟たちは指先で目頭を押さえながら、言葉にならない嗚咽を漏らした。
「し、湿っぽいことぬかしてんじゃねえよ! あたいが抜けたら、お前たちがこの『毒夜叉』を取り仕切っていくんだぞ? それに渚、お前ももうすぐ卒業だろうが」
「そ、それはそうなんですけど……」
女番長に渚と呼ばれた坊主頭の側近は、しょんぼりと地面に視線を落とした。
「よもやあたいとの約束、忘れたわけじゃねえだろうな?」
「も、もちろん……です」
「なんだあ? その煮えきらない返事は!」
「あっ……うっ……」
「もし約束やぶったら、一生絶交だかんな」
「お、俺は姉さんを裏切ったりしません!」
「フフ、ならいいさ。男に二言はあっちゃいけねえ……いや、女でもだな」
こちらの存在を無視して、不良どもは熱く感情のドッジボールを繰り広げていた。
だからといって、『偽りの友情ごっこはそれくらいにしてもらおうか』などとすごんだりはしない。むしろ、好感を抱いたくらいだ。
『毒夜叉』は八七戦八七勝という不敗伝説を誇る、関東一凶猛なグループと噂されていたのだが。初めてお目にかかった彼らは、まるで古き良き仁侠映画の登場人物たちのように直情的で、馬鹿正直な面々に映った。
噂に尾ひれがつきまくって、実態とかけ離れてしまったのかもしれない。
「引退……か」
夜空にまたたく星辰を見上げながら、俺はぽそりとつぶやいた。
一般的にヤンキーグループに属する人間は、高校卒業を機に『引退』するのが習わしとなっている。つまり、自発的にグループから脱退するのだ。
若い頃は無茶することにやぶさかでないが、いい年した大人が粋がるのはみっともない。それは彼らなりの人生哲学、けじめのつけ方だった。
ただし、元ヤンは引退後もOBという肩書で間接的にグループに関わる人間が多い。
彼らの多くは地元の企業に就職したり、家業を継いだりしたのち、現役メンバーたちのお目つけ役として影響力を維持することになる……などと遠い昔、不良仲間に講義を受けた。
もっとも、長引く平成不況の影響で、この手の集団は激減してしまったとも聞く。若いうちから馬鹿やっている時点で、人生そのものから引退させられかねないご時勢だ。
よって、『毒夜叉』の面々は生きた化石と呼べるのかもしれない。
先刻の会話を聞く限り、どうやら女番長は近々引退を迎えるようだ。
とすると、いまの時点で高校三年生?
今日は一一月一四日だから、順調に行けば、残り四か月ちょっとでめでたく卒業ということになる。
二つか三つ、年上か。ぜんぜんアリだな……ってなに考えているんだよ、俺。
「さてと、そろそろ決着つけさせてもらおうか。あたいも暇人じゃないんでね」
あらためて、女番長は刺すような視線をこちらに飛ばしてくる。
「ああ、そうだな。俺もあんたと同じく、多忙の身でな。いつまでもこんな茶番にかかずらっている暇はない」
視線を受け流すと、俺は両肩をゆっくりと上下させた。肩甲骨まわりの筋肉ををほぐしているのだ。ここに来る前にウォーミングアップはすませてきたが、冷えているせいか若干身体が硬くなっている。
「茶番? ……てめえ、女だからって舐めてやがるな?」
「別にそういうわけじゃない。あんたの噂は聞いているし、男だろうが女だろうが敵は敵。負けるわけにはいかない」
いや、『負けるはずがない』と告げるべきだったか。冷静に彼我の戦力差を分析すると、相手側にプロの――それも相当強い部類の――格闘家でも混じってない限り、こちらが敗北する可能性はない。
第一、今回は一対一でやるという約束だった。
当然、彼らが約束をやぶる事態も想定ずみだ。そうなったらなったで、一気呵成に戦闘不能に追い込んでやるまでだ。
