9.VS八ツ俣
暁月村の天候は特に荒れて地盤が崩れていた。
八恵がたてがみを震わせて周りを包むように結界を展開する。
本格的な戦いが火ぶたを切った。
「ひでーな。村のみんなは大丈夫なのか……」
育った地がこんな悲惨なことになってしまい、深琴の声はいつも以上に沈痛だ。
目的は千種の奪還と八ツ俣を完全封印すること。
暁月村を飲みこむ程に巨大な身の八ツ俣は、その名の通り八つに盛り上がっている。
八つの首と尾が生えており、そのうちの本体らしき頭上に鏡をもった千種が立っていた。
「千種ねぇっ!!」
千種の持つ鏡から血の弾丸が飛び出す。
八恵が結界で守ってくれるものの、八ツ俣の威力は恐ろしく、時々結界をすり抜けて八恵の胴体を赤く濡らしていった。
強い瘴気に八恵の瑞々しい身体は汚染されていく。
私が浄化を試みようとするが、数の暴力に手が追い付いていなかった。
「あれが八ツ俣の本来の姿か……?」
八ツ俣をはじめて見る深琴の額に汗が滲む。
巨大な身体は化け物というより、崩れた山が重なったような背景にしか見えない。
ほおずきに似た赤い目に、龍の胴体。
腹の部分を血だまりに浸し、鋭く太い爪で大地を抉り、ニタリと笑っていた。
『水神が力を貸したか。八恵、その身を俺には許してくれないのか?』
耳を越えて頭の中まで侵食する低い声。
それはすでに千種を通して発しているわけではない。
となれば鏡を持つ千種は、八ツ俣の荒々しい面に感化された状態のはず。
私は薙刀を構え、八恵を守るための鋭い刃になろうと八ツ俣を睨みつけた。
「八ツ俣! あんた、もうちょっと八恵ちゃんに優しくしなさいよ! 好きになってほしいならそれなりの努力をしなさい!」
『勇ましいな。だからお前たちはこの娘を理解できない』
「だったら努力するまでよ! 千種ねぇは取り戻す! あんたは私たちが絶対に封印するんだから!」
私の威嚇に八ツ俣は高笑いをする。
ほんの少し八ツ俣が動くだけで身体を覆う苔が剝がれ、そのたびに土砂が暁月村の跡地を下へ下へ押しやっていた。
『この女はすぐに折れた。鏡もすぐに力を消失した』
千種は姉妹の中で一番の努力家で、巫女として誇り高い人だ。
八ツ俣に隙をつかれただけであり、決して心まで敗北するような人ではない。
だからまるで千種が負けたみたいに言うのははらわたが煮えくり返る。
そしてそれを本人の意志のように嘲笑うのは断じて許せるものではなかった。
“なのに愛されるのはいつも八恵ちゃん”
(違うよ。千種ねぇは大事なことを見落としてるよ)
千種が姉妹を大切にしてくれたから、全員が愛する喜びを知った。
村人をはじめ、たくさんの人を助けていく巫女としての生き様に刺激されてきた。
八恵のことが大事なのも、水神様のいとし子だからじゃない。
千種が大事にしてくれた分、素敵なお姉ちゃんになりたくてみんなが一生懸命になった結果だって、伝えたいよ。
『少しささやけば揺れた。愛とはまやかしだな。それでもこの女は受け入れた』
ドクン、ドクンと身体中で音が鳴る。
薙刀を握る手に汗がにじみだし、最悪な不快感に歯を食いしばった。
そうか、こいつは千種に毒を飲ませたんだ。
千種を根底から支配するおぞましい毒に、私の価値観は粉砕された。
『お前もよく似ている。そうして男にすがっていなければ立ってもいられない』
「あーもー! さっきからふざけるんじゃないわよ!」
この激昂に手の甲からビキビキと血管が浮き上がる筋肉のこわばりが私を震わせる。
体内が沸騰している錯覚を起こすくらい、興奮して呼吸が荒っぽくなった。
「千種ねぇ! 聞こえる!? 私たち、お姉ちゃんを迎えに来たよ!」
強風が横殴りに雨をぶつけてくる。
煤混じりの黒い渦がいくつも空に伸びていき、濁流が千年残っていた緑を押し流す。
失うものは多くて、千年前から変わらない価値観で生きてきた。
今でも考え方の根本は変わっていないかもしれない。
(だけど今は女の人でもあんなにオシャレを楽しめる! 甘くて頬が零れ落ちる食べ物がある! 女の人でも学び舎に行き始めている!)
これから時代は変わっていく。
その発展途上の世界なんだ。
だったら八人姉妹を縛っていたものだって、新しく書き換えたっていいはずだ。
もう、ここには姉妹を大切に思う愛だけが残っているんだから――。
「千種ねぇ! 私、旦那さんが出来たのー! 相手は知ってると思うけど深琴なのーっ!」
「えっ!? 穂乃花、急にどうし……」
頑なに否定してきたことを自分から言い出す異常事態に、一番動揺したのは深琴だった。
素っ頓狂な声を無視して、爆発する愛情を千種に伝えたい。
今はそれだけだ。
「無理やり唇を奪われて! 不本意だけどお嫁さんになったの! すっごく悔しかったし悲しかったよー!」
許さない。
許すわけにはいかない。
それだけ傷ついたし、胸が引き裂かれて、心臓が圧迫されてこのまま消えてしまいたいと思ったくらいだ。
姉たちへの懺悔の気持ちがなければ耐えられなかった。
いくら深琴が反省して、支えようと並走してくれたとしても、根底にあるやるせなさはずっと残っていた。
「だけど一緒にいようと決めたのは千種ねぇに再会してからだよ! 心からお嫁さんになりたいって思ったのは深琴を好きになったから!」
愛情はいつでも正義になるわけではない。
愛が人を壊すこともある。
それでも不安定になれば深琴が支えてくれた。
信じたくないと拒絶し、信じきれないと受け入れなかったのに、諦めずに待ってくれた。
受け止められない現実を少しずつ受け入れていって、溢れ出す好きを信じて、幸福を願えるまでに至ったんだ。
「千種ねぇが受け入れられないなら私がいる! 支配なんてされなくていい! 信じたくても信じられないかもしれない! それでも伝えることは止めないから! 私は、私たちは! 千種ねぇが大好きだー!」
「そうだ! 千種ねぇ! あたしだって千種ねぇが大好きだ! 育葉と生きていけたのも千種ねぇが支えてくれたからだ!」
「きゅーっ!」
私の叫びに夏生、八恵と続く。
悔しい気持ちは同じだ。
夏生は弓を構え、八ツ俣の目玉を射抜こうと雨で視界が悪い中弦を引いている。
勝手な想像かもしれない。
だけど唇を奪われたって心は自由だ。
昔は許されなかったかもしれないけど、今は選べるんだ。




