邂逅
身体が、熱くて寒い。左肩の傷は塞いだものの、残ったダメージから発熱しているのだろう。だから言ったじゃないかと、ヴェルナーの叱る声が聞こえた気がした。幻聴か、もしくは記憶の欠片だ。だってもう、彼は何も喋らない。
多すぎる魔力は未だに体外へ垂れ流し続けたままだ。ぼんやりと霞んだ意識の代わりをするように、それが周囲を探知していた。
そこに、何かが引っ掛かった。大きな魔力の塊が近づいてきているのだ。警戒に、足が止まる。本能が、自分よりも強い相手に身構えたのだ。
肌が、粟立つ。兄弟子を抱え直したのは守る為か、縋るためか。視線を向けた森の奥から、彼は現れた。
――竜だ。
直感が、そう告げた。
「人、か……?」
対して低い声は疑問をひとりごつ。場違いな思考は、驚きに開かれた瞳の煌めく青色を、綺麗だと思った。
「さぁ、どうなんでしょう」
問いかけではないことを知りながら返した答えは曖昧だった。躊躇いなく人を殺した自分を、そう分類しても良いものなのかが分からないのだ。
たぶん、男が迷った理由はまた別だろう。
「若い竜が暴れているかと思ったんだ。人に狩られてるんじゃないかと急ぎ来たんだけどな」
どうにも違ったようだと、口内で言葉を転がす。視線の先には、風に揺れる色とりどりの花が咲いていた。
「何があったんだ」
青色が、もう動かない兄弟子を見やった。
「あなたに話せることはなにも、」
強く抱え直したその体はまだ温かい。
「そうか……」
なら、なぜ、呼吸をしていないのだろう。馬鹿みたいな疑問が脳を揺さぶった。
「ならひとつだけ、答えて欲しい」
男の声が意識を今に揺り戻す。
「……えぇ、どうぞ」
平坦な、自分の声は遠い。
「そのまま、人のいる場に行くつもりか?」
鈍った思考は理解に数秒要した。
「そのまま?」
しかし結局は分からず尋ね返す。そのままとは、返り血だらけの、この格好のことだろうか?
「気付いていないのか? 歩く度に花を生やすのは、普通じゃないだろ」
いや、違うらしい。この多量の魔力のことだ。けれど。
「どうすればいいのか、分からない、」
答えに、そうかと男は頷いた。
「なら今までは、どうしてたんだ?」
今まで?
繰り返しかけた口をふっと閉じた。
今までは、普通だ。人より少し魔力の量が多いだけで、こんな風じゃあなかった。なら、いつからおかしくなったのだったか。思い当たるきっかけはヴェルナーの死、だけれど。
「自分の内側で、何かが壊れた感覚があった、気が、します」
考えなしの口が素直に答えを返していく。
そのどこに引っ掛かったのだろう。ふいに男が手を伸ばし、頬に触れてきた。逃げ遅れた肩が大きく跳ね足が一歩後ずさる。ずれ落ちるヴェルナーを男が支えた。
たぶん、術式の残滓を探っているのだろう。少量の魔力が流れ込んでくる感覚がくすぐったかった。
「あー……誰かが術式をかけて抑えてたんだろうな。しかもこれ、あれだろ。まぁそんな気はしてたが。魔道士証は……壊れてるし。あー、やっぱ魔力量が多すぎるんだろ。受け止めきれてない」
聞かせているのか、思考がこぼれているだけなのか。どちらにせよ、対話のつもりが無い言葉たちが鼓膜を通り抜けていく。ぼんやりとしていた意識が揺さぶられたのは、この直後のこと。
「取り敢えず余ってるのを分けてやる。これに溢れてる魔力を溜め込むイメージで入れてみろ」
そう言って男が取り出した、内側に模様の入った魔石に瞠目したのだ。
「ヴィルドウの、魔道士証……」
呆然と呟いた言葉に青色は目を細めた。
魔道士はそれぞれ、魔力量や技術力によって階級分けがなされている。一番下が紫のアズィト、次に黄色のトリザン、上位が白色のオリーアだ。これは魔石の色による組分けであり、魔石自体の価値も同様の順位が付けられていた。
その最上位がヴィルドウだ。
多くの魔素が含まれた結果、内側にまるで森林のような模様が見られる石である。その所有者ともなれば、全魔道士の中の数人しかいないと言われていた。
その代表例が、師であり古代竜でもあるアルノルトだ。つまり、自分が持つようなものではない。
畏れに首を振り拒否を示した。
「これは、僕が持っていいものではありません」
「拒否権はねぇよ。言っただろ、そのまま人のいる場に行くつもりかって。せめて、これを隠せ」