場合によっては、女を人質に取ってもいい。傷つけるつもりはないが、首領格が窮地に陥れば、ほかの連中は引き下がざるをえないだろう。
俺の戦闘ポリシーは『負けなければ勝利』だ。
きれいに勝つ必要はないし、圧倒的な能力差を見せつけるつもりもない。素人の喧嘩は見世物興行ではないのだ。
ただし、今回の相手は女だからな。
手心を加えるつもりはないが、ダメージは最小限に留めたい。女の傷は一生モノ、なんてのは手垢のついたフレーズだし、なかには女扱いされることに恥辱すら感じる御仁がおられることも承知している。
だがやはり、ここは慎重を期すべきだ。俺は女の顔をボコボコに腫らしてよろこぶような嗜虐趣味者ではない。
「始める前に、ひとつだけ約束してほしいことがある」
「約束?」
女番長は片眉を上げて反問した。
「戦闘続行が不可能な場合、すぐにその旨を告げること。降参でもギブアップでもなんでもいいからさ」
「はあ? ……やっぱりお前、あたいのこと舐めてるだろ? 戦闘ゾッコーとか、かってえ言葉使いやがって。いつからここは戦場になったんだ? あ? たかが喧嘩だろが」
「そうじゃない。俺は性別関係なく、必ずこの条件を呑んでもらうことにしている。無益な暴力沙汰は願い下げだからな。あと、言葉遣いは癖でな。スマン」
「ふうん。要するに、めんどくせえからすぐ終わらせたい、ってことだな?」
「ま、どう受け取ってもらっても構わない。別に見くびってるわけじゃないぜ? あんたの華々しい武勇伝は耳にしているし、正直に言うと、緊張ととまどいが半々といった心境だ。てっきり、女子レスラーみたいなのが出てくると思っていたからな」
そう。はっきり言って、俺は途方に暮れかかっていた。
だって、八七勝〇敗だぜ?
男勝りの一言で片づけられない、圧倒的な戦績だ。スポーツの世界なら、ウン百年に渡って語り継がれる連勝記録だろう。
仮に全日本喧嘩記者協会なるものがあるとしたら、満票で殿堂入りするに違いない。なのに、目の前にたたずむ女番長は華奢で、どう見ても肉弾戦に向いている身体つきではない。
この痩躯で、各地域を代表する喧嘩自慢どもに敗北を負わせてきたとは。ちょっと見、なかなか信じがたい。
よもや負けることはあるまいが、不気味な感じはいなめなかった。
「ヒエーヘッヘッヘッ。勘違いもいいところだぜ。それじゃなんだ、筋肉ムキムキならだれでも150キロのストレートを投げられると思ってんのか?」
女番長の隣にいる金髪坊主は、頭の悪そうな笑声を漏らしたあと、唐突な質問を投げつけてきた。
「はっ?」
「そいや、『柔よく剛を制す』なんて言葉もあったなあああ。わかってねえ、お前、わかってねえよ。喧嘩だろうがスポーツだろうが、筋肉魔神が天下取れるほど、世間は甘くねえんだ。姉さんはなあ、言わばひょろひょろの身体でズバンッと160キロ投げる大エースみたいなもんだ。ペドロ・マルティネスとかさあ、あいつ、全盛期でもぱっと見は痩せてただろ?」
「ぺどろ……まるちねす?」
「あん? 知らねえのかよ?」
「俺、野球はあまり詳しくないんだが……」
年に三、四回、親父につきあってテレビ中継を見るくらいのレベルだからな。ルールとか有名選手の名前くらいは知っているが、知悉しているとは言いがたい。
「なんだとコラッ! てめえ、それでも日本国民か。『巨人、大鵬、卵焼き』と呼ばれたくらいなのに。もしっ、もし俺が総理大臣だったら、国民にシーズン全試合の観戦を義務づける法案を通してやるのによおおっ! ……畜生! 世の中どうなっていやがんだ!」
金髪坊主は両手で頭を抱え、くねくねと身をよじらせる。全身で苦悩を表現する姿に、真の野球愛を見たような気がした。
