一四
そして、思いがけなく破局が訪れた。
「ちょっとちょっと! いー加減にしてよ! 割り込んできたのは、あんたたちじゃない! あっ! さわるな変態! 性犯罪者! 離さないと、マジでケーサツ呼ぶからね!」
パチンコ屋の隣のゲーセン前を通りしな、開け放された自動ドアの内側から物騒な叫び声が聞こえてきた。
「チッ!」
舌打ちすると同時に、俺は地面を蹴って駆け出していた。
「うぬっ!」
「!?」
はっとして横を振り向くと、南風さんの紛うことなき美しい横顔があった。端正な容貌はそのままに、さながら鬼女、般若の面のようにまなじりが吊り上がり、唇の四隅が外側に広がっている。
お嬢様然とした姿とのギャップに、俺は著しく混乱させられた。
それに、『うぬっ!』って……。
あの憤怒のうなり声は、本当に南風さんが発したのだろうか?
店内に足を踏み入れると、俺はぎょっとした。
「恥ずかしくないわけ!? あんなちっちゃな男の子を蹴り飛ばしてさ! あんたらみたいな卑怯者は、『スタンド使い』とか『北斗神券』の使い手にぶっ飛ばされればいいんだわ! それか腐った性根を叩き直すために、『男塾』に放り込まれなさい!」
ジャージ姿の男連中が、美樹原を取り囲んでいた。UFOキャッチャーの筐体に身をもたせながら、キッと三人組をにらんでいる。右手首をまんなかにいる男につかみ上げられ、身動きを封じられていた。
仮に不意打ち――位置関係からすると、前蹴りで金的を狙うのが有効だろう――で拘束を解いたとしても、逃亡は不可能だろう。左右の逃亡経路には、仲間のジャージ男が立ち塞がっているからだ。
下手に反撃すると、袋叩きにされてしまう。
「黙れよ、このクソアマが! メスブタみてえに、ブヒブヒわめきやがって。PTAをわきまえろってんだPTAを! なあ? 兄弟」
三人組のなかのひとりが唇をひん曲げながら、手下っぽい仲間に目配せする。
「工藤君、それPTAじゃなくて、TPOっしょ」
すかさず手下Aにツッコマれた工藤君は、左手で美樹原の右腕をねじり上げ、右手で思いっきりスパーンと平手打ちする。
「あぐっ!? ……な、なにすんのよお! 勘違いしたのはあんたじゃない! この偏差値〇の低脳野郎!」
「黙れ! 黙れ! 黙れええええええっ!」
脅し声に重なって、景気のいい破裂音が炸裂する。
「うううっ……黙るのは、あんたたちのほうよ。このどぐされゲス野郎……」
計四発の平手打ちを見舞われた美樹原は、涙目になりながらも、男たちを睥睨するのをやめなかった。
「クックックッ……ア~~~~ッ、ほんとたまんねえ! クッソ生意気なメスブタを殴んのよはよおおお! 危うく、ズボンのなかに出しちゃいそうだったぜえ。なんつうの、世の中弱肉強食? 貧弱なブタが人間様に逆らっちゃいけねえって、ゾクゾク実感できるぜえええっ!」
「お、お姉ちゃんを殴るな! 馬鹿野郎!」
そこでいきなり、小学生高学年くらいの男の子が横合いから突っかかっていった。
両頬が痛々しく腫れ、内出血し、膝小僧に血がにじんでいる。ジャージ男どもにやられたのだろう。これは推測だが、美樹原はこの小学生男児を助けようとしたのではないか。割り込みがどうのこうのと言っていたし……。
「黙れクソチビ! またボカスカやられてえのか? そもそも、てめえがどかねえからワリィんじゃねえか。女子供みてえな弱者のなかの弱者が、俺っちみてえなツワモンに逆らうのは一兆年はえええええんだよおおおおおおっ!」
罵詈雑言を吐かれ、男の子はひるんでしまう。無理もないことだが。
ここまで最低のやつらは、そうお目にかかれるものじゃない。男相手ならまだしも、容赦なく女に手を上げるとは。仁義の欠片もない、畜生道まっしぐらの唾棄すべき連中だった。
ふつふつと込み上げる怒りを断ちきり、俺はコンマ数秒の間に救出作戦を立案した。特殊部隊のセオリーに則れば、まずはなにがあっても人質の身の安全が優先される。
被害は最小限に留めるのがベストであるのは言をまたない。状況は三対一だが、注意をこちらに引きつけることに成功すれば、まず問題ない。これまでの言動を見れば、連中の実戦能力はたかが知れている。
武器携行の有無は確認が難しいが、銃火器でも隠し持ってない限り、俺が窮地に立たせられる確率は〇.〇〇〇〇〇〇〇〇〇一パーセントもない。
「お前は右、あたいは左だ。わかったな?」
低く、抑えられながら、ドスのきいた声色だった。
「み、南風さん……?」
隣に立つ南風さんは、すでに般若面ではなく、無機質無感情な鉄面皮に変化していた。それでいながら、内面で燃え盛る怒りのマグマが透けて見え、噴火寸前のオーラを醸し出している。
