7.泣き虫な妹
ズズッ……。
鈍い地響きが鳴り、岩場から小石がパラパラと落ちていく。
八恵が動いた。
岩を動かして隙間からのぞき見をしようと白い手が伸びてきた。
「妹ちゃんよぉ、出てこーいっ!」
「ひぃ!? ひぃやあああああっ!!」
このチャンスは逃さないと、深琴は岩場に飛びついて白い手を思いきり引っ張り出す。
――ベショッ……と、情けない音がした。
小柄な少女が岩場から倒れ出る。
八ツ俣封印の儀式で着ていた白衣をそのままに、やけに小ぎれいなままの姿をした愛らしき妹だ。
「ど~も。はじめまして。穂乃花の夫になりました深琴でっす!」
「ひぃああああ! 男! やだぁ!」
「いでっ!」
しゃがみ込んで名乗る深琴に、八恵は鼻水を垂らして思いきり深琴の頬を平手打ちした。
妙な既視感を抱くも、私は怯えさせた深琴が悪いと肩を落とし、八恵の前に膝をつく。
「やーえちゃん。お姉ちゃんだよー」
「ぐすっ……穂乃花お姉ちゃん……」
くせのある胡桃色の髪を撫で、赤紫色の瞳に浮かぶ涙を指で拭った。
「うん。会いたかった。ずっと会いたかったよ」
「うっ……うええぇぇ……。ええええんっ!」
「も~、相変わらず泣き虫だなぁ」
八恵はべそべそ顔で私にしがみつく。
子どもの時から泣くのが仕事のようなもので、繊細で純粋な子だから特別なのだろう。
水神様に愛されたいとし子。
(こんな泣き虫な子が裏切るとは思えないけど……)
妹の心は一つだと信じていた。
……それも、私が恐怖にのまれるまでの話だが。
「八恵たん、久しぶりね」
八恵が出てきたことで絢芽が素早く前に飛び出してくる。
久しぶりに見る絢芽の鉄仮面に八恵は短く悲鳴をあげるも、涙を拭ってくしゃりと笑った。
「絢芽ちゃんが相変わらずでうれしいよおぉぉ」
「ワタシもうれしいわよ」
絢芽は白いハンカチで念入りに八恵の頬を拭う。
雑なようで意外にも丁寧な絢芽のやさしさに八恵はハンカチを奪い取り、鼻水を噛んでいた。
「穂乃花お姉ちゃん、結婚したの? その人、夫って言ってた」
いかにも高級品な絹のハンカチを台無しにすると、八恵はジト目で深琴を一瞥する。
「そうだ。穂乃花の夫の深琴だ」
対して深琴はニンマリと誇らしげに答えていた。
深琴からすればスキンシップの回答だが、八恵にとっては世界の終わり級の衝撃でしかない。
「穂乃花お姉ちゃんが人妻なんて……。やだぁ、やだよぉ」
むしろこれが正常な反応のような気もしてきた。
今まで姉妹が深琴に対して好意的だった。
いくら姉たちの前ではいい顔をする深琴でも、八恵を落とすのは難攻不落の技。
散々私を振り回し、毒を浴びさせてきたのだから「ざまぁみろ」とほくそ笑んだ。
「さて、八恵たん。今持っている勾玉、出してくれる?」
再会の喜びはここまでだ、と絢芽が本題を切り出す。
「ダメッ! 勾玉、集めちゃダメ!」
八恵は顔面蒼白になって岩戸に戻ろうと四つん這いになって逃げようとする。
だが絢芽がそれを許すはずもない。
「どういうこと? ちゃんと説明しなさい。八恵ちゃん」
上から飛び乗り、八恵の動きを抑え込んでいた。
本人は至って冷静なのだが、他人から見れば表情がなさすぎて怒っているように見えてしまう。
「だ、だって勾玉が集まったらアイツが出てきちゃう……」
アイツとは八ツ俣のことだ。
八恵はいつも八ツ俣を化け物ではなく、対等な存在として毛嫌いしていた。
おそらく八恵を加護する水神様の影響だろう。
「どうして? 奴はいま、鏡の中に仮封印されている。勾玉が集まれば今度こそ、封印の儀が出来るのよ?」
「違う! 今は勾玉の力だけで封印されているの! 勾玉が鏡から出る鍵になってる! 今のアイツならすぐに封印を割ることだって出来るんだ!」
これまでの疑問はすぐに別の疑念に移り変わる。
八ツ俣の現状は仮封印。
鏡の中に封じられていることで、八ツ俣が抑えられていると思っていた。
「勾玉が一か所に集まったら今度こそ八ツ俣は出てきちゃう! ただでさえギリギリのところで保ってるのに……」
八恵の言い分が正しければすでに遅いこと。
勾玉は今、集まっているはずだ。
八恵が私の勾玉を持っていれば――。
「まるで鏡は働いてないと言いたげね。そもそも儀式に失敗したのは剣が不能だったからでは?」
「……違う」
八恵は絢芽に押しつぶされたまま、耳を塞いで震えだす。
何も聞きたくない、見たくもない。
そんな頑なな拒絶が見て取れる。
それを見過ごしたり、見守るやさしさを絢芽は持ち合わせていないけれど。
「剣は八ツ俣の動きを封じれなかった。鏡だけで八ツ俣を抑え込んでいるから力が不十分。今、三つがそろえば完全封印が出来るのに?」
「……むしろ剣の負担が大きかったの」
絢芽の追及に八恵はふてぶてしく告白する。
やはり足りていなかったのは剣の力だと言っているが、それにしては不可解な言いぐさだ。
「八恵ちゃん。話してくれないとわからないよ。……教えてほしいな」
私は八恵の前に膝をつき、耳を塞ぐ手をそっと包み込む。
八恵は真っ赤になった瞳に透明の水膜を張り、感情が決壊して歯をカチカチと鳴らした。
「儀式がはじまって千種お姉ちゃんが倒れて気づいた。失敗するって。だから最後、剣と勾玉だけで仮封印をした。鏡が揃わないと完全な封印は出来ない。あの時、あたしは気づけなかったの」
「気づけなかったって……」
その言い方では鏡の力が働いていなかったと告げているようなもの。
もしそれが事実だとすればすべてがひっくり返る。
「三つ揃っても抑えきれないから私たちは人柱になろうとしたんだよ? 千種ねぇがそう言ったから……」
「……千種ねぇの言葉じゃない」
「えっ?」
どういう意味――と問うより先に空には一気に暗雲がかかる。
ゴロゴロゴロ……ビシャアアアアアアンッ!!
真っ黒な雷が暁月村の方角に落ち、晴れ模様から一転、雨粒が激しい音をたてて降り出した。




