8.
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ギモーブとは果物を濾して煮詰めてピュレを作り、粉砂糖とふやかしたゼラチンを混ぜてとにかく泡立てていく最近隣国から入ってきたばかりの菓子だった。
作るのには根気と体力が必要で量産にはまるで向かない。
だが手間をかける価値は十分で、口に入れた瞬間舌の上でふわりと溶けだし、一気に口の中に広がる新鮮な果物の味と香りが楽しめる。
そんな繊細な菓子であるギモーヴをこちらも繊細な取り扱いが必要となるチョコレートで艶やかにコーティングするのはとても難しい。
チョコレートを熱して溶かさなければコーティングすることができないが、ギモーヴは熱に弱い。固めてあるのはゼラチンである。それが泡となっているのだから、すぐに融けてしまうからだ。ゼラチンだから舌の温度でふわりと溶けるのだ。
溶かしたチョコレートをテンパリングして艶やかに練り上げて、ギモーヴが解けださないよう温度管理をしっかりとしてコーティング作業をするしかない。正確な温度管理と手早い作業を両立させる必要がある。
楽しそうにそんな風に考察を述べながら、ヒルダは湯で軽く温めたナイフで小さな菓子を丁寧に切り分けた。
「美しいですねぇ」
「香りもいいな」
中のギモーヴは、それぞれ鮮やかな赤と緑と黄色をしていた。
「ベリーと、マスカットと、レモンでしょうか」
うっとりと美しい断面を見つめている妻ヒルダを前に、バーナードが次々に口へと放り込んでいく。
「まぁお行儀が悪い」
「ははは。うん、悪くない味だ。ヒルダも早く味わってみるといい」
もうっ、と口では言いつつも怒っている訳でもないヒルダは、素直に真ん中のマスカットらしきギモーヴを手に取り口へ運ぶ。
濃縮された、実際の果実より濃い果実の味が、口の中へと広がって、コーティングされていた濃厚なチョコレートと混ざり合って味が変化していく様をゆっくりと堪能した。
「おいしいです。とても。弾むようなギモーヴの持つ弾力と、チョコレートの蕩け方との違いも楽しいですわね」
「なるほど。美味しさとは、そんな風に表現すればいいのか」
だができるだろうかと首を傾げる愛する夫の姿に、妻は頬を緩める。
変な感心の仕方だとは思うが、いつものことでもあるのでヒルダも気にしなくなった。
「あなたが美味しいと言ってくださるだけで、私は十分ですわ」
貧乏子爵家の子女であったヒルダは、入学当初から毎日のランチに学園の食堂ではなくお弁当を持参していた。
隠れるように裏庭の隅でそれを広げていたヒルダの下へと、女生徒たちから逃げて飛び込んできたのが最上級生だったバーナード・オルソンその人であった。
食事すらままならず腹の虫を鳴らしている姿に同情して、つい餌付けしてしまったのだ。訝しみながらもチーズとハーブ入りのパンの香りの威力には勝てなかったバーナードは、一口食べて猛烈に感動したのだ。
『金なら幾らでも出す。私の分の食事も、作って貰えるよう子爵家のシェフに頼んで貰えないだろうか』
入学したて当時12歳のヒルダと最上級生で18歳だったバーナード。
本当ならば、顔すら合わさずに終わるはずの二人の関係は、そうやって始まった。
子爵家の名誉にかけて、令嬢みずから厨房に立っていると告白するのには勇気が必要だった。だが、本職でもない素人の作った料理を、侯爵家の嫡男麗しのオルソン様に食べさせるわけにはいかないと白状するしかなかったのだが。
なぜか、お弁当作りだけでなく、婚約の申し込みまでされるとは思いもしなかった。
しかもまさか本当に結婚することになるとは。ヒルダは本当に、まるで思っていなかった。
貧乏子爵家の令嬢でしかないヒルダは、料理以外の才能はまるでなかったし、侯爵夫人となるには家格も覚悟も何もかもが足りなかった。
だから実際にバーナードの熱意に押されるようにして婚約を結ぶことになっても、いつかは解消されると思っていた。
女性よけ。それ以外になにもない。ただ、傍に居てランチを共にしてもおかしくない関係として結ばれたのだ、と。
なのに、蓋を開けてみれば、最初の約束通りに社交は一切しなくてもいい。勿論してもいい。家政は頼りになる家宰に任せておけばいいし、自分で執り行いたいと思うならば家宰の教えに従って徐々に覚えていけばいいと言われて本当に驚いた。今のところ、勉強させてもらいつつおおむね素直にお任せしている。
なにもかも至らないヒルダに対して、その日の始まりと終わりには全ての確認をしにきて女主人としての地位を認めてくれている使用人たち一同にもヒルダは感謝していた。
「坊ちゃまは、結婚するつもりがないと思っておりました。このように生涯を共にしたいと熱望できる女性を自分で見つけ出して愛を捧げるようになるなど、想像もしておりませんでした」
美貌と侯爵家の嫡男という地位だけを求めて追いかけ回されることに疲れ切っていたのだという。大人びた子供であったバーナードは、十に満たない頃から年上の女性たちに纏わりつかれていたのだと聞かされて、学園での騒動を思い出して震えた。
「それは……女嫌いになっても当然ですね」
「はい。奥様と巡り会えたことはオルソン家の奇跡です」
当時のバーナードの荒んだ様子を思い出したのか、家宰からおいおいと泣き出された時は途方に暮れたが、それももう一年以上も前のことだ。
未だに、ヒルダのどこが良かったのか分からない時がある。
ただ食事が口に合っただけなら、それこそ料理人として侯爵家で雇ってくれるだけでよかったのだ。
貧乏すぎる実家にはヒルダの持参金を用意することなどできなかった。
だからヒルダとしては裕福で実家に支援してくれる平民の妻になることすら視野に入れていた。いや、それが当然だと思っていたのに。
旦那様に、見つけて貰った。
それはヒルダにこそ降ってわいた奇跡だ。
誰に指さされようとも、身の程知らずと言われてもいい。
バーナードの愛を疑って、隠れ蓑なのではないかと疑うこともない。
誰より信じている。




