九
「わたし、もしかしてお呼びじゃなかった?」
海晴は気まずそうに笑いながら、あさっての方向を向いていた。
「ああ。ワールドカップの試合中に乱入する観客並みにお呼びじゃなかった」
すでに姉小路と南風さん、そして美樹原は店をあとにしていた。ひとり店内に取り残された俺は、椅子に座りながらカウンターに突っ伏していた。燃えつきて真っ白な灰になった心境だった。
心をえぐられるような出来事が立て続けに起きて、再起不能寸前のボクサーのようにグロッキー状態と化している。『人を殺すのに刃物は必要ない』、とはまったくもって正しい。
「まあまあ。惚れたスケを寝取られたくらいで、そんな落ち込まないでよ。そいや、あのふたりってもうにゃんにゃん経験ずみなのかなあ?」
教育上不適切な台詞を耳にしても、いまばかりはたしなめる気になれなかった。『にゃんにゃん』の意味を問い詰める気力もなかった。
「も~~~~~~っ! そんな落ち込まないでよ! 人類の半分は女なんだからさ! ね?」
「お前に俺の気持ちがわかってたまるか……」
星の数ほど異性がいても、ひとりの人間が出会える人数には上限があるのだ。まして、あんな魂を揺さぶられる存在は……。
「でっかい図体してるくせに、ほんっっっっっっと乙女なんだから!」
いつのまにか海晴は背後にまわり込み、ヘッドロックしながら強引に俺の上体を引き上げようとした。KYなことをされたのはこっちなのに、なぜに首固めの刑なのか。
世の中、ハードで不条理すぎる!
「お、乙女だと!?」
「そうだよ! わたし、知ってるよ? お兄ちゃん、学校じゃ古くっさい恋愛小説ばっか読んでるんだもんね?」
「ど、どうしてそれを!?」
そう。海晴の言うとおり、俺は中学時代、暇さえあれば活字を読んでいた。中学ではずっとぼっちだったので、読書くらいしかやることがなかったのだ。国語の教科書なんて、何百回読破したかわからない。
ちなみに、恋愛小説ばかり読んでいたわけじゃない。
とにかく暇で暇でしかたなかったので、卒業する頃には食品の成分表示まで熟読するようになってしまった。
そんな活字中毒にもかかわらず、国語の成績は一向に伸びなかった。担当教諭いわく、『君は正答を求めすぎる』とのことだが……。
「わたしの情報網を甘く見ちゃいけないね。それだけならまだしも、家じゃ大昔のアイドルにうつつをぬかしてさ。見かけはそんななのに、どうして中身は文系、っていうかオタなのさ!見かけ倒しにもほどがあるよ!」
「うぐぐっ……」
いちいちもっともな指摘なので、反論を試みることは不可能だった。
でも、だとしても……。
「す……好きでこうなったわけじゃない!」
「あっ!? に、逃げちゃだめー!」
俺は涙ぐみながら、まといつく妹を引きはがし、脱兎のごとく自室に逃げ込んでいった。




