惑いの森
「これが、惑いの森ですか」
そう呟いて見上げたそこは、この国の要である王宮の裏手にある森だった。
「そう。少し前の手紙にここにいるって書いてあったから、間違いないよ」
答えるアルノルトの手元には精霊が閉じ込められた灯籠草が握られている。それがこの森にかけられた、エルフ特有の術式を破るためのアイテムなのだそうだが、未だに使い道の説明はされていなかった。
「惑いの術式って、簡単に言えば方向感覚を狂わす術式だろ。精霊ならそれに掛からず道案内できるってことか?」
腕を組み、それを覗き込むフェルディナントに精霊は何かを訴え続けていた。おおよそ、出してくれといったことだろう。残念なことに彼らの声を聞ける者はここにはいなかった。
「いいや、この子にエルフの元へ連れてってくれって頼むんだよ。出来なきゃ食べちゃうぞって。そしたらこの子はエルフに助けを求めるでしょ。精霊好きなエルフは助けを求められたら応えるだろうから、自然と道が現れるって寸法だよ」
忘れてはいけないのはアルノルトがその辺の倫理観が薄いことである。ドン引きしたフェルディナントが、憐れみの目で閉じ込められた精霊を見つめていた。
「脅しじゃねぇか」
「嫌だな、お願いだよ。ほら、ディナからも頼んで。君の怖い顔の方がうまくいきそう」
「ごめんね。たぶん本気じゃないと思うんだけど、ルトさまそこら辺の倫理観薄いから、手伝ってくれる?」
震える精霊に顔を近づけ話しかければ、相手はびくつき更に縮こまってしまった。以前より軽い補助も受け魔力が溢れているわけでもないと思うのだが。何故だろうと首を傾げる。頭上からフェルディナントの呆れた声が降ってきた。
「似たもん同士で何よりだよ」
結果的に言えば、その作戦は大成功だった。森へ足を踏み入れた途端に現れた小路が、行く先を誘導したのだ。たぶん経路も最短だっただろう。その道を進んだ先に、王宮よりも一回り小さい離宮が建っていた。
人の気配もなく開いた扉をくぐり、辿り着いたその部屋で出迎えたのは、呆れた様子の女性である。彼女が目的の人物である、エルフの王宮魔導士、メヒティルトであった。
「酷いことをするね。怖がったその子の声がずっとしていたよ」
「やぁメヒティルト。久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」
「アルノルト、あなたこそ。綺麗に私の術式をほどいてくれているわね」
指先を動かしただけで解呪をした灯籠草から飛び出した精霊は、彼女に向けて何かを訴えている。エルフには聞こえているのだろうその声は何を言っているのだろうか。気になりはしたが、それよりも。
「精霊って美味しいんですか?」
「お前そういうところ、あいつにそっくりだぞ」
ずっと考えていた疑問をこっそりと尋ねれば、フェルディナントには冷めた目でそう返されたのだった。
「座って。何か用事があって来たんでしょう」
エルフに促され、共にソファへ腰かける。会話を進めるのは主にアルノルトの役目となっていた。彼はこれまでの経緯を簡単に説明し、自分がもうこの地から離れようと思っている事を端的に彼女へと告げたのだった。
「なるほど。あなたがこの国をね」
「そう。協力してくれないかな」
このエルフとも長い付き合いなのだろう。この子がねぇと呟き吐息を漏らした紫の瞳が、面白そうにじっとこちらを見つめてきた。悪く思われてはなさそうだが、居心地悪さに身動ぐ。その姿にクスクスと笑う。それは、幼子の反応を楽しむ大人と同じだった。
「メッツ、この子で遊ばないで」
「あら、ごめんなさい」
アルノルトの苦言には軽い謝罪をひとつ。そうねと続けた彼女は不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「ひとつ、条件を付けてもいいかしら」
「どうぞ」
条件の内容を聞きもせずに頷いたアルノルトに、フェルディナントはやれやれと首を振っていた。どんな無茶を言われるか分からないのにと、ルーイもまた内心気が気でない。そっと師を伺う。その口許はいつもの笑みを浮かべ悠々と、彼女の発言を待っていた。
「ある方にかけられた術式を、解呪して欲しいの」
対してエルフの口調は真剣味を帯びていく。
「ある方?」
その声が、敬慕を込めてその名を告げた。
「そう。王位継承第一位の、ヴィルヘルミナ王女よ」
