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時をこえて オカルト歴史旅  作者:


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4/4

楽しく哀しい旅

この旅では、これまで経験したことのない沢山のことを学んだ。


当初は、目まぐるしく変わる風景や真新しい物で溢れかえる世に、楽しくて仕方がなかった。


この旅でも相変わらず、家主の世話をする人間の家に産まれることになったが、この時は「女」を選ぶことにした。


特に不自由のない暮らしではあったが、元来の好奇心旺盛なところは変わらず、年頃になると、家主の居る家から離れて親戚の住む上野へ上京し、そこで間借りをして女学校へ通うことにした。


当時は、女学校と言えば花嫁学校と言われるようなものではあったが、裁縫に、語学、料理など、とにかく学べることが楽しかった。

それに加えて、親戚の家から踊りや唄など精力的に習い事にも通い、充実した日々であった。


次から次へと面白いことでいっぱいのこの世に興味は尽きなかった。


そして、この国以外の面白いことにも目が離せなかった。ついには父親に頼み込み、米国から婦人雑誌『グッド・ハウスキーピング』やら『ヴォーグ』などを取り寄せては読み漁った。


雑誌に書かれているような米国の生活様式を夢見たり、掲載されている洋服の型紙には、この頃、手芸を趣味にしていた私にはワクワクが止まらなかった。


そんな娘時代を過ごしていた頃、実家から結婚のために家へ戻るよう催促が始まった。


「男」も大変だったが、「女」も大変だったことを、すっかり忘れていた。


のらりくらりと返事をかわしていたが、とうとうしつこいので、


「東京から洋裁が出来る者を講師として連れて帰りたい。そしてミシンを買って欲しい。この条件が満たせるなら帰っても良い。」


と、試しに言ってみたが叱られるどころか、アッサリ受け入れられてしまい、これでは帰らぬわけにもいなかった。


そうして、また家主を世話する人間の住む家へと帰ることとなった。


しかしながら、神職は弟が継いだので、私はと言えば実家からの後ろ盾もあり、結婚後も何不自由ない生活が送れた。


これで終われれば良かったのだろうが、人間の世といえば、常に動乱の繰り返しである。


既に婿は決まっていたが、当時としては珍しい高身長で、鼻筋のスッとした青年であった。


特に不満もなく結婚。両家の望み通り、息子が産まれた。


人間を育てるのは面白かった。息子が大きくなると、息子の友だちを集めてベイスボールクラブを立ち上げた。コーチを手配し、かつて娘時代に雑誌で見たベイスボールのユニフォームを全員分仕立てたり、パンケーキを作って振る舞ったりと、それなりに子育てを楽しんだ。


早くに夫を亡くしたものの、息子は無事にスクスクと育ち、嫁にも恵まれた。


私はと言えば、途中、脳梗塞だか何だかになり命は取り留めたが、足が少し不自由になってしまった。


しかし、手芸を趣味としていたので、布団の上で編み物や刺繍、アメリカから取り寄せた雑誌や本を読んだりと、動けずとも楽しかった。


息子夫婦と暮らしていたが、ある春の朝、息子夫婦のもとに赤ん坊が産まれた。


しかし、この国には不穏な空気が漂っていた。


何千年も変わらず同じことを繰り返す人間に、ほとほと呆れ果てる。


人間の人生は短い。持っている物で満足出来れば幸せなのに、なぜ人の物をあれ程欲しがるのか?


得られたところで、人間の持てる時間は決まっているのに。


虚しくはないか?


「私」の目線からすると、人間は結局のところ変わらない。


さて、私が暮らしている家は、家主の住む社、今や弟が継ぐ家からは目と鼻の先であった。


そして、私が過去に撲殺された地域にも程近い距離であるが、あの忌まわしいかつての漁村は、今や造船や製鉄という一大産業を担う町へと変化していた。


村の大半の人間が、この産業の関係者と言っても過言ではなかったはずだ。


家のある丘のてっぺんから坂を下った所にあるその製鉄会社に、神職を継がない息子も例に漏れず勤めていた。


製鉄。良い方に使えば人間の生活は豊かになるが、使い方を誤れば、憎しみを生み出す道具となる。


坂の下の造船所と製鉄所は、時代の流れと共に戦争の道具をせっせと作り始めた。


その流れに抗うことは誰にも出来なかっただろう。


段々と村の男たちに赤紙が届けられるようになり、息子は酷く恐れていた。


家庭を持ち、ある程度の歳を重ねていた息子にソレが届いたのは、戦争が激化し、日にちに戦死者が増え続け、どうにもならないような頃だった。


とうとう赤紙が届いた息子は、酷く怯えながら訓練の為に一処に集められたが、数日後、息子一人だけ戦地に送られることなく戻って来た。


息子や夫を取られた近所の女たちからは恨めしがられたが、どうやら息子は出兵のストレスに耐えきれず高熱を出して動けぬところに、上官が「この戦に行けば無駄死にするだけだ」と言って戻したと言う。