それなりの使い手ならば、一瞬で彼女の潜在能力を読み取ったことだろう。
これほど苛烈な殺気を漂わせる女が存在するとは。
いや、これまでに一度だけ見たことがある。
あの最後の一騎打ちで……。
「ま……さか……」
つぶやきはかすれ、かき消え、ほとんど言葉にならなかった。
「いままで、本当に楽しかったですわ。お礼の申し上げようもございません。あとでわたくしに主演女優賞をくださいませね……『第六天魔王』こと、鬼堂勝利様」
まるで百面相のように、一瞬だけ南風さんがもとの南風さんに戻る。
その微笑みはどこか、最後の戦いにおもむく直前、死を決意した女戦士を思わせた。
すべてを許し、包み込むような菩薩めいた微笑だった。
だが、すぐに修羅の顔に舞い戻り。
「こっちを向け、卑劣なゲス野郎ども! 弱い者いじめしか能がない悪党どもが! たとえ天が許したって、あたいがぜってえ許さねえ!」
「なんっ……!?」
いきなり背後から罵られ、ジャージ男たちはくるりと身をひるがえし、向かって左側からまわり込んでくる美少女の姿を認めた。
南風さんに一歩遅れて、俺は右側からカーブする軌道を描いて突進していく。南風さんの戦術は単純明快だった。左右の子分だか手下だかを行動不能に陥らせ、その勢いに乗じてリーダー役を叩き伏せる。うまくやれば、一〇秒とかからず片がつくだろう。
しかし、いまの彼女には得物――模造刀がない。実力を疑問視しているわけではないが、素手で直接戦う場面は未見なので、一抹の不安があった。
それにしても、まさか南風さんが『地獄の夜叉姫』だったなんて……。
まだ信じられず、実感も湧かないが、あのドス声はたしかに聞き覚えがあった。それに加えて、彼女は俺のかつての呼び名――『第六天魔王』――を知っていたのだ。
諸々の状況証拠からすると、同一人物であると結論せざるをえない。
地軸が傾くほどの衝撃だったが、とりあえずいまはそのことを忘れ、目の前の畜生どもを叩きのめすことに集中するしかない。
「えやっ! はあっ! えやっ!」
すべては杞憂に終わった。
南風さんは相手の間合いに入った瞬間、打って、動いて、打つ、というお手本のようなヒット・ムーブ・ヒットの動きを見せた。右クロスを頬にめり込ませると、すかさずステップを踏んで反撃のテレホンパンチをよけ、もう一度正拳突きで右頬を打った。
こぶしの握り方を見ると、おそらく空手経験者なのだろう。足さばき、そして突きの速度からすると、有段者、それもかなり上の段位にふさわしい実力と見た。それでも女性の打撃力には限界があり、二発で相手を沈めるところまではいかなかった。
「よくもやりやがったな! このドブス!」
ガードの体勢、そしてモーションの大きなパンチから察するに、南風さんの相手は喧嘩慣れしておらず、ど素人もいいところだった。それでも身長は一八〇センチ近くあり、横幅もかなりあるので、タフさはなかなかのものだった。
実際、連続攻撃を食らったのに、それほどダメージはなさそうだった。
「失せろ! 天誅!」
正拳突きだけでは通用しないと、南風さんは瞬時に頭を切り替える。一歩下がり、すらりとした左脚を抱え上げ、高速の横蹴りをみぞおちに叩き込む。
「ぐえええええっ!?」
無防備な体勢に陥った相手の両膝に、右、左、と連続のまわし蹴りを放つ。いずれもあざやかに急所を突き、体格差の不利ををものともしない戦い方だった。もろい膝関節を砕かれた敵はぐらりと前のめりになり、よろける。
その隙を見逃さず、南風さんは横っ飛びして首の後ろ側に手刀を打ち込んだ。手加減はしていたらしく、気絶するところまではいかなかったが、図体の大きなジャージ男はぐったりと床に崩折れていった。
強い。とんでもない強さだ……。
強いだけでなく、動作のひとつひとつが優雅で、たおやかだった。
まるで格ゲーの女性キャラが、モニターからそのまま飛び出してきたような。
そう錯覚してしまうほど非現実的で、圧倒的な戦いぶりだった。
南風さんが一体仕留め終える前に、すでに俺は反対側にいたジャージ野郎を打ちのめしていた。
こんな素人に組み技を使うまでもなかった。突っ込んだ勢いで右ストレートを顔面に打ち込むと、相手は首をひねりながら斜め後方に吹っ飛んでしまった。受身を取ることもできず、床でそのままのびてしまう。
一撃で勝敗が決まり、あとはリーダー格を残すのみとなったが、そいつは唯一の『窮鼠猫を噛む』方法を実行した。
「こ、殺してやる! ほんとにぶっ殺してやるっっっっっつ!」
お決まりのシナリオではあったが、少々マズイことになった。薬物常用者のように両目をひん剥き、歯が砕けそうなほど歯ぎしりしながら、リーダー格は美樹原の首に左腕をまわした。
