一二
まさしく、事態は急展開を迎えていた。
姉小路は口先だけのコウモリ男ではなかったらしく、中休みに南風さんに話しかけ、本当にデートの約束を取りつけてしまった。
まさかこんなにあっさりOKされるとは思わなかったので、俺は午後の最後の授業中、ずっと上の空で、綾垣担任からチョークを投げつけられるハメになった。なんでも高校時代はソフトボール部に所属していたらしく、狙った獲物は逃さない、一〇〇発一〇〇中なのだそうだ。
いや、そんな瑣末な挿話はどうでもいい。
考えることがたくさんありすぎて、脳細胞が溶けて蒸発してしまいそうだった。
まず第一に、なぜ南風さんは俺とのデートを受諾してくれたのか?
登校中、『感じのいいお方』というおほめの言葉は授かったものの、それだけの理由で他人も同然の男と遊んだりするものなのか?
昨日の放課後、彼女は姉小路とデート紛いのことをしていたのだ。てっきり俺は、あのふたりが彼氏彼女になるのかと思っていた。
そこで昼休みに姉小路を呼び出し、『どうか彼女のことを泣かさないでくれ!』と青春ドラマよろしくの台詞を叫ぶつもりだったのだ。
ヘタレとのそしりを受けようとも、客観的に見て俺と南風さんでは釣り合いが取れないし、悔しいが男として姉小路に優る部分が見当たらない。喧嘩の強さを除いて、俺はおしなべて六〇~六五点くらいの男だと自負しているから。
「ああ見えて……尻軽……とか?」
校門の円柱に背をあずけながら、俺は口に出してはならない疑問をつぶやいた。
「ハッ……!?」
だれかに聞かれたかもしれないと、俺は天敵コブラの接近を予感したマングースのごとく、四方に身をひるがえしながら首をぐるぐると振りまわした。
傍目から見たら、あやしげなダンスを踊っているように見えたかもしれない。
だが声量を絞っていたことが幸いして、失言はだれの耳にも入らなかったようだ。放課後に入ったばかりの時間帯なので、帰宅部の連中が三三五五校門をくぐっていく。
「俺って最低だな……」
もし人目がなかったら、この場で自分の頬を殴り飛ばし、前歯の二、三本折ってやりたいくらいだった。惚れた女の子の|性情を決めつけるなんて、男どころか人類の風上にも置けない。
「ギッ……あっ!?」
ギリッと奥歯が砕けそうなほどきつく歯噛みした直後、校舎の方角に見覚えのあるシルエットが現れた。
スプリングコートを身にまとい、両手で通学かばんを捧げ持つ南風さんの姿は、気品という概念がそのまま実体化したように見える。
「お待たせいたしました! 掃除当番が長引いて……まことにもうしわけありません」
「とんでもない! 誘ったのは俺のほうですし。あ、あのこのたびはまことに……あぐっ!」
緊張で舌がまわらなくなり、硬直した舌先にグサッと前歯が突き刺さってしまった。
「だ、だいじょうぶですか!?」
「は、はいっ……そそっかしくてすみません。どうも昔から、緊張しいで……」
さっそく、三枚目そのものの行動を取ってしまった自分が嘆かわしく、俺は心のなかで地団太を踏みまくった。
こういうときこそ自然に、ありのままに振る舞うべきなのだろうが、そもそもナチュラルな俺なんて一円どころか、一銭一厘の価値もないわけで。
「あ……雨?」
南風さんのか弱げな唇がつぶやきを漏らした、一瞬後。
ポツポツと天から雨粒が落ち始め、傘を取りに行く間もあらばこそ、加速度的に雨脚が強まっていった。午前中は雲ひとつない晴天だったのに、雨雲が付近一帯を覆っていた。
「ヤバイ……傘、持ってきてない」
南風さんを雨に濡らしてはならない、と校舎のほうにきびすを返しかけたところで、真横からパンッと乾いた音が響き渡った。
「もしよろしければ……あいにく、一本しかございませんけれど」
左肩を雨にさらしながら、南風さんは小ぶりな折り畳み傘を俺に差しかけていた。両目を伏せ、目線を合わせまいとしている。よく見ると、傘の柄を持つ右手は震えを帯びていた。
「す、すみません……」
俺は上体をかがめ、身体が接触しないよう、集中力を研ぎ澄ませながら傘のなかに入ろうとする。
それから歩調を合わせて帰路をたどり始めたが、間もなく身長差を思い知らされ、俺が傘を持つのが合理的という結論に至った。
俺も緊張していたが、南風さんも緊張していた。
すぐ真横、触れそうな距離にあの星宮純のひとり娘がいるのだ。彼女は彼女、血はつながっているが別人なのだ、といくら心に言い聞かせても、意識せずにはいられない。