言いつつ自身の額を指差した男に眉をひそめる。
「まさか、気付いてないのか?」
「えぇ、何の話です?」
「角、生えてんだよ。こんな感じの」
と言った彼の額から、アルノルトに似た角が現れた。やはり本来の姿は竜なのだろう。何度目かの驚愕に、動揺した指先が自分の額に触れようとしてヴェルナーの存在を思い出させた。
「落ち着け。落とすぞ。大事なやつなんだろ」
「えぇ……僕の、兄弟子なんです。物心つく前からずっと一緒に暮らしていたから、本当の兄みたいな人で……」
未だに何の説明も受けないまま、それでもヴェルナーのことを丁寧に扱うその姿に頑な心はいつの間にかほどけていたようだ。気付けばほろほろと、涙と共に感情が溢れ出していた。
「この人を、帰してあげなきゃいけないんです。ヴェル兄の大切な人が待ってるから、早く、帰らなきゃいけないのに。どうしたらいいのか、分からなくて……」
まるで、迷子だった。これでは要領得ず助けを求める小さな子どもと変わり無い。面倒なだけだろう。声もなく泣き続ける頬を、冷たい指先が拭った。
「だから、これを使え。嫌だって言うなよ、じゃなきゃ行かせられない」
乱雑だが、どこか優しい。その声音に促され、素直に頷く。首にヴィルドウの魔道士証は下げられた。――まず、深く息を吸い込め。低い声が次の動作を促してゆく。
「そう。ゆっくり、腹の底まで。吸い込んで、全てを吐き出せ。それから身体を流れる魔力を意識しろ。外へ垂れ流しているものも全部。意識を繋げたら、吸い込んで、箱に詰めておけ。そう、まずは魔石の中だ。慣れたら自分の内側へ。溜めて、循環させる。最終的には意識もしなくなるように」
と言われるがままに、内心まごつきながら溢れた魔力を魔石に収めてゆく。
「まぁ。今はそのくらいでいいだろ。しばらくは様子見だけどな」
揺れる魔力はまだ不安定だが、及第点らしい。無意識に術式で支えていたらしい重みが、ずしりと両腕にのしかかってきた。ふらつきを三度支えてくれた手は、ついでと身体強化を施し離れていった。
その、過ぎるほどの親切に、冷静さを取り戻した頭はようやく疑問を覚えた。
「あの、今さらですが。どうしてここまで良くしてくれるのですか」
それをそのまま口に出せば、青の目が面倒くさそうに眇められる。
「お前、アルノルトの何かだろ。この国に来たのはあいつに会う為でもあるんだよ。なのに、お前を見捨てたとなったら、何言われるかわかんねぇだろ」
「ルトさまの、お知り合いですか」
「古い知り合いだよ。腐れ縁だ。だから魔力が落ち着くまで面倒みてやる。フェルディナントだ。よろしく」
それから村へ帰る道中、ルーイは求められるまま、これまでの経緯を話して聞かせた。その表情を曇らせたのは、ヴェルナー監禁の経緯、それから彼を縛っていた術式の話をした時である。重くため息を吐き出し、あの馬鹿、と呟いたということは術者に心当たりがあるのだろう。――なら、それは誰なのか。尋ねる間も無く、三人はカラベラへと到着したのだった。
空は夜明けに白む中。村の入り口には、いつから待っていたのだろう。ビアンカやゼップを始め多くの村人が待っていた。息を飲んだのは誰が最初だったろうか。
言葉もなく問いかける彼らの目に、ルーイは俯き首を横に振って答えた。その頭が一瞬ふらつくのに、気づいた者はいない。
「そんな……」
恐る恐る近づいてくるのはビアンカだけだ。震えたその声が徐々に湿ってゆくのを聞いていた。
「そんな、嘘よ。うそ、ねぇ、嘘でしょ、ネール。ね、今なら、今なら許してあげるから。早く、起きてよ。ねぇ、どうして……どうして目を開けてくれないの、ネール……ねぇ、起きて。起きてよ、ヴェルナー」
一緒に泣けば良かっただろうか。それとも、約束を守れなかった自分にはそんな権利無いのだろうか。分からず立ち尽くす。心が目の前から離れていくのを感じた。
「ツラい事をさせてすまなかった。連れて帰ってきてくれて、ありがとう」
礼を述べてくれたのはゼップだけだった。けれど、それもどこか他人事のように聞いていた。ぼんやりとした意識の所為もあるだろう。全ては、薄いガラスの向こう側のことだった。