メヒティルトによれば、彼女はヘルガの存在や、魔石に頼りきった現状を憂いて、別の施策を有力貴族相手に提案し続けていたのだそうだ。けれどそれが気に入らなかった一部貴族の手によって呪いをかけられ、城へ入るだけで心臓が止まる呪いをかけられているという。
「君なら解呪できるだろう」
彼女が過ごしているという部屋へと向かいつつ、尋ねたアルノルトの疑問は首を振られた。
「残念ながら、私の魔力が彼女の中に入り込んでも結果は同じよ」
「女王はどうしてんだよ」
「ツィリィの祝福を受けているから積極的に殺すつもりはないみたいだけど、死んだらそれで構わないとでも思っているでしょうね」
そう話す、三人の会話が頭を通りすぎてゆく。ルーイにとっては王家など、遠い存在過ぎてどうにも現実感が伴わないのだ。母親が実の娘を殺そうとしていることを理解したくないのもあるだろう。
自分はただ、大人たちの後をついて歩いているだけだというのに。何故だろうか。なんだか、とてつもなく大きな渦に巻き込まれているような、そんな気がしてきたのだ。
けれど今さら、後戻りも出来ないのだろう。その核心めいた予感に、ヴェルナーの魔道士証は握り締められていた。
そうしている間に、王女の部屋の前へと辿り着いていたようだ。
コツコツコツ、とノックを三回。扉の先には、美しい緑色の瞳を持った、プラチナブロンドの女性が立っていた。
――ツィリィ……。
瞠目したアルノルトが掠れた声で囁いた。
「メヒティルト、彼らはどなたかしら」
凛と響く声は少女から女性へと変わる途中のもの。その声に、左胸へそっと触れた。師の姿に心配をすれば、目が合った彼は大丈夫だと口角を上げてみせたのだった。
「古代竜、アルノルトとフェルディナント、それからアルノルトの弟子のルーイよ。貴女に掛けられた術式の解呪をお願いしたの」
「そう。貴方が……」
王族だけあって、森に居る古代竜の名を知っていたのだろう。王女は軽く目を見開いた。恭しく頭を下げ、広げられたカーテンシーは流石の美しさである。
「ご助力、感謝申し上げます」
「ご丁寧にどうも。けど、ね、ルーイ。このくらいの術式ならお前で充分じゃないかな?」
「えっ僕、ですか」
まさかここで名前を上げられるとは、露とも思っていなかった。喉がすっとんきょうな声を上げた。分不相応だろうと拒みかけた口先は、じっと見つめる金色に閉ざされる。疑問系にしてはいるが、これはもう決定事項なのだろう。――頑張れよと、フェルディナントの無責任な応援も相まって退けそうにもない足はしぶしぶと、室内へと踏み入れた。
「お手に触れてもよろしいですか?」
「えぇ。どうぞ」
白く美しい手にまで伸びた魔方陣が、施された術式の長さを物語っている。王宮魔道士の作だったか。細かく美しい文様は条件も複数折り重なっており、間違えれば王女の命はないだろうことが良く分かる。ただそこに在ることだけを許している術式だ。
だが丁寧な分読み取りやすく、隙があった。その合間ひとつずつへ丁寧に反転の術式を縫い込んでゆけば、順にほどけてゆく。
深く探りを入れたのは、隠された呪いを危惧してのことである。もうあんな思いは二度としたくないのだと、僅かな痕跡も見逃さないように神経を張り詰めた。
始めてからどれくらいの時が経っただろう。彼女の肌から、最後の術式が浮くようにして消えたのを見届け、握り続けていた手をそっと放した。
「これで、もう自由に動けるかと思います。ご気分が優れないなど不調はありますか?」
「いいえ、体が軽く感じるわ」
ありがとうと伏せられた深緑に慌てて立ち上がる。いいえ、光栄です。返しの言葉は、声になる前に喉で留まってしまった。立ち上がった足がふらつき、後ろへ倒れそうになったのだ。支えたのは満足げな顔をした師である。どうやら抜き打ち試験は合格したらしい。安堵に息を吐き出した。
「さて、これで条件はクリアできたわけだけど、どうかな。ツィリィはどこへ術式を書き込んだのか教えてくれる?」
「その前に、古代竜さま。私の質問にお答え願えますか?」
問いかけはメヒティルトへだ。けれど答えたのは王女。その発言にアルノルトは慇懃無礼に諾を返す。
「えぇどうぞ、王女さま」
その態度を歯牙にもかけず問うたその声は、やはり凛と響いて聞こえた。
「貴方さまは、竜が人の地にいることの意味をご存知ですか?」
彼が誰を思い出したのかは言うまでもあるまい。丸く見開かれ、すぐにもふわりと笑みに変じた金色は、ここではないどこかを見つめているようだった。
「豊かさと災いの元だったかな?」