父親似の息子は、ヒトを殺すより、殺される方を選ぶような子であった。


体格だけは良いので、その様な質は、他の人間から見たらウドの大木だとか、阿呆だとか影で言われていた。


この地を代々守ってきた社の血を引く息子に表立って言う者は流石にいなかったが。


その様な質を見抜いたからこそ、上官は息子を返すことにしたのだろう。


まさか戦地に行く前に戻されるとは思っていなかったが、息子が生きて帰ることは分かっていた。


楽しく暮らしていた東京から、無理やりに社のある家に「私」を戻しておいて、その「私」の息子を死なせるようなことを家主がする筈がないと信じていたからである。


当時、赤紙を受けた時に悲嘆する息子夫婦からしたら、「大丈夫だ」としか言わない私を、さぞ冷酷な婆だと思ったことだろう。


男手の減った職場で息子はより一層仕事に励むことになったが、職場にはある変化が起きていた。それは、部下の大半が成人男性ではなく、子どもになったことだ。


それ程に人が減ったのだ。


息子が仕事に行っている間、足の不自由な婆であった私と、赤ん坊を産んだばかりの嫁、孫の三人で息子の帰りを待つのが常となった。


と言っても、あれ程忙しく働いているというのに、昼飯を食べに毎日昼になると一度帰ってきていた。


あの頃にしては珍しく家庭的な息子であった。 


そんな息子に対して、嫁は「職場で食べてきなさいよ。」と面倒がってはいたが、それでも毎日質素ながら昼食を用意して待っていた。


そうした日々の中で、終わりがやってきた。


何事にも終わりがあるが、その日も、息子を見送り、孫の相手をして午前中を過ごし、そろそろ息子がお昼を食べに戻ってくる頃合いになったと思ったら、突然上空からバラバラと轟音が聞こえてきた。


昼飯を作りだしていた嫁は慌てて赤ん坊を抱え、足の不自由な私を支えながら、庭に作った防空壕へと向かった。


しかし、予想していたような爆撃もなく、バラバラと轟音を響かせながら戦闘機の隊列は通り過ぎていった。


「これまでか」と覚悟していた嫁と私は安堵しつつ、孫を連れて再び家へと戻り、嫁と「あの敵機の大群は、一体どこへ向かっているんだろうか。」と後を引く恐怖心から興奮気味に語り合った。


そろそろ息子が家に帰ってくるだろうと思いつつ、心臓の鼓動を落ち着けようと水を飲んでいると、やっと息子が帰って来た。


安堵して息子を迎え、嫁は途中で放り出さざるを得なかった昼食の準備に取り掛かった。


そうして、簡単に昼食を済ませ、息子は自転車に乗って、再び坂を下って仕事へ戻って行った。


数分後、


再びバラバラと轟音が聞こえてきた。


一体何事だろう。さっき通り過ぎて行った方向へ別の機体も向かっているんだろうか?


防空壕へ向かいながら戦闘機を見上げると、先程向かって行った方向から隊列を組んだ戦闘機が戻ってくるのが見えた。


そうして激して爆音が続いた。


防空壕に身を潜めている間、この後どうなるだろうかという不安と、息子の安否が気になったが、どうすることも出来ない。


ここで防空壕から出ていけば、嫁と孫に迷惑がかかる。そもそも足が思うように動かない。


じっと身をかがめて嫁と孫を腕に抱くことしか出来なかった。


しばらくすると、ようやく轟音が去って行った。


恐る恐る外の様子を見廻すが、見たところ家は壊れたところも無く、火も出ておらず無事だった。


そうして、わが身と嫁、孫が無事だと分かると、次は息子がどうなったのか知りたくなる。


家主が守っている筈だ。心配はない。そうでしょう?