一旦、ビアンカとの家へ帰った兄弟子の埋葬は、明日行われるらしい。ぜひ参列してくれと言われてはいるが、どうしたものだろうか。決めかねる心はふわふわと、宿代わりに借りた空き家の中で窓の外を眺めていた。
両手がいやに軽いのだ。ずっと腕の中にいた温もりもない。ほんの少し前まで話していたのに。彼はもういないのだと、虚ろさが胸に巣くっていた。
「あんまり気を高ぶらせるなよ。今のお前の魔力が瞬間的に溢れれば、それだけで何かを傷つけると思え」
村人たちには何と話したのか。何日も前からそうしていたかのように珈琲をすする男が、揺れる魔力を指摘する。その姿に、先ほど尋ねられなかった質問が転げ落ちた。
「ヴェルナーを縛っていた魔道士に、心当たりがあるんですか?」
青い目は、鋭く一瞥を寄越した。
「知ってどうする」
尋ね返され、答えに窮する。鈍痛のする頭が考えなしに聞いた質問なのだ。そう深い意味はない。今すぐ、その相手に復讐しに行こうとも思っていなかった。あの術式に気付かず、発動後の解呪が間に合わなかったのはこちらの力不足だ。心臓を貫いた相手など、既に殺した後である。
だからやはり、単純にどんな魔道士なのかを知りたいだけなのである。その人物が目の前に現れたなら話は別だろうけれど。
「聞いてから、考えます」
そう答えた。それが正解だったのか。カップの中身を飲みきるだけの間をおいて、フェルディナントは渋々と話し始めた。
「あいつの中に残ってた魔力の気配からして、やったのはヘルガで間違いないと思ってる。あいつは俺たちと同じように人に紛れて暮らしている古代竜だが、暇だと言っては問題を起こしててな。俺がこの国に来た一番の目的が、その対処だ。……あいつがこの国に来ていたのはしばらく前から知ってたんだが。らしくもなく、派手に事を進めなかった所為で気付くのが遅れたんだ」
何を考えているのか、彼女は国の中枢へと入り込み魔石の増産を推し進めたらしい。魔石から得られる富に固執している王族を始め、国の上層部はあっさりと彼女の術中に嵌まってしまったのだと言う。
「フェルディナントさんは、どうしてそんな事をご存知なのですか?」
「フェルディでいい、敬称もいらない。これでも魔法大国グイアルの王宮魔道士でね。しばらく前からこの国の魔石産出量に疑問を覚えて探っていたんだよ。まぁ話を聞く限り、ヘルガの術式とアルノルトの角が原因だろうな」
「竜の恩恵にしては、産出量が多すぎると言うことですか」
「あいつの魔力が元隣国へ行き渡ったと考えれば、そうでもない。だが飢餓が出始めてるのはおかしい」
「恩恵が、厄災になりつつあると?」
「厄災ね。そもそも、そんなのは人間が勝手に言ってるだけだけどな。俺たちはただ、そこに居るだけだ。けど、今のこの国の状態じゃあお前の言う通り、恩恵が災厄となり臣民が武器を取る日も近いだろうよ」
いいや、それ以上に悪い未来かもしれないと、心の内でひとりごつ。脳裏に浮かんだのは、兄弟子を魔道具風情と罵った男の声だ。想像の飛躍かもしれないが、彼らにとって竜はもう神でもないのだろう。
多くの知識を持つアルノルトが、そこへ思い至らないわけがない。彼は自分が道具とされていることも、その結果この国がどうなっているのかもきっと分かっている。
分かっていながら、それでもあの地に居続ける理由は何なのだろうか。
「もしかして、ルトさまはヴェルナーと同じなんでしょうか」
考えてる間に、またしても思考は転げ落ちてった。
「どういう意味だ?」
「ルトさまは森から出ることが出来ないんです。本人は約束だからと言っていましたけど、本当は、縛られているんじゃないかと思ったんです」
ほぉ、と感嘆をひとつ。フェルディナントは笑みに目を細め尋ねてきた。
「だったら、どうする」
しかし訊かれたって、今の頭じゃ大した答えは出てこない。精々子ども染みた願いが関の山だ。
「恩恵が厄災になる前にここから離れてもらいます。どこでもいい。もう会えなくてもいいから、生きてて欲しいんです。僕はもう、目の前で、誰かを失いたくない」
それでも、フェルディナントはお気に召したらしい。クツクツと喉を鳴らした彼は、不敵な笑みで宣ったのだった。
「ならそうやってあいつに言ってみろ。なんであの森に居続けているのか。アルノルト自身の口から、聞いてみればいい」




