一一
つつがなく午前の授業が終わり、昼休みに突入した教室はざわめきに満ちていた。
そんななか、俺は中学時代に舞い戻ったかのように、ぽつねんと自分の席に座っていた。
「あんた……どうしたのさ? 今朝から一言もしゃべってないじゃない」
席から立ち上がると、隣の席の美樹原が声をかけてきた。
「スマン……ちょっといろいろあってさ」
「ふーん……どうせあのお嬢のことで悩んでいたんでしょ? ほんっっっっっっと世間知らずの純情君ってやつは。あんたみたいなやつって、ちょっと怖いよね。思い込みだけでどこまでも突っ走っていきそうでさ。せいぜい、男版阿部定にならないよう、注意するように」
美樹原は早口でしゃべったあと、昼飯の桜あんぱんにかぶりついた。
「ご忠告、痛み入ると言っておこう」
かなり辛辣なことを言われたのに、不思議と腹は立たなかった。それどころか、むしろ感謝の気持ちすら湧いてくる。こいつはこいつなりに、俺のことを心配してくれたのだろうから。
そもそも俺は、昔から怒りの沸点が高いのだ。
だが、ここにきて唯一の例外ができてしまった。
むろん、南風さんのことである。
「だから、決着をつけなくちゃいけない」
「はあ? ……ムグムグ。なに言ってんのあんた?」
ひとりごちると、俺は教室をあとにし、屋上という名の決戦場へおもむいていく。
姉小路は屋上の防護柵にもたれ、眼下の町並みを見下ろしていた。
「果たし状とは、また古風な呼び出し手段を使ったものですね」
こちらの足音に気づくと、振り返ることなく第一声を発した。すべての所作がキザで、いやみったらしく感じられる。二四時間、銀幕のなかで生きているような男だった。
「あのな、言っておくけどぜんぜんそんなつもりはないから。ただひとつふたつ、確認しておきたいことがあってさ」
俺は今朝、登校時にメモ用紙を姉小路の下足箱に忍び込ませた。
『話し合いたいことがある。昼休み、屋上に来られたし。 鬼堂勝利』
簡潔な呼び出しの文言だった。ラブレターではないので、それ以上つけ加えることはなにもなかった。
「直接呼び出したりすると、その、なんか誤解を招くかなって。ほら、俺って角度によってはおっかなく見えるらしいし」
「いえ、角度に限らずおっかないですよ。マル暴っぽい風貌とでも言うんでしょうか。よく言えば、堂々たる押し出しと形容できるかもしれませんけど」
「そ、そんなっ!? これでもイメチェンしたんだぞ!?」
悲鳴めいた声を出すと、姉小路はクスッと笑い声を立てた。そして、まるでバレリーナのように優雅に、そつなく体勢を反転させる。
いつなんどき、どの角度から見ても、貴公子然とした見てくれは揺るがない。
「ハハハッ。いわゆる、罪のないジョークというやつですよ。ご心配には及ばず、いまの君はちょっと身体つきのいいパンピー高校生そのものです。意識して髪型はチャラくしたんでしょうが、もうすこし精進が必要なようですね。前髪のバランスがやや崩れてますから。僕のように、毎朝ヘアスプレー一本使えとは言いませんが。しっかり固めないと一日もちませんからね。それとこれはよけいなお世話かもしれませんが、あんまり人目は気にしないほうがいいですよ?」
「ほめられているんだか、けなされているんだか……」
でも、ひとつ勉強になった。ああいう奇天烈な髪型を維持するには、相当なコストがかかるものなんだな。ヘアスプレー一本って……他人事ながら、毛根の衰弱が心配になる。
「まあしかし……光栄ですよ。現代に蘇生された魔人、泣く子も黙る『第六天魔王』殿じきじきのお呼び出しですからね。あいにく、ここは剣も魔法も超能力もない世界なので、僕のような力なき優男ではろくにお相手できるとは思えませんが」
「な……んだと……?」
次の瞬間、世界中の時計という時計が停止したような錯覚に陥った。
第六天魔王第六天魔王第六天魔王第六天魔王第六天魔王第六天魔王……。
