第2話:隣国の王女救済と、無自覚無双
「――『収納』」
俺が静かに右手を突き出した、その瞬間。
黎明の森の空気が、一瞬だけピキリと凍りついたように震えた。
シルヴィア王女の頭上に迫っていた、災厄級モンスター『グラットンベア』の巨大な爪。
それが、彼女の鼻先数センチのところで完全に静止する。
「……え?」
絶望に目を閉じていたシルヴィアが、そっと目を開けた。
次の瞬間。
ドサササササササササッ!!!
凄まじい衝撃音と共に、全長十メートルを超えるグラットンベアの巨体が、糸の切れた人形のように真下へと崩れ落ちた。
地面の土が激しく舞い上がり、周囲の騎士たちに降り注ぐ。
魔物は、ピクリとも動かない。
その三つの赤い眼からは、すでに完全に光が消え失せていた。
「な……何が、起きたのだ……?」
「グラットンベアが……死んだ? 傷一つないぞ!?」
満身創痍の騎士たちが、呆然とした声を漏らす。
当然だ。外側には血の一滴すら流れていない。だが、俺が今『無限収納』の中に直接引き抜いた(収納した)のは、あの巨体を動かしていた【命の核たる心臓そのもの】なのだから。
頭の中に、無機質なシステム音声が響き渡る。
【Aランクモンスター『グラットンベア』の討伐を確認しました】
【経験値を獲得。カイトの戦闘レベルが 1 から 45 に上昇しました】
【『グラットンベアの魔核』『グラットンベアの極上肉』を収納しました】
(……一撃かよ)
俺自身、背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。
『暁の剣』の荷物持ちとして、ただ後ろを歩かされてレベル1のまま据え置きにされていたこれまでの日々は何だったのかと思うほどの、圧倒的なレベルの跳ね上がり方。
そして、生物の器官を直接亜空間へ隔離する『概念・稼働体収納』の、あまりにも凶悪すぎる威力。
これなら、どれだけ強固な鎧を着た騎士だろうが、どんなに巨大な竜だろうが、視界にさえ入っていれば一瞬で即死させられる。
「あ、貴方は……一体……?」
へたり込んだままのシルヴィア王女が、折れた剣を握りしめ、信じられないものを見る目で俺を見上げていた。
銀色の髪を朝日に輝かせ、泥に汚れながらも気品を失わないその瞳に、俺の姿が映っている。
「ただの、しがない荷物持ちですよ。カイトといいます」
俺は苦笑交じりにそう言って、彼女に手を差し伸べた。
「お怪我は、ないですか?」
「は、はい……。あ、ありがとうございます。私はロストール王国第一王女、シルヴィア・ファン・ロストールと申します。……あの、今のは、魔法……ですか? 詠唱も、魔力の残滓すら感じられませんでしたが……」
シルヴィアは俺の手を握り、顔をわずかに赤らめながら立ち上がった。
その手はかすかに震えている。国内最高戦力とまで言われた彼女の目から見ても、俺の放った一撃は『理解の範疇を超えた超常現象』だったらしい。
「いいえ、ただの『収納スキル』です」
「しゅ、収納……!? アイテムボックス、ですか? そんな、馬鹿な……。あれは荷物を運ぶだけの生活スキルのはず……」
周囲の生き残った騎士たちも、互いに顔を見合わせ、驚愕のあまり開いた口が塞がらない様子だった。
それはそうだ。彼らの常識の範疇では、荷物持ちは戦場の一番後ろで震えているだけの存在なのだから。
「カイト様、とお呼びしても?」
シルヴィアが、真剣な、どこか熱を帯びた瞳で俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「その規格外の力……もしよろしければ、我がロストール王国へお越しいただけないでしょうか? 貴方のような稀代の英雄を、一介の荷物持ちとして放っておくなど、世界の損失です!」
「えっ、俺をですか?」
「はい! 我が国の『筆頭魔導騎士』として、最高ランクの待遇と、専用の屋敷、そして相応の報酬をお約束します。どうか、私に貴方の力を支える名誉をください!」
最高待遇のスカウト。
昨日まで、Sランクパーティの奴らから「無能」「ゴミ」と罵られ、奴隷以下の扱いを受けていた俺に、隣国の王女が跪かんばかりの勢いで懇願している。
「……分かりました。元いた国には、もう未練もありませんから。お受けします、シルヴィア様」
「本当ですか……! ありがとうございます、カイト様!」
シルヴィアの顔が一気にパッと輝き、満面の笑みが咲いた。そのあまりのチョロさ……いや、純粋な喜びように、俺は少し気恥ずかしさを覚えた。
こうして俺は、追放された翌朝、隣国の王女直属の最高戦力として迎え入れられることになった。
――その頃。
俺をゴミのように追い出したSランクパーティ『暁の剣』のリーダー・ゼクスたちは、王都のギルドで、まだ自分たちの身に起きる『致命的な絶望』に気づいていなかった。




