15.
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「ヒルダ様、完璧です! 最高にお美しい!!」
私は感動にむせび泣いた。心の中でだけではない。実際に頬を濡らす涙の熱も感じるし、強く手を叩きすぎて拍手する手も痛い。
すぐ傍の席に座っている人たちから白い目を向けられている気がしないでもなかったが、そんなことに意識を向けることすら勿体ないと思う。ヘイリーは、全意識を入場してきたオルソン侯爵夫妻へと向けた。
全員が着席している会場へネームコールと共に入ってきたオルソンご夫妻は完璧だった。
ヒルダ夫人が動くたびに、オルソン閣下が細部までこだわった豪奢な銀とのドレスにちりばめられたアクアマリンがシャンデリアの輝きを受けて煌めいた。
艶やかに結い上げられた栗色の髪を彩るのは白金とアクアマリンのティアラ。お揃いのチョーカーとイヤリング。
自分の色でこれでもかと飾り立てた妻を愛おしげな眼差しで見つめる夫の夜会服のベストは栗色で、上着の胸ポケットには、妻の瞳の色である榛色のチーフが覗いている。
守るように腕に妻を囲い込み、幸せそうに笑う冷徹の筈の宰相閣下と、笑顔で見上げるその妻の間にある空気はどこまでも甘く、いまだ新婚のようですらある。
想像していた以上に、お似合いだった。『誰だ、不釣り合いだとか偽装夫婦だとか言い出したのは。出てこいや』と叫ぶことだけは自重したが、本当にヘイリーは力の限りそう叫びたかった。
たぶんしつこく噂を流していたのは、先ほどヘイリーに絡んできたご婦人だけではないのだろう。親族にもいたらしい。
「ウソよ」とか「話がちがう」といった絶望混じりの怨嗟の呟きが、会場内のそこかしこから聴こえてくる。
その不快な声を掻き消すつもりで、ヘイリーは叩く手に力を籠めた。
「そんなに力を籠めていたら明日手が腫れあがって書類が書けなくなってしまいますよ」
グラスに酒を注ぎに来る振りをして近づいてきたジョイスが囁いた。
「いいの」
「化粧も崩れてますよ」
「いいの」
「明日になったら、目も腫れてるかも」
「いいのよ! 黙っててよ、今感動してるんだから」
「いいんですか? 今宵のカトラリーは銀です。かなり重いですよ」
はっとしてテーブルにセッティングされたそれに目を移せば、ヘイリーが知っている物よりずっと厚みのある銀のナイフとフォークがずらりと並んでいる。
拍手のし過ぎで食事中に取り落したり、この晩餐会で粗相する訳にはいかない。
「そ、そうね。このくらいで勘弁してあげることにします」
「勘弁って」
くくくと笑い出したジョイスに腹は立ったけれど、一瞬で消えた。
何故ならオルソン閣下の挨拶が始まったからだ。
「親族一同集まるのは久しぶりになってしまった。だが愛する妻と共に、再び皆を迎えることができて嬉しく思う。今宵は私が世界で最もおいしいと思う料理を用意した。ぜひ最後の一口まで味わい尽くして帰ってほしい」
あまり聞いたことのないような主催者の開会の言葉に、ヘイリーの口元がむにゅむにゅっと蠢く。むず痒い。
それでも、周囲に合わせてグラスを手に取ると「乾杯」の声に合わせて掲げて口をを付けた。
果実酒の華やかな香りが鼻を擽る。
「おいしいわ」
思わずそう口に出してしまったのはヘイリーだけではなかった。
口に出さなかった者たちの目も、驚きに見開かれている。
おいしいに決まっている。
ワインに果物と蜂蜜とあとヘイリーの知らない何かが混ぜられて漬け込んであると言っていた、ヒルダ様特製の果実酒だ。
客側で唯一人このお酒のおいしさの理由を知っている者として、ヘイリーは自慢げにくいっとグラスを干した。
「おいしい。何杯でも飲めちゃう」
なのに、給仕にきたのはまたしても侍従だった。
頼んでもいないのに、水をグラスに満たしていく。
「飲みすぎて、後半酔っぱらわないように気を付けてくださいね」
「そんな心配要りません」
どんどん出てくる食事の数々。
まずは突き出しとして、一緒に入っているベシャメルソースの滑らかさが絶品の一口で食べられるマスのパイ、干しブドウと炒ったクルミがアクセントの南瓜のマッシュ、飾り切りも美しい野菜の酢漬け、キャラメリゼされた木の実には黒胡椒が振ってある。前菜は、コクはあるけど臭みがまったくない赤と白のモザイク模様が綺麗なレバーのパテ、色とりどりの野菜がゼリー寄せになった宝石箱のようなテリーヌ。スープは、カリカリのクルトンの浮いた透き通る黄金色をしたコンソメ。魚料理は、カリッとした食感の衣の中の魚は身がふわふわで蕩けるような旨味がぎゅっと詰まった白身魚のムニエル。口直しには葡萄の白と赤の二種類のソルベ。肉料理は、赤ワインを煮詰めたソースに負けない脂と肉の旨さの塊である鴨のコンフィはナイフがすっと通るほど柔らかくて感動しかない。その後、うっすらと纏ったドレッシングがきらきらと輝く新鮮でシャキシャキな葉物野菜のサラダに薄切りされた熟成チーズが出されたところで、一息つく。
いや、つけない。生野菜とチーズなのに、足をジタバタとさせたいおいしさなのってどういうことなんだと叫びたかった。
次々と新しい料理がサーブされる度に食通を自称する招待客たちから言葉が奪われて、会場に広がるのは感嘆のため息ばかりだ。
誰にでも伝わる簡易な表現を極めるのが仕事であるヘイリーですら、ヒルダ様の作った料理を食べたことがない人に、完全に伝えることができるとは思えなかった。
それほど、どの料理もおいしすぎて食べる手が止まらない。
「どれも語彙力が消失するおいしさね」
噛みしめるごとに口の中へ広がる美味しい幸せにヘイリーが思わず呟くと、周囲から無言の頷きが返ってきた。
会話を交わすために言葉を探すのも食事の邪魔だと拒否したいけれど、言葉には同意だという気持ちが伝わってきて、ヘイリーは満面の笑みを浮かべた。
今すぐ「ヒルダ様の料理、最高すぎ!」と叫びたい。
けれどヘイリーは、そこでグッと我慢して心の中でスタンディングオベーションを贈るだけにした。




