始まりの旅
恐らく初めてであろう旅の話を書いてみようと思う。
まずは「男」となってみた。
なんとなくで、特に深い理由はなかったが、敢えて言うなら「男」の方が生きやすそうに思えたからである。
そして、ある家にて初めての肉体を得た。
この生家は、神職に携わっており、「私」も当然その道へ進むこととなった。
この神職の家が祀る社には、「私」が暮らしを共にした家主とは別の存在が既に祀られているようだった。
しかしながら、先住の者は私に興味がなかったのか、それとも、あの家主のように無口であったのか
、それとも家主と何らかの取り決めがあったのか分からないが、特にあちらから何か言ってくることもなかったので、こちらとしても生家の家業上、丁寧にお祀りしていた。
そうした日々を過ごしながらも、人生を楽しんでいたある夜のこと。
そろそろ寝ようかと床に入る準備をしていると、突如「私」を呼ぶ声がした。
久しぶりに聞いた声だった。
初めての「旅」であったし、「私」自身は、まだまだいわゆるホームシックなるものにはなっていなかったが、家主の方が先に音を上げたのかもしれない。
「迎えに来い」とのことだった。
しかしながら、もと居た「家」の場所が分からない。
すると、家は、ここより離れた場所であり、何日も歩かねばならないとのことであった。
このお迎えの旅路は、現代では車、あるいは電車などを乗り継げば一日かければ往くことが出来る距離ではあるが、当時は何日もかかるものであった。
それに、村と村の間は不安と、暴力の蔓延る怪しいものであった。
「好奇心旺盛」であると共に「怖がり」。「執着心」はないが、「伴がほしい」、「お気楽」ではあるが「用心深い」。
そのような性格なもので、呼ばれたからと言って、すぐにフットワーク軽く迎えに行く気にはなれなかった。
家主は「迎えに来い」と言うが、先住の者の世話が忙しいなどと、なんだかんだ理由を付けて、先延ばししていたが、それでも家主は「私」を呼び続ける。
どうしたものか?
しばらく考えたのち、突如良いことを思いついた。
伴が必要なのであれば、伴を探せば良いと。
当たり前のことではあるが、あまりに当時は現実味がなかった。
というのも、家主の声が聞こえない人間に、このような荒唐無稽な話が通じるとも思えず、それに現代と違って、各地から募集するような事も出来ず、村の中で見繕わなければならない。
しかし、日々呼ぶ家主をこれ以上無視もできず村内で誰か居ないかと思いを巡らせていたが、ふと、ちょうどよい人物に思い至った。
なぜ、これまで思いつかなかったのか。
伴に良さそうだと選んだのは、村では知恵遅れなどと表立って馬鹿にされてはいたが、心優しく、なにより当時にしても体が大きく、赤ら顔に筋の通った鼻という、特徴的な面立ちの男である。
体格が大きく、顔立ちも目立つものだから、悪目立ちしたのか、村での居心地は悪そうだった。
しかしながら、どんなに居心地が悪かろうと、この夢想とも取られかねない話を持ちかけたとして、当然断られるだろうと踏んでいたが、意外にもすんなり承諾が得られた。
あまりにアッサリしていたので、すっかり拍子抜けしてしまった。
そこでコチラから誘ったにも関わらず、なぜこの旅路に付いて来てもよいと思ったのか興味を持ち、理由を聞いてみた。
すると、「このまま村に居ても馬鹿にされるだけであるが、伴になれば少しは皆の目も変わるだろう」ということであった。
なるほど、それは一理あるかもしれない。
こうして伴になったわけであったが、何故か懐かしさもあり、何か不思議な縁を感じた気がする。
そうして我々二人はある社へ家主を迎えに行ったのである。
やっとたどり着いた家を前に、あることに気がついた。
この家主を祀っている人間に、どう説明したものかということである。
一応、「家主」が呼ぶので、迎えに来た旨を伝えてみたが、怪しまれ、あっという間に追い出されてしまった。
そして、不敬ではあるが家主にふつふつと苛立ってしまった。
「私」を呼びつけておいて、家を管理している人間に話をつけていないとは、どういうことか。
しかし、相手は人間。伝達役の居なくなった家主にとって、意思を伝える術がなかったのかもしれないが、どこまでいっても、我々は楽天的だったのだろう。
とはいえ、無理に押し入って、家主を連れて行こうものなら、社の世話をする人間にとっては窃盗と見なされる。
しかし、ここまで来て帰るわけにもいかず、仕方なく合意の上ではあるが家主を誘拐することにした。
案の定、家主を懐に抱くところまでは良かったが、
すぐに現場をおさえられ、盗人として帰路に着くまで、だいぶ追いかけられたが、無事に帰路に着いた。
ブツブツと家主に対して文句を言わせてもらったが、無事に家主を自身の社へ連れ帰ることに成功した。
これ以降、家主をこの社にて、現代に至る1300年間祀ることとなった。
そうして、家主のいる社のある家へ、止まり木のように旅の途中で何度も生を受けることとなる。
ところで、何度目かの生を受けた頃に、宝を隠すために死に物狂いでたどり着いた漁村は、なんと、この社から車で20分程度の場所である。
当時は知る由もなかったが。
あの頃は、この社から遠く離れた場所で生を受けることになったので、家主としては何か思うところがあったのだろうか。
そして本当に面白いのは、今世、その漁村に産まれ落ちたと同時に、家主の居る社を後継する者の子孫として生きることになったことである。
こうして、再び家主の近くに戻ることになった。




