2.私だけの戒め
深琴は卑怯だ。
人を内部から侵略したくせに、毒を溶かそうと必死になっている。
そんな弱々しい姿を見せないで。
ずっと恨ませてよ。
謝られたら怒りの矛先が迷ってしまうから、永遠の極悪人でいてくれよ。
「オレ、本気なんだ。本気で穂乃花が好きだ。だからずっとずっと、オレの嫁さんなんだって信じてた」
「ほんと……意味がわからない。私、あなたとどこで会った? 全然……覚えがないの」
こんな強烈な存在なら忘れるはずがない。
ましてや結婚という重大な話をするならば、たとえ断っていたとしても必ず覚えている。
「いつか思い出してくれ。穂乃花に、気づいてほしいからさ」
傷ついているのはこっちなのに。
そんな壊れそうな微笑みをされるとこっちが悪いことをしたみたいだ。
胸がジュクジュク痛みだし、喉奥が詰まって声が出せない。
そんな罰の悪さに俯いていると、頭上でクスリと笑う息漏れがして、手首から指を絡ませる繋ぎ方に移った。
「絶対に穂乃花から好きって言うから。しつこくても待ってるから」
「はっ……あ、ありえない! ありえないんだから!」
深琴の手を振り払い、ホットケーキの残りを頬袋に詰め込むと荒々しく立ち上がる。
このまま逃走してしまいたいところだが、それをグッとこらえて私は深琴へと振り返った。
「ありがとう! ごちそうさまでした!」
今の私には払えるものがない。
着物まで用意してもらい、食事まで提供されては相手が誰であろうと世話になっている状態だ。
ここで人としての礼儀を忘れては女が廃る。
深琴と婚姻関係が結ばれた以上、逃れようのない縁が出来てしまった。
ならばせめてこれ以上、嫌な思いをしないためにも譲れないことは貫いていこうと胸に抱いた。
「ははっ。どういたしまして」
あれだけドロドロと内側を侵してきたくせに、笑うと無邪気に見えるのは卑怯だ。
本当にただ、私を好いて行動が行き過ぎてしまっただけに見えてしまうから、段々と怒り方も悩ましくなっていた。
「待って」
再び手首を掴まれて振り返ろうとすると、深琴の体温が耳をくすぐってきた。
何だと疑問に思うより先に、耳たぶを冷たさが挟み、重みを下げていた。
「なっ……何したの? これって……」
「オレとお揃い。オレの気持ちはずっと穂乃花に向いてるんだって証明だ」
ぞわっ。
甘ったるい告白のはずなのに身震いしてしまう。
深琴が本気なのはわかるようになってきたが、わかるだけに私の気持ちが追い付いていないので負担でしかない。
耐え忍ぶ以外の選択肢を知らない私にとって、物理的な贈り物はますます逃げ道を奪っていった。
今はとにかく、耳が汚染されている気分なので即座に取っ払う。
手のひらに転がった装飾を見下ろすと、深琴が両耳につけていた片割れが光っていた。
(瑠璃の……耳飾り?)
本当に大事にしているものではないか? と困惑に振り返る。
慈しむような愛情深い眼差しが向けられていると知り、その瞬間だけは不快感よりも頬への熱が目立った。
「今はいい。でも持っててほしい。いつか穂乃花がオレと本当の夫婦になってもいいと思ったら着けて」
「ば……かじゃないの。そんな日は来ない……」
「それはオレの努力が足りなかったってことだ! あの日の言葉、オレは信じてるから」
愛情のにじむ眼差しに気づかないほど、鈍くない。
出会ったばかりでなぜ?
いや、深琴にとっては出会ったばかりではないんだ。
長い間ずっとずっと、一途に想われていた。
身に覚えがないとはいえ、恋い慕われる気持ちをぶつけられたことがはじめてのため、受け止め方がわからない。
キモチワルイと思うもやもやと、好意を持たれる人としての喜び。
答える日はないだろうという罪悪感。
(やだ……。頬、熱い? 耳も……?)
あんなにも不愉快さだらけだったのに、一体どこへいった?
こんなのは間違っている!
手のひらで踊らされているみたいだ。
(何で守里ちゃんはこんな奴を大丈夫だって思うの? 私には占いの力もないし、植実ちゃんみたいに……)
姉妹の一人を思い浮かべては胸が苦しくなる。
きっと私と同じように目を覚まして、今もこの空の下のどこかにいる。
守里は今、幸せそうに見えた。
まだ話しきれていないけれど、あの家に住まわせてくれている男の人が守里を大切にしてくれているのだろう。
ほんの僅かな時間でも、それが伝わるくらいだ。
八ツ俣封印のために、その幸せを奪ってしまうのが心苦しいほどに。
「……ごめんなさい」
その呟きは誰にも聞かれなくていい。
私だけの戒めだ。
守里も、他の姉妹も、短くても幸せに過ごしてほしい。
その先は長女とたくさん話し合って、みんなで決めればいい。
八人姉妹はいつでも運命共同体で、みんなで道を選んできたから――。