「コラッ、渚。無駄に話をややこしくするんじゃないよ。あんたが口をはさむと、いっつもこうだ。緊張感がなくなるから、もう黙ってな」
女番長にたしなめられて、野球好きの金髪坊主、渚君はしゅんと身を縮こめた。姉さんの命令は絶対らしい。
「クソッ。ちょっとおしゃべりが過ぎたな。最後の一騎打ちだってのに。おいっ、そろそろいいよな?」
しびれを切らしたのか、女番長はイライラしながら顎をしゃくる。
「……待った。最後にひとつだけ聞きたい」
「くううっ……この期に及んでなんだい!」
たっぷりと間を取ってから、俺は禁断の質問を発する。
「なあ……俺たちの格好って、ヤバいよな?」
「はあああっ!?」
「いや、どう思っているのかなって。いままで、数々の悪趣味ファッションを目にしてきたが、あんたらのような――いや、俺もそうなんだけど――これってアリなのかな?」
積年の疑問を口にできたことで、すこしだけ胸のつかえが取れた。
これまで、数えきれないほどの不良たちを見てきたが、そのファッションは千差万別だった。
ホスト風、アメカジ風、Bボーイ風、なかには露悪的なフレーズ(『喧嘩上等』『Son of a bitch』等々)が刺繍されたジャージを着ている連中もいた。
だが、ついぞ改造制服は見かけなかった。もしかしたら、田舎では古くさくも伝統と格式のあるスタイルを遵守しているのかもしれないが、すくなくとも俺の生活圏でお目にかかったことはない。
中高の学祭や会社の忘年会など、行事ごとで身にまとうことはあるのかもしれないが、それはあくまでもコスプレなのである。
「い、いきなりなんだこの野郎! あたいらのこと、馬鹿にしてんのか!? てめえだって、似たような格好のくせに」
激怒したところを見ると、やはり俺と同じく、心の底では気にしていたのだろうか?
「いや、俺は趣味でこんな服装をしているわけじゃない。なあ、本音で語り合おうぜ? 正直、ないと思ってんだろ? ましてお前は女だ。本音はあれだろ、ゆるふわパーマにフリルのワンピースとか着て、女の子女の子したいんだろ? 女の子同士、絵文字のメールとか送り合ってきゃぴきゃぴしたいんだろ? なあ、そう言ってくれよ?」
どうしてか、台詞の後半が哀願口調になってしまった。
「ふ、ふふふふざけんじゃないよ! な、なあにがフリルのワンピースだ! 鳥肌が立つぜ!」
ブルッと背筋を震わしたあと、女番長はグルグルと両腕を振りまわす。
「よけいなお世話、お節介だってことは承知しているさ。だがな、俺が言うのもなんだけど、青春は一度きりなんだぜ? 失われたときは二度と還ってこない。ならば、のちのちに後悔しないよう過ごすべきだ。なあなあ、そう思わないか?」
「おいっ、いい加減にしろよ? いつからてめえはあたいの先公になったんだ? ペッ! ったく、反吐が出るぜ! わざわざ引退記念の相手に指名してやったのに。よもや、こんなふぬけた野郎だったとはな。心の底からガッカリだよ!」
鬼神のように荒ぶり、激高していく女番長の様子を見ながら、俺は溜息をついた。
そして息を吐き出した瞬間、悔悟の念に駆られた。
これまで、どれだけの時間を空費してきたことか。
俺はみずから好きこのんで荒事に手を染めてきたわけじゃない。行き掛かり上、しかたなく不良の真似事を続けてきただけだ。
もとから血気盛んなタイプではないし、どちらかと言えば争い事は苦手にしている。そもそも、狭苦しい界隈で勇名を馳せたところでどんな利点があるというのか。悪目立ちすればするほど、つけ狙われやすくなるのだから。
だからこそ、『仕事』のときは必ず変装するようにしてきたのだ。
だが、こんな妙ちきりんな格好をするのも今日までのこと。
この一騎打ちが終わりしだい、『栄光の青春・第二部』がスタートするのだ!