そんな事をぐるぐると頭の中で問いかけ続けている横で、嫁は赤ん坊を抱いてパニックを必死に抑え込もうとしている様子だった。


「周りの様子を見てきてちょうだい。気をつけて」と言うと、


嫁は赤ん坊を私に託し、坂の下を見に行ったが、かと言って夫を探しに行くわけにもいかず帰って来た。


嫁曰く、坂の下は火の海だと言う。


坂の下、つまり製鉄所と造船所がある方向であり、敵機の目的がようやく理解出来た瞬間であった。


自宅への延焼を心配しながらも、息子のことも心配であり、寝付くことなど到底無理であった。


深夜に突入した頃、息子がようやく帰宅した。


生きてはいた、身体も無事であったが、心は死んだようであった。


抜け殻のようになり、しばらく押し黙っていた息子が、ぽつりぽつりと語りだした話によると、


自転車で坂の中腹まで来たところで、再び敵機が襲来したことに驚いて、中腹にある家主の居る神社に逃げ込み、御神木の大きな木にしがみついていたのだそうだ。


そうして爆撃機が去った後、坂の下を見やると、嫁の見たのと同じ火の海が眼前に広がっていた。息子は元来怖がりな質であったが、職場には部下の子ども達が大勢いる。彼らがどうしているのかと思うと勝手に体が動き、坂を走り降りたが、とても近づけず、必死に延焼を防ぐために消火に走り回ったようだ。


消火しながら嫌でも目に入ったのは、子ども達の飛散した身体の数々であった。


消火活動の引き継ぎをして深夜に帰宅した息子は、次の日も朝早くから出かけて行った。消火活動もそうだが、バラバラになった子供たちや、その他職場の同僚の遺体を集めるためだ。


既に痛々しく焼けた身体を、リヤカーに乗せて臨時の焼き場として使うことになった鉄道駅近くの空き地に運び、そうして、また職場に戻り、遺体を捜した。


夏場の事であるから、急がなければ腐ってしまう。


家族が生き残っていれば、その身体を引き渡しに奔走した。


しかし、知らぬ間に遺族となってしまった男たちは戦場へ行っており、子どもらの母や姉妹たちもまた爆撃の犠牲となり、引き渡すどころではなかった。


引き取り手のない遺体は、早急にお骨にして、戦後復員してくるはずの父親や兄弟たちに渡すべく、焼き場と仕事場を行き来したが、あまりに数が多く、焼いても焼いてもキリが無い地獄だったと後に語ってくれた。


そんな胸の悪くなるような作業に朝から従事していたが、この日の正午、酷い大戦が終わったことを知る。


武器を作り出す可能性のある場所のみならず、そこに従事する人間さえも一網打尽にするために、すっかり敵機が去り安心しきって昼飯にありつく人々を徹底的に焼き払った。


再びこの国が立ち上がるのを打ち砕くために練られた、終戦前日の作戦だった。


海を渡って取り寄せていた雑誌に描かれていた、あの面白く楽しい生活を送っている人々も、やはり獰猛な人間なのだった。


戦争は終わった。それでも死人が止まるわけではない。犠牲者は増え続ける。臨時で作った焼き場には玉音放送など関係なく、どんどん遺体が運ばれる。


終戦だと言われても実感が沸かず、泣く暇もなかったようだ。


日常の中で、血を見ると卒倒するような息子が、酷い状態の遺体をよく世話したと思う。


全て焼いた後、引き取り手のない遺骨をどうしたものかと思案する息子に、私は所有している土地を墓地にするのはどうかと提案した。


他の土地も、行き場を失った者たちの家を建てたりするのに使えるだろうと、息子を通して提供した。


息子は嫌な顔もせず、それらを整地し、墓を建て、納骨する手配をし、戦後復員兵が帰ってきた後も、お参りする家族もない者たちのために足繁く通い、何十年も墓の世話をし続けた。


心が優しく、新しい命を迎えたばかりの息子にとって、心を抉られるような出来事は、これが最初で最後だったと思いたい。


そんな息子は永く生きた。


百を迎えた頃、彼は老人ホームの清潔なベッドの上で、誤飲性肺炎によりこの世を去った。


ところで、息子が老人ホームへ入所する9年前に息子の孫が娘を産んだ。


息子は産院まで押しかけて、初曾孫だと大層喜んだ。


再びこの世に、この家に「私」が産み落とされたのである。


数年して老人ホームへ入所した息子を見舞いに、私はかつて赤ん坊だった孫、いや祖母に連れられて見舞った。


脚が弱くなった息子の車椅子を押して一緒にホームを散策するのは不思議な感覚だったが、どこか懐かしさもあった。


それから数年後、大往生した息子を見届けた。

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