何千、何万、何億回と同じ単語が口のなかで反芻される。
耳にするだけで、全身の毛という毛が逆立つ呼び名だった。
「鬼堂君!」
大声で呼ばれ、俺ははっと正気づいた。数回、頭を左右にめぐらしたのち、両目をすがめながら姉小路の顔を見据える。
「残念ですが、空耳ではありませんよ? 僕は前から、君のことを知っているのです」
「ど……どうして?」
「僕は中学時代、社会勉強の一環でホストクラブで働いてましてね。労働環境はそう悪くなかったのですが、なかには柄の悪い同僚もいて――彼らと親しくなれたおかげで、たびたび『実戦』の現場を見学することができました。もちろん、僕はただの一度も手を出したことはありませんよ? 下手に顔に一生モノの傷でも負わされたりしたら、人生台無しですから」
「そのときに……俺を見たのか?」
知らぬ間に口のなかはカラカラに乾き、唾液が粘っこくなっていた。
「はい。それはもう、男の僕ですら胸ときめくような戦いぶりでした。酷薄なテロリストのように標的の攻撃を封じ、一寸の狂いもなく急所を仕留める。さながら機械のように強敵を屠る君の姿は、機能美に満ちあふれ、凡庸なチンピラどもとは一線を画していましたね。正直なところ、この男になら抱かれてもいい、と思ってしまいましたよ」
「お、俺は女の子が好きなんだ!」
「そうですか。それは残念ですね……というのは冗談ですが、ひとつだけ宣言させてください。僕は君の味方です。ゲームのパラメータ風に言うなら、忠誠度一〇〇です」
いきなりの味方宣言に、俺は後じさるほど狼狽してしまった。
本当に、何者なんだこいつは!?
いきなり南風さんに手を出したかと思えば、俺の血塗られた過去を掘り起こし、しまいには抱かれたいだとか味方だとか……脳味噌が崩れた豆腐のようにグズグズになっていく。
「君は南風さんのことが好きなんでしょう?」
「いきなりなんだ!?」
「なんっど生まれ変わっても~~~、わたしのことを見つけ出して~~~♪」
姉小路は真顔で、なにかの歌のフレーズを口ずさむ。
「そ、その歌は!?」
甘く、切ないメロディを耳にした瞬間、俺は漫画のキャラのように飛び上がりそうになった。
もしその歌の存在を知らなかったら、俺は間違いなく姉小路の気が触れたと確信しただろう。
「『センチメンタルクロニクル』。星宮純の3rdシングルですね。僕もこの歌は大好きですよ。八〇年代特有のイントロのシンセ音が切なく、Aメロ、Bメロ、サビのコード進行は王道ながら、情感を盛り上げる。なにより歌詞がすばらしい。転生を繰り返し、見知らぬ他人同士になっても、わたしのことを見つけて、という輪廻転生をテーマにしたラブソングですが、彼女のような少女然としたアイドルが歌うと、十代特有の純粋な恋心と重なり合い、相乗効果抜群です」
「信じられない……」
俺以外の同世代で、ここまで詳しく星宮純のことを知っているやつがいたなんて……。
「君は相当彼女に入れ込んでいるみたいですね。なにせ、定期入れのなかにブロマイドを入れているくらいですから」
「み、見てたのか昨日!?」
「はい。僕はずっと、君のことを監視していましたから。あのような決定的瞬間を見逃すはずがありません」
「お、お前なぁ……」
もしやこいつ、冗談ではなく本気で俺のことを……。
「ん? もしかして、君は気づいてないのですか? 南風さんは、星宮純の実のひとり娘なんですよ?」
「…………!?」
さっきから驚愕が絨毯爆撃のように続いていたが、今度のは極めつけのなかの極めつけで、重力崩壊が起きたように足元がグラグラと揺れた。
「おやおや。本当に知らなかったのですか? あれだけ似ているのですから、他人の空似ですませるのは早計だと思いますがね」
「いや、そっくりだとは思っていたけど……でも、でもだ、なんでお前がそのことを……?」
「僕の父親は某有名芸能事務所のおえらいさんでしてね。星宮純のことはよく知っているのですよ。それになんと言っても、絶頂期に忽然と姿を消した幻のアイドルですから」