俺は女番長に向かって、すっと頭を下げた。
「すまなかったな。世間話はこのくらいにしておこう。いや、今日をもって俺も『引退』でな。それで少々、センチメンタルになっていたらしい。そろそろ始めるとしよう」
首を持ち上げた瞬間、俺は冷酷無情な戦闘機械と化していた。すばやいオン、オフの切り換えこそが、戦場の鉄則なのだ。
傍目から見ると、なにも変わってないように映るかもしれないが、手練なら一瞬で見抜いたことだろう。自然と声色は無機的になり、静謐な殺気が全身に漂っていく。
「む……」
一騎打ちの開始を告げられ、女番長の目つきが一変する。
どうやら、『地獄の夜叉姫』は虚名ではなかったらしい。
瞬時に相手の変化を感じ取り、冷徹に出方を観察している。口汚く恫喝するような真似はしない。これまで屠ってきた連中を思い返すと、それなりにできる対戦相手は皆、言葉で脅すようなことはしなかった。
『弱い犬ほどよく吠える』という格言は、かなりの確率で真実だろう。
しかし、どうにも腑に落ちないことがある。
この女は素手で俺とやるつもりなのか?
「姉さん」
疑問を口にしかけた寸前、子分のひとりが女番長に歩み寄り、鞘に納まった日本刀をうやうやしく両手で差し出した。
「なるほど。居合か」
女番長は下げ緒のついた鞘を左手でつかむと、腰の横に携刀する。
「本物らしく見えるが、ただの模造刀さ。切られても命を落とすことはない。まさかいまさら、文句はねえよな?」
「もちろんだ。ちゃんとメールで確認ずみだしな」
これも時代の流れなのか、今回の一騎打ちのセッティングはすべて電子メールのやりとりで行われた。その交渉過程において、相手側は『殺傷力を有しない武器の使用は認めてほしい』と要請してきた。
俺は二つ返事で、『構わない』と返信した。
「まさか素手でやると思ったかい? あたいだって馬鹿じゃない。大の男に徒手空拳で挑むつもりはないさ」
「いや、むしろ安心した。これで対処がしやすくなるからな」
戦闘において重要なのは、まずなんと言っても相手の戦術を見極めることだ。そのためには、万難を排してでも相手の得物を知る必要がある。正体不明の敵と戦うことほど恐ろしいことはない。
相手の武器が知れたことで、半ば自動的に、標的を仕留めるイメージが頭のなかに描かれていく。それはいくつものパターンを形成し、最適解を導き出していく。
これまでの実績から、女番長が相当な使い手であることが確信できる。おそらく有段者の域には達しているだろう。油断はできないが、武装した相手への対処法は訓練で習得ずみだった。
それに木刀やらナイフやらを持った相手との戦いは、いままでに幾度も経験している。
女番長が提げている長物の寸法を目測してから、相手との距離をできるだけ正確に測る。
おおよその攻撃範囲を見定めてから、仕掛ける間合い、タイミングを計算する。
初撃さえ食らわなければ、一〇〇パーセント、こちらの勝利だろう。仮に打撃を受けたとしても、急所さえさけられれば、すぐさま反撃が可能だ。人事不省にでも陥らない限り、勝算はこちら側にある。
「みんな、退がってな」
女番長の命令一下、舎弟たちはすばやく後方に退いていく。
おそらく、一瞬で勝敗が決するだろう。
居合道は一撃必殺。
電光石火の早業で機先を制し、敵を仕留めようとする。
だからこそ、抜きつけの一刀にすべてがかかっている。なぜこんなことを知っているのかと言えば、遠い昔に親父から講義されたからにほかならない。別に進んで教えを請うたわけじゃないけどな……。
