ヴェルナーの行方
呼び立てるような真似をして、申し訳なかったね。
コリーナに案内されやって来たくすんだ白壁の家の中。出迎えた老婆はそう言って、ルーイに謝ってきた。
落ち着いた、しゃがれた声だ。深く刻まれた皺からは、彼女の過ごしてきた年月を感じられる。けれどその中で光る、若々しい新緑の瞳が彼女に、年齢不詳の印象を与えていた。どこかアルノルトに似ているように思う。その凛とした雰囲気に、ルーイは自然と頭を下げていた。
「いいえ。お会い出来て光栄です、先見さま」
「およしよ、頭を上げな。私は、そんなたいしたものじゃあないよ。あの忙しないのみたいに、おばばとでも呼んでおくれ」
朗らかな笑い声を上げる姿はやはり若々しい。その声につられて、自然と口角が緩むのを感じた。
「では、おばばさまと」
「お前さんは、ルーイだったね。さぁ座って。お茶でも入れよう」
ちなみに、忙しないと表された少女は、報酬のお菓子を貰って早々に立ち去っていた。母親の手伝いをしなければならないと言っていたか。去り際のおしゃまな仕草のカーテンシーがまた、可憐であった。
「これでも食べて、少し待ってておくれ」
案内された席で差し出されたのは、コリーナも貰っていたものだ。この地方のものなのだろう。初めて見るそれは、噛めば木の実の食感が楽しく、ふんだんにつかわれたスパイスが香る素朴な菓子だった。疲れた身体に染み渡る、その甘さにようやく人心地つく思いだった。
「美味しいかい?」
どうやら何かを探しているらしい。戸棚をあさるその背をわずかに振り向かせ、先見が尋ねてきた。
「えぇ、とても。はじめてこの地方らしい食べ物を食べた気がします」
「山の下は、散々だったろう」
「そうですね。こことは、だいぶ違います」
脳裏に浮かぶのは先ほど足早に通り過ぎた景色である。見間違いではなければ、畑には実りがあり、山間を走るヤギもいたはずだ。コリーナを含め食べ物を探す子どもの姿もない。あの光景を、ルーイは先見の力と仮定していた。
しかし口に出して問うた答えは否である。
「国の中央と、直接魔石のやり取りをしているってのが理由のひとつだけどね」
それだけじゃあないと、口ごもる。先見の様子に、ルーイはこれが本題なのだろうことを察した。
「何から、話そうかね」
無事、探し物が見つかったらしい。対面に座った先見は物憂げに小さな袋を弄んだ。そうして見ている間に、指先から滲んだ魔力が、内側へだんだんと馴染んでいく。その様子をじっと見つめているのに気づいたのだろう。新緑が面白い物を見るように細められた。
「お前さん、いい目をしているね」
「師の、教えの賜物です」
嬉しさと恥ずかしさが半分ずつ。素直に喜べない心がつい謙遜をした。そんな内面も彼女にはばれているのだろう。ますます深まった柔らかな笑みから逃れるように、カップはひと口分傾けられた。
「自分の努力も認めてあげなさい。……何も考えず、ひとつ取り出してみておくれ」
はい、と殊勝に頷き、差し出された袋の中を探る。石だろうか。つるりとした小さな直方体がいくつも入っているようである。
言われた通り、さほど考えずにひとつを取り出す。その灰色の一面には、縦棒の上下に短い横棒がくっついた文字のようなものが刻まれていた。――やっぱり、それが出るか。石を見る先見の表情は険しい。
「これは、何なのですか?」
「ちょっとした、占いのようなものだよ。それはお前さんの石で、刻まれている文字はツヴァーエイ。死と再生を示している」
「死と再生、」
「ある意味そのままだね。大きな、大きな流れに呑み込まれて、失い、そして得る」
「それが僕の未来ということですか?」
「お前さんがその道を選ぶなら、ね。そしてこれは、現状を表す石」
次いで中身を見もせずに取り出された石には、長い縦棒の真ん中に短い横棒が重なった文字。
「ナズース。合う意味を取るなら“束縛”といったところかねぇ」
「それは……僕が、何かに束縛されているという事ですか」
質問に先見は短く唸り、先探るような視線を向けた。
「ある意味では、そうかもしれないね。けれどこれはお前さんの石じゃあない。この国や、民、そしてお前さんが探しているヴェルナーの現状だよ」
突如現れたその名前に思わず身を乗り出した。ここへ来る前にコリーナにも尋ねていたのだが、いるけどいないと曖昧な答えしか得ていなかったのである。
「やはり、この村にいるのですね」
「あぁ、いるよ。まだ、生きている」
しかし少女と同じ含みのある言い方が不安を駆り立てる。
「どういう意味ですか?」
尋ねれば案の定、無事とは言えない現状が告げられた。
「一年ほど前に、教会へ連れてかれてしまったんだよ。どうにも逃げ出せないみたいでね、あの日から、帰ってきていない」
――は?
一音、疑問がこぼれ落ちた。
「どういう、ことです? 教会が、なぜ、そんなことを……」
先見の言葉が何一つ理解できないのだ。動きを鈍らせた思考は、同じところをぐるぐると回り続けている。
両手は無意識に強くカップを握りしめていたらしい。あやすようにその手を叩かれ、はっと視線を上げた。
「落ち着くから、ひと口飲みなさい」
「……はい」
「そしたら、順を追って話そうかね。長い話になるけれど、付き合っておくれ」
さぁ飲んでと言われたままにカップを傾ければ、ざわめいた胃の腑に温もりが広がった。ほうっと吐き出した息に落ち着きを見てとったのだろう。
――そうだね、まずは竜の恩恵の話からしようか。
静かに、先見は語り始めた。
お前さんも知っての通り、竜から溢れた魔力は大地を潤し、緑を豊かにする。これが所謂、竜の恩恵と呼ばれるものだね。けれど、竜から溢れ出ているのは魔力だけではない。魔力ほどの量ではないが、魔素も大地へ染み込むのさ。そうして