姉小路の言うとおり、星宮純は人気絶頂期に謎の失踪を遂げていた。自殺説、破産説、駆け落ち説……といろいろな風説が巷間を駆けめぐったが、どれも噂の域に留まり、現在も公には行方不明扱いとなっている。
そのことがなおさら神秘性を強め、デビューから三〇年経っても往時のファンは彼女の消息を調べ続けている。
「じゃあ、彼女は生きているのか!?」
「ええ、もちろん。いまは一般人として生活されているらしいですよ。しかしよもや、その娘さんと同じ学校になるとはね。苗字が同じで、しかも顔が瓜二つでしたから、一発で彼女だと確信しましたよ。僕は星宮純の本名を知っていましたから。念のため、帰宅してから調べてみたのですが、やはり下の名前も同じでした。九九パーセント、南風さんは星宮純の娘と言えるでしょう。あ、それとこれは伝統ある芸能界でも、トップシークレットに入る秘密情報ですから、くれぐれも他言無用でお願いします」
「よ、よかった……」
俺は自然と涙ぐんでいた。現役時代を知らず、後追いもいいところのファンなのに、親しい肉親の無事を聞かされたような気分になった。こういうところが、海晴に言わせればキモいんだろうけど……。
「フッフッフッ。やはり君は、根っからの好人物のようですね。君ほどの男ならば、女なんてとっかえひっかえできるでしょうに。若いうちほど、腕っぷしの強さは男の勲章、セックスアピールになりますからね」
「俺はそんな野蛮な男じゃない! 喧嘩なんか強くたって、なんの自慢にもならない」
「ええ、ええ。同感です。ですが、僕は君のそういうところに萌えてしまいますね。オタク用語で言えば、ギャップ萌えってやつでしょうか」
「なんだそりゃ!?」
「ここではっきりと言っておきましょう。僕は救いようのない恋愛オタクなんです。そして、恋愛とは個人同士の物語にほかなりません。それゆえ、幼少の頃から個人的な趣味で、恋にまつわるあらゆる物語を収集してきたのです。名作の誉れ高い文学作品はもちろんのこと、ラノベやケータイ小説、美少女ゲーム――いわゆるエロゲーやギャルゲーの類いですね――それにコンビニで売っているような実録ノンフィクションの類いまで」
「は、はあ……」
「ですがあるとき、むなしくなったんです。しょせん、フィクションはフィクションであると。たとえノンフィクションと銘打っていても、自分がその物語を体験したわけではない。その現場にいたわけではない。ならば、どうするか? 恋愛の才能を持った男女――場合によっては男男でも構いませんが――に出会い、リアルタイムでその様子を観察させてもらう。あわよくば、脇役Aとして彼らの恋の成就を手助けしたい。そうです。僕は飢えているんです! 現実の恋の物語に!」
熱弁を振るう間に高揚しすぎたのか、姉小路はハアハアと息を切らせていた。
「僕の見たところ、君、そして南風さんは恋愛の主役になる素質を充分持っています。いまの君は世を忍ぶ仮の姿と言ってさしつかえないし、南風さんは南風さんで重要な秘密を隠してます。一言で言えば、キャラが立ちまくりなんですよ。それに性格も申し分ない。ふたりとも真面目で、不器用で、人情の機微もわきまえている。主演男優、鬼堂勝利! 主演女優、南風姫香! 監督脚本、愛の神アプロディーテー! エキストラその一、姉小路司! もうすでに映画のオープニングは終わり、これから物語が加速していくでしょう! ああ、若きふたりの恋に幸あれかし!」
ようやくわかった。こいつはただの変人じゃない。
古今東西稀に見る、筋金入りの大変人なんだ!
「さあ、舞台は整いました。とりあえず、いまは僕に任せてください。必ずや、君の恋を成功させてみせますから」
「任せるって……なにをするつもりなんだ?」
「そうですね。とりあえず、デートの約束を取りつけてあげましょう」