初太刀さえ防げれば、一気にふところに入って投げ技、関節技の連続攻撃を極められる。
そうなれば、勝利は確定も同然だ。
幼少期より多種多様な格闘技の手ほどきを受けてきたが、俺の徒手格闘術のベースは八割方、サンボで培われたと言える。
サンボはロシア生まれの組み技を基本とした格闘技で、ソビエト連邦時代に軍隊戦闘術として正式に採用された。
軍や警察、特殊部隊で使用されるだけあって、非常に実戦向きな武術と言えよう。
日本生まれの柔道はつかんで崩すことを重視し、組み手に時間をかけようとするが、サンボはつかんだ段階でただちに投げ技に持っていこうとする。
要するに、相手を倒す過程が簡略化されているのだ。それゆえ、うまくいけば組み手の段階で勝利を収めることができる。
柔道が文字どおり、『柔』の動きを重要視するのに対し、サンボは『剛』。瞬発的な力強さで、一気果敢に対戦者を打ち負かそうとする。
「礼」
女番長は左手から右手に刀を持ち替えると、静かに頭礼し、あらためて左手に携刀した。その動作に俺は意表をつかれてしまった。
「い……意外と礼儀正しいんだな?」
「武道の基本は礼節にあり、さ。てめえみたいなゴロツキにゃわからねえだろうがね。あたいはなあ、どんな相手だろうと礼を欠かしたことはねえんだ。たとえそいつがどんな卑怯者でも、な。なんかおかしいかよ?」
「いや、見上げた心意気だと思う。なんだかあんたのことが好きになりそうだ」
「ぶっ!?」
女番長は面食らい、わなわなと震え出す。
「あ、ちょっと待て。別にそういう意味で言ったわけじゃないぞ? 愛の告白とか、そういうんじゃ……あんたは俺の趣味じゃないし」
これでもこいつは女なのだから、不用意な発言は慎むべきだった。反省しなくてはなるまい……。
「ててててててててんめええええええええ! どこまで侮辱すれば……」
「わ、わかった! もう始めよう! それじゃ行くぞ!」
どれほどすれっからしだろうと、女は女。これ以上、怒りの火に油を注ぐのは不本意だし、これでも自分では紳士を自任しているのだ。
俺は重心を低くすると、相手の利き手の逆側、向かって右側の方向からカーブするように突っ込んでいく。得物の死角、攻撃範囲外からタックルを仕掛け、地面に沈めてしまうつもりだった。
「うぬっ!?」
女番長の口から、狼狽の声が漏れた。
想定外の突進速度だったのか、女番長は『序破急』――ゆっくりと動作に入り、ゆるやかに速度を増していき、瞬間的に最高速度に達する――の動きを意識する間もなく、あわてて体勢を左向きに回転させながら、すぐさま抜きつけの姿勢に入らざるをえなくなる。
内心、俺は勝利を確信した。
自分の呼吸、間合いを狂わされたのだから、必然的に太刀筋は鈍くなるだろう。
俺の助走からタックルに入る動作は無駄がなく、まるで機械仕掛けのように正確だった。
間合いの詰め方が完璧なうえに、鍛え抜かれた筋力に裏打ちされたスピードは申し分がない。女番長の視点では、イノシシのような野生動物が猛進してくるように見えているはずだ。
俺が硬いアスファルトを蹴り、跳躍した瞬間、女番長の太刀は鞘から飛び出し、右肩の上に切り上げられていた。
上段から、袈裟切りの構え。
その一連の動作は優美で、しかも一切の無駄がなかった。宙に身体を投げ出している間、惚れぼれと見とれてしまうくらいに。
「破っ!」
冷えた空気を切り裂くような掛け声とともに、上方斜め四五度の角度から剣筋がせまってくる。
――ヒュッ!