人質を身動きできなくすると、右手をポケットに突っ込み、鈍い光沢を放つハンティングナイフを取り出した。いざとなったときの護身用に持ち歩いていたのだろう。
「やめろ。刺すなら、俺を刺せ。抵抗はしない」
相手の正面に来ると、俺は万歳のポーズになった。正気を失った相手を下手に刺激すると、惨事につながりかねない。たとえナイフを繰り出してきても、刃先が食い込む寸前でよける自信はあった。
なるべくなら、穏便にすませたいところだが……。
「き、鬼堂!?」
強気を崩さなかった美樹原が、初めて脅えた顔を見せた。
「あんたもこんなところで、殺人犯になりたくはないだろう? もし捕まったら、ムショ暮らしになるぞ?」
「ヘッヘッヘッ……別にそんなつもりはねえよ? だがな、恥かかせてくれたみそぎはすませてくれねえとな。なあに、かるーく頬に傷をつけるだけさ。下手すりゃ、美容整形のお世話になるかもだけどなあああ」
刃先を美樹原の顔面に持って行こうとした刹那。
俺に視線が向いていたことで、リーダー格は南風さんへの注意がおろそかになっていた。
「地獄に落ちろおおおおおおおっ!」
横から飛び込んできた南風さんは、振り下ろした手刀でナイフを叩き落とし、鼻筋に突きをめり込ませた。うぎゃっ、と動物めいた悲鳴が上がると、すかさず美樹原は男の左腕をかいくぐり、こちら側に向かって逃げ込んでくる。
「おらおらっ! キンタ○つぶして、二度と使いモンにできなくしてやろうか! おらっ!」
「ヒイイッ! か、勘弁してくれ!」
南風さんは床に転がるリーダー格の股間を、ゲシゲシ足蹴にしていた。俺も、そして隣の美樹原も、たまげた顔をしながらその勇姿を見守っていた。
「あ、姉さん!?」
大勢が決したところで、野球のユニフォーム姿の男が入口から飛び込んできた。
「えっ? ……な、渚!?」
こちらを振り向いた南風さんは、両目を見開き、ぽかんと口を開けている。
「いったい、なにがあったんですか? ……姉さんはお嬢様に生まれ変わったはずじゃ……」
坊主頭の野球部員は、ショックを受けた顔つきで南風さんに近づいていく。どこかで見た顔のような気がするが……。
「そ、それは……お、お前こそ、どうしてこんなとこに?」
「部活で街中をランニングしてたんスよ。度胸つけるために。それより……ん? こ、こいつらまさか、姉さんに暴力振るったんですか!?」
坊主頭は床に転がるジャージ男たちに気づくと、激情を露にした。
「このあたいが、こんな弱っちいカスの攻撃を受けてたまるか。それに今回は、助っ人つうか、仲間もいたからさ……」
すっかり『地獄の夜叉姫』時代の口調に戻った南風さんは、決まり悪そうに俺を一瞥する。
「て、てめえは何者だ!?」
血気盛んな坊主頭は、ずいと俺に詰め寄ってくる。
「い、いや、俺は……」
「やめな! 味方だって言っただろ! それにあんたじゃその人にゃ勝てないよ。なんつっても、『第六天魔王』だからね」
「あえっ!? ……ま、まさか、こんなだせえ野郎が……てか、なんで姉さんがこんなやつと一緒にいるんです!?」
「お……同じガッコで、クラスメイトだからさ」
そこでようやく俺は気づいた。こいつはあの最後の一騎打ちのとき、南風さんの横にいた金髪坊主だ。
同じ坊主頭でも、金髪から黒髪に変わっており、しかもユニフォーム姿だから、なかなか正体がわからなかった。
南風さんは俺の目の前に来ると、口を真一文字に結び、視線を床に落とす。じいっと靴の先っぽを見つめながら、がっくりと肩を落としている。左右のこぶしをぎゅっと握り、やり場のない感情を持てあましているように見えた。
こういうとき、どんな言葉をかけるのがベターなのか……。
もしあるなら先人の例に倣いたいところだが、残念ながら浅学無知の徒である俺には、なにひとつふさわしい台詞が思い浮かばなかった。
「ま、まことに……」
南風さんは腰を折り曲げ、わななく両手でスカートの裾を握りしめる。
「もうしわけありませんでした!」
「お、おいっ!?」
信じられない光景だった。あの完全無欠のお嬢様で、なおかつ『地獄の夜叉姫』でもある南風さんが、俺の前でひざまずき、ひたいを床面にこすりつけるように平伏したのだ。たまらなくなった俺は、急いで顔を上げさせようとするが。
「うっ、ぐずっ、すんっ、ずるっ、うう……うぐっ、ぐっ、うわああああああああああんっ!」
みずから立ち上がると、南風さんはぐしゃっと顔をゆがませ、涙と鼻水を垂れ流しながら、見えない敵に追い立てられるようにゲーセンを飛び出していった。
「あ~~~あ。泣かせちゃった……」
呆然と立ちつくす俺の横で、美樹原が頬をさすりながら、ぽつりとつぶやいた。




