6.嫁になった瞬間
「ありゃ、ホント。深琴様がかえってきとる」
「まじだ! おーい、深琴!」
「相良! 久しぶりじゃねーか!」
こんがり日焼けしたがっしり体型の男性が坂を駆けあがり、深琴に体当たりの勢いで肩を組む。
そういえば同じ年頃の同性と話している深琴は新鮮かもしれない。
遊佐は比較的年齢が近そうだったが、同年代という点では相良と笑いあう深琴の笑顔は無邪気だった。
「穂乃花! こいつ、相良ってんだ! オレの幼なじみ!」
そうやって目を輝かせて紹介されると、心臓がドキッと馬鹿正直に跳ねてしまう。
「うおおお! めっちゃキラキラした人たちがいる! なんだこの人たちは!?」
ずいぶんとリアクションがこてこてのものだ。
まぶしいと手で遮り、好奇心にチラチラとのぞき見をしてくる。
目が合うとニッと歯をみせて笑いかけてきて、ずいぶんと人懐っこく夏の陽射しみたいだった。
「戻ってきたってことは深琴! ついに……!」
相良の期待に深琴は腰に当てて鼻を高くする。
「嫁さん、見つけてきた」
あるべき回答ではなく、私はつい相良に感化して項垂れる。
そこは剣が直ったというべきなのに、深琴は相変わらず論点が「嫁」だ。
「あんたが嫁さんか!?」
「えっ!? えっと……!」
期待の眼差しに引け目を感じていると、相良が興奮して私の手を掴みにくる。
そうだけどそうじゃない。
だんだんと反論が難しくなってきた。
唇を奪われたから不服ながらも嫁ぐことに。
だけど自分でも気づきだしている。
嫁でいる理由はそれだけではなくなってきたと。
口にして言語化したくないし、認めたら敗北してしまうから頭の中で何度も否定するけれど。
「よかったなぁ、深琴。もう一人で抱えなくていい――」
「あいやぁ! ホントに深琴さまがおるで!」
「深琴くんおかえり! よう帰ってきた!」
「無事に戻ったぞー! 心配かけたなぁ!」
相良の声を遮る形で村人がわらわらと笑顔で集まってくる。
中には絢芽の美に倒れる者や、植実のかわいらしさにほのぼのする人たちもいた。
深琴はみんなに愛されているんだな、とじんわりほっこりするとともに、知らない一面に針がチクリと刺さった。
「嫁さんとはどういった出会いで!?」
遠慮のない追及に深琴がポッと頬を染め、見せびらかすように私の肩を引き寄せてくる。
「唇を奪われちまって。いや、奪ったというべきか? やっと見つけたからつい、気持ちがあふれてな」
深琴の告白に歓声があがり、ヒューヒューとヤジが飛んでくる。
聞き間違いかと思ったが、訂正する気のない深琴に身体から一気に熱が引いていった。
「やめてよっ……! そんな言い方だとまるで私からしたみたいじゃない!」
訂正を求めたが、村人たちは照れ隠しと思ったようで余計に盛りあがる。
深琴はまわりにおだてられ、ヘラヘラして私をなだめようと頭を撫でてきた。
「ずっとその辺あいまいにしてたけど。先に唇を奪ったのは穂乃花だよ。まぁ、あの時はたしかにオレからだけどよ」
皮の厚い親指で私の唇を押されると、あの日の衝撃が脳裏に過ぎった。
足先から凍り付いていくのに、顔にだけは熱がたまっていってうまく発散できない。
心なしかめまいもしてきて、頭には亀裂が入るように痛みが走っていた。
(なにこれ。ぐちゃぐちゃする。あの日……ううん、それよりもっと前?)
深琴の顔が頭の中で駆け巡る。
だけど知っている深琴とはどこか違う。
(若い? なんで……知らない。知らないよこんなの!)
「私じゃない!」
どちらの顔も歪んで見える。
いっそのことかき消したい。
私から口づけしたわけでもなく、されたいと願ったわけでもないのに何故たった一つの出来事にこうも振り回されないといけない?
全部全部、深琴のせいだ。
深琴の言葉も行動も、私には凶器となり血を流すものだった。
「バカにしないで! そんなにキスしたいなら他の人と勝手にすればいいのよ!」
「なっ――! おい! 穂乃花!?」
名前を呼ぶ声さえ心を乱してくる。
もう嫌だ。
顔も見たくないし、頭の中にこびりついた姿は投げ捨てたかった。
深琴を突き飛ばし、薙刀を投げ捨てると全力で坂を下っていく。
(やっぱりキライ! 深琴なんてダイキライなんだから――!)
「えっ! 穂乃花ちゃん!?」
風が稲穂のやわらかな匂いとともに、少し早い冬萌の気配が鼻をくすぐった。
だんだん畑を下った先に、子どもたちに囲まれた姉の姿。
「千種ねぇ!」
千種の顔を見て、涙腺は崩壊した。
子どもみたいに泣きじゃくって、幼い私の面倒をずっと見てくれた人。
八人姉妹の長女でありながら、慈しみ深い愛情で抱きしめてくれたみんなの大好きなお姉ちゃんだ。
「よく来てくれたね。がんばったね、穂乃花ちゃん」
「うっ……千種ねぇ、わたし……」
濡れ羽色の長い髪が私の頬をくすぐる。
風が吹くたびに一本に結った三つ編みが揺れ、かっちりと着こなした巫女装束から甘い匂いがした。
やさしく抱きしめ返してくれる千種に、何度も鑢で削られてきた心がさめざめと涙する。