寸毫の差で太刀は空を切る。その時点ですでに俺は女番長のふところに忍び込み、右手で襟首、左手で左腕の袖をつかんでいた。
そのまま体勢を沈め、座り込みながら右脚で相手の左脚を撫で払い、あまり勢いをつけないように真横に投げ飛ばす。手加減されるのは不本意だろうが、女体にダメージを与えたくはない。
「うぐっ!」
バンッ、と女番長の身体があおむけに地面に叩きつけられると、あっと野太い声音が反響した。子分たちの驚きの声だった。
うまくいったように見えるが、実はギリギリの差だった。体勢を崩されながらも、女番長はすぐに間合いを読み取り、最短の動作で切りかかることに成功した。
コンマ数秒、タックルに入るのが遅れていたら、思いっきり背中に太刀がぶちあたっていただろう。
舐めていたわけじゃない。女番長の実力が図抜けていたのだ。
まさか、こんな達人――しかも女の――がいたとはな。
嘘偽りなく、これまでに対戦してきたなかで最強の実力の持ち主だった。
「だが……勝ちは勝ちだ!」
すかさず左腕を両脚ではさみ込み、腕十字固めの体勢に入る。
がっちりと肘関節を固定したため、もう九分九厘、逃れることは不可能だろう。
「くっ……くそおっ!」
窮境から脱するべく、女番長は歯を食いしばりながら、左右に腰をひねったり、両脚を高く跳ね上げたりする。
だが、すべて無駄な抵抗だった。どんな怪力の持ち主でも、完璧に極まった関節技を外すことはかなわない。
「あぐううううっ!」
伸びきった左腕を抱え込み、ひっぱっていくと、女番長は苦鳴をあげた。
このまま力を加えていけば、筋や腱が断裂したり、下手すれば骨折することもあるが、そんな重傷を負わせるわけにはいかない。なにしろ、相手は女なのだ。
力加減を誤ることは許されず、ゆえに男を相手にするよりも困難をともなった。
「うぎいいいいっ!」
あらかじめ、白旗を上げる手順は伝えてあったのに、女番長は意地でも降参しようとしない。
「さっさと地面を叩いてギブしろって! 肘の関節が外れちまうぞ!」
「だ、だれがああ……ぐっ……ち、畜生! お、男なんかに……絶対……」
やむをえず、わずかにひっぱる力を強めるが、女番長は屈服しようとしない。ひたいにはびっしりと汗粒が浮き上がり、かっと見開かれた両眼には苛烈な怒気がみなぎっていた。
これはちょっと、往生際が悪すぎるのではないか。女だてらに猛者どもと張り合ってきたのは賞賛に値するが、すでに勝敗は決しているのだ。
赫々たる戦歴をけがさないためにも、ここはいさぎよく敗北を受け入れてほしいものだ。
「おいっ! 悪あがきもいい加減にしろ! 負けを認めるのも勇気だろうが」
「ぐぎっ……い、いやだっ! ……くのっ、くのっ、なんで……なんでだよおっ!」
女番長はもがき、あがき、もんどりうつが、拘束がゆるむことはない。
「あんたはよくやったさ! 女の身で難敵どもを退けてきたんだからな。だがな、負けは負けだ。人はなあ、負けたときにこそ本性が試されるんだぜ?」
「い、いやだあっ! なにがあろうと……ぐっ……ううううううっ!」
いったい、なにがここまで意固地にさせるのか?
しょうがない。もうすこしだけ、痛い目を見てもらうしかない。
そう思った、刹那。
俺はとある事実に気づき、ギクッとうろたえた。
いや、正確には感触を認識したのだ。
腕十字固めという技は、両脚で片腕をクラッチする。肘のすこしだけ上を両膝ではさみ込む体勢となるため、必然的にふくらはぎで上半身を押さえ込むことになる。すると、どうしても相手の胸部に触れざるをえない。
相手が男なら、なにも問題はない。
だが、今回の相手は……。
戦闘態勢に入り、あふれ返るドーパミンが一部の感覚を麻痺させていたのだろうか?
張り詰めた腓腹筋に押しつけられる、ふんにゃりと柔らかな物体。一五年間生きてきたなかで初めて味わう感触は、ビリビリと脳幹をしびれさせた。
これが貧乳ならまだしも、ボリューム満点なのがタチが悪い。視認しなくても、感触でそのスケール感が伝わってくる。
や、ヤバい!
なにがどうヤバいのかはわからないが、とにかくこれが抜き差しならない状況であることは間違いない!
「いっ……いやああああああああああああああああああああああっ!」
「うえっ!?」
けたたましい悲鳴がとどろいた直後、本能が命じるがままに俺は後方に飛びしさった。




