24.
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手を差し出したまま、ジョイスさんが固まる。
きっと断られるなんて思ってもいなかったのだろう。ショックを受けたその表情に心が怯む。
でもそうか。私がオルソン侯爵家への転職を約束をしたから、こんな朝早くから我が家にジョイスさんがやってきていたのだ。
なのに、二日酔いのせいでその約束を思い出せないようなので、懸命に二日酔いを治してくれようとしていたのだろう。
点と点が繋がって、ようやく何かが見えてきた気がする。
オルソン閣下の忠実な侍従であるジョイスさんが、それほど必死になることなら、きっと間違いなくヒルダ様のことだ。可能性としてヒルダ様について相談したいオルソン閣下かもしれない。どちらにしろヒルダ様のためだろう。間違いない。
それは光栄なことだと思う。本気でそう思う。思っている。
けれど、やっぱり私には王宮の職を辞することなんて、できないのだ。
一所懸命勉強をして試験に受かった時の喜びや、努力して得た今の仕事を酔った勢いで手放すことなどできる筈がない。
「オルソン閣下やヒルダ様に、それほど私のことを買って頂けたことは大変光栄なことだと思います。心から感謝と謝罪をしていたとお伝えください」
腰を深く折り曲げ頭を下げる。
謝罪を受け取って貰うまで頭を上げるつもりはない。
ちょっとというか、かなり苦しいけれど、酔っぱらって気が大きくなっていたのかもしれないけれど、受けられない依頼を安請け合いしてしまった挙句に、約束自体を忘れてしまった罰だ。
でも、頭に血が上ってきて、苦しい。くっ。
苦しさに、目を閉じてうめき声が上がらないよう歯を食いしばった。
「は?」
まさか断られると思っていなかったのだろう。顔なんて確認しなくっても、その声だけで、ジョイスさんが困惑しているのが伝わってくる。
ぷるぷるしてきたけれど、頭を下げたまま続けた。
「私、まだ王宮でお仕事がしたいんです。オルソン侯爵家への転職なんてできません!」
「「「「はぁ?」」」」
なんだか想定外の間抜けな声が重なって聞こえた気がする。
ここは、深刻な空気が流れる場面ではないのか。
男爵家の令嬢が、侯爵家からその事務能力を乞われて当主である父が了承していたらしいのに、本人が勝手に断ったのだ。怒られるのは覚悟していた。なのに、なんで呆れた声が上がるのだろう。
顔を上げて確認したい衝動に駆られたけれど、ぐっと堪えて耳を澄ませる。
「あの、オーツ子爵令息。あの、これは政略結婚の申し出だったのですか?」
たぶんこれは父の声だ。ん? セイリャクケッコン、とは?
「え、でも我が家と婚姻関係を結んでも、オルソン侯爵家門に何の得もないと思うのですが……まさか、宰相ともあろう御方が、王宮内での仕事に融通を利かせろと?」
これは、兄の声。うんうん。そうだろうそうだろう。政略も何も、婚姻を望まれるような記憶はない。
噂を信じて白い結婚を壊そうとした馬鹿なのだ。オルソン侯爵家側が許してくださったからこそ、父も母も兄も知らないことだろうけど、だからって婚姻を結びたがる訳がない。
そもそも、誰と?
「まさか。婚姻を結んでまで宰相閣下の要求を叶えられるような力が、代々下っ端事務官でしかない我が家にある訳がないだろう」
兄の疑問に答えたのはまたしても父の声だ。
胸を張って主張するようなことではないと思うけれど、間違いはない。
それにしても、ジョイスさんじゃなくって父と兄が言い合いしてるのはなぜだろうか。
会話から、困惑というより混乱してる様子が伝わってくる。
ジョイスさんの声は聞こえない。
どうなっているのかまるで分らなすぎて、我慢ならなくて閉じていた目を開けると、視線だけで周囲を伺った。
父と兄の声がする方へと視線を向けて意識を集中させていた時だった。
すっと、視界の端を何かが掠める。
あ、と思う間もなく腕を掴まれた。
「ジョイスさん、わたし」
「ヘイリー嬢。もしかして、昨夜の約束について、あなたは本当に何も覚えていないのですか?」
「う……」
覚えていないとここで素直に答えてしまうには、あまりにもジョイスさんが真剣で正直に、そうですと言えなかった。
酒に飲まれた昨夜の自分が恥ずかしすぎて、言葉に詰まって黙り込む。顔すら上げらていれなくて、すぐにまた俯く。
「それとも、本当は覚えているのに、……一晩眠ったら、私からの告白など無かったことにしたくなって、とぼけているだけ?」
「え……」
告白──?
あまりにも意外な単語が聞こえて、弾かれるように顔を上げた。
私を見つめるジョイスさんの視線があまりにも痛ましいほど真摯で、どう探しても言葉を見つけることができない。
助けを求めて家族を見回す。
けれど、父も母も兄も、皆して私に呆れたような視線を向けている。
なんということだ。私が、これしかない、と信じた推測の結果はまるで明後日なものだったのだ!
目が、泳ぐ。
「…………本当に、ただ私との会話を、完全に忘れていただけだということですか?」




