6.甘く吸うように
「穂乃花っ!」
その影響か、深琴の声に心は悲鳴をあげて鑢は鋭利な刃となった。
「深琴。戻ったのね。おかえりなさい……」
怯えるばかりの私に、何が起きたかを把握していない千種の語尾は曖昧になってしまう。
「戻りました。……すみません。穂乃花と話がしたいので、報告はまた後で」
「いやっ! 何も聞きたくない!!」
ずっと見たくないもの、聞きたくないものに耐えてきた。
八ツ俣を封印するまでの辛抱だと無理やり足に力を入れて歩いた。
道中、その足が何度も折れそうになったけれど、深琴は献身的に支えてくれた。
拒絶していたものが慣れたせいか、いつのまにか受け入れていたけれど、根本的に間違っている。
深琴は私の気持ちを無視して唇を奪った強姦野郎なのだから。
「あー……。なるほどね」
お互いに一歩も引かない事態に、千種は私の乱れる理由を察したようだ。
私の後頭部に手を回すと、胸いっぱいに酸素を取り込んだ。
「穂乃花ちゃんを泣かせたらダメよ! 穂乃花ちゃんは人一倍頑固で融通が利かないからちゃんと時と場所を選んでお話しないとややこしくなるの! すっごくロマンスに憧れてるから人前に出るのは恥ずかしがるし自分はどうだ他人はどうだと――」
「わーわーっ! 千種ねぇストップ! ちゃんと話す、話すからやめてぇぇ!」
千種の早口な暴露に私は慌てふためき、口を押さえにかかる。
早口に詰めていくのは千種の気づかいが空回り続けた果てのクセ。
これ以上羞恥心をあおられるのは耐えられないと、私は己の壁を打ち破って泣き叫んだ。
「本気だから傷つくの! 本気だから感情が揺さぶられるんだよ!」
この擦り切れ方も、抉られる足の裏の痛みも。
全部が全部、深琴が私を毒に染めてしまったせいだ。
あの日、とっくに毒を飲まされて思考は麻痺し、執着を一途と勘違いしてしまうほどに壊れていた。
「ごめんなさい。この気持ちは最初に言うのは深琴がいい」
涙を拭い、震える声で弱音のような強い想いを口にする。
「大丈夫よ、穂乃花ちゃん。いってらっしゃい」
私の訴えに千種はおだやかに微笑むと、周りで見守っていた子どもたちの手を引いて離れていく。
今まで突っぱねるしかなかったけれど、はじめて鍵をかけてきた感情を開けた気がする。
千種の前では特に妹の顔になってしまうと、私は濡れた唇を丸めて顔を上げた。
「深琴。その、私……」
「待って! ちょっと、待ってくれ……」
深琴は顔を真っ赤にし、それを大きな手で隠して背を向けてしまう。
「大事なことだ。中途半端に言いたくねぇ。だから……少し待ってくれ」
(耳まで真っ赤……。なんでこんなわかりやすいんだろう)
十分なほどに一途なことはわかった。
なのに信じきれなかったのは私の問題だ。
大切な唇を、どうしてもあんな形で重ねたくなかった。
もっとやさしい粉雪のように。
花弁に唇を触れさせるように甘く吸ってほしかった。
「村の奥に小さな神社があるんだ。夜、落ち着いたらそこに来てほしい。……ダメか?」
曖昧に首を振りたかった。
でも曖昧にはしていられないと、明確に頷いた。
赤い鳥居のすぐ脇に湧水が溜まる水場があり、その水が村に潤いを与えている。
その場所がどこなのか、かつての私が知っていた。
きっと今日の月は今までで一番惑わす光を放つだろう。
どうかこの心が砂となって崩れることがありませんように。
涙するなら夢を描いてきた女の子になって透明色を頬に伝わせられますように。
千種の暮らす木造の平屋に入ると、千種が集まった姉妹にとお茶を用意してくれた。
囲炉裏を囲んで茶を飲んでいると、姉妹との再会にニコニコする千種から話を切りだした。
「みんな、ここまで来てくれてありがとね。苦労をかけちゃってごめんなさい」
「大丈夫よ。ワタシは楽しんできたから」
「うみもいーっぱい楽しんできたよ」
千種の言葉に全員が再会を喜ぶ気持ちを表現する。
姉妹を大切に想う気持ちは皆同じだと、やさしさと甘えたがりの声色をしていた。
「道中、それなりに稼いだわ。よかったら使ってちょうだい」
絢芽がフリフリの巾着袋を畳に置く。
ドスッと重い音がして、それを千種が受け取って中身を見れば長いため息を吐いた。
「絢芽ちゃんってば相変わらずね。慈善の心をもたないと」
「安全に旅をするには必要。ちゃんと歌ってきたから問題ないわ」
絢芽は歌が上手く、音の領域で破魔の力を増幅させる。
鎮魂歌を歌うときだけは女神のように微笑んだり、涙を流したりと心を揺さぶられる熱さがあった。
「そうだ。わたしね、聞きたいことがあったの。……穂乃花ちゃんの勾玉を持っているのは八恵ちゃん?」
「えっ!?」
「やっぱりそうなの? わたし、あの時焦っていて、八恵ちゃんのことまで気に留められなかったの」
八ツ俣を封印する儀式より前。
自分たちが人柱となり、神器をもって八ツ俣を封じようと決断したときのことだ。
鏡は千種、剣は八恵が守手として所有していた。
八恵の守っていた剣をとある男性に託し、全員で陣を張って儀式を開始した。
剣士が八ツ俣を斬りつけて弱ったところを姉妹全員で封じる。
……そうなるはずだった。
千種から順に姉妹が倒れていく地獄のような光景を見た。
死を覚悟していたのに、姉たちが不可解に倒れていく姿を私は恐れてしまった。