「では、今この国にとって貴方さまが災いとなり始めていることも、ご存知でいらっしゃるかしら」
「いいや、つい先日知ったところだよ」
「ならば一部の貴族の間で、貴方さまを殺そうと計画が立てられていることも、御存じではありませんよね」
思わず仰ぎ見た。アルノルトは穏やかに笑むばかりである。
「それはまた、物騒な話だねぇ」
王女曰く。現在国内貴族は、魔石による富にしがみつく女王の派閥と、魔石に頼らない施策を模索している王女の派閥が存在しているらしい。しかし王女側の、主に国境付近を治める貴族たちは竜を災いとし、討伐を目論んでいる者が複数いるという。
「彼らを抑えられないのは私の力不足です。ですが、貴方さまが居なければと何度も思ったことも事実。だから、一度聞いてみたかったのです。古代竜さまが何を思って、この地に残り続けているのかを」
「そんな大層なことは思っていないよ。私はただ、未練を捨てられなかっただけだ」
「ルトさま」
あなたは悪くない。ただあの森に居ただけだと、続く言葉は金の瞳に飲み込まれた。分かっているということだろうか。頬に触れる、その手に自分の手を重ねた。
「でもその所為で、大事なものの優先順位を間違えてしまった。死んだ者よりも、生きている者の方が大事に決まっているのにね」
しかし瞼へのキスはやりすぎだ。消耗した魔力の補填なのは分かるが、カッと顔に血が上ったのを自覚する。とっさにその手を振り払っても、もう後の祭りだ。クスクスと笑うその声に熱は引きそうになかった。
「だから私はこの国から出ていくよ。その為に、私の心臓を取り戻さなければならないんだ。だからそろそろ、彼女の術式がどこにあるのか教えてくれないかい?」
ケラケラと笑うのはフェルディナントだ。その横でメヒティルトは苦笑する。
「彼女は、自分の心臓に術式を書き込んだのよ。彼女の死後は歴代の女王へと受け継がれている。まさに命懸けの術式よ」
話題を元へ戻してくれたのは配慮だろう。熱い耳を彼らの会話へ傾けた。
「なるほど。条件は?」
「解呪、破壊されない限り、術式保持者の死によって子に引き継がれる。ただし、アルノルト、あなたが手を出したらその時点であなたの心臓は止まると思いなさい」
「んー。じゃあ君が何とかしてくれないかい?」
ひらり、上げられた手が拒絶を示す。
「嫌よ。あれは彼女の残した中でも一番綺麗な術式なの。私の手で壊したくはないわ」
「なら、ディナ」
「そんな場所にある術式に俺が手を出したら国際問題だぞ」
こちらも、答えは否。
「となると……んー」
「僕では力不足ですか?」
ならばと悩む師の前に手を上げてはみたが、今度はこちらが拒まれた。
「まともに解呪するなら、お前に頼むんだけどね。でも今の術式の持ち主がそれをよしとしないだろうから。今回やるのは、術式の破壊になる。その意味が分かるかい?」
「意味、ですか」
そう問われ、熟慮する。
竜の恩恵にしがみつく彼女らが、アルノルトを簡単に手放さないのは理解できていた。だから術式の解呪ではなく、破壊が必要になるということだろうことも。
そも、術式の破壊とは、多量の魔力を術式に注ぎ込む行為のことだ。つまりは力ずくの方法で、破壊の対象は術式だけに留まらない。きっと心臓までをも破裂させるだろう。その結果、必然的に訪れるのは――現女王の死、だ。
その結論に、喉は高い音をたてた。そんな覚悟など、当然用意していない。けれど、自分がやらねばきっと実行するのはアルノルトだろう。その仮定に、震える指先を握り締めた。
当然、王女もそれを知りながら良しとするわけにもいかないだろう。
「まず私が母を説得してみます」
「出来そうなの?」
「限りなく不可能かとは思いますが、対話もなく終わりには出来ません。一日猶予をください。私の味方をしてくれる方々へ協力を仰ぎます。メヒティルト、手紙の準備を。そうね、クルト公爵とハーマン子爵、それから……」
早速と行動を始める、毅然した後ろ姿が眩しかった。
「ルイ、大丈夫。何とかなるよ。お前は何もしなくていい。このまま森へ帰っていいんだよ」
アルノルトから齎されたのは、優しくも残酷な選択肢である。その道を選んだとて、待つのは苦しみだというのに。なぜ、そんなことを言うのか。逸る心臓を、怯えと怒りに震わせながら。
「いいえ、僕も一緒に行きます」
もう失いたくなどない。その思いだけに突き動かされた答えに、アルノルトは悲しそうに笑ってみせたのだった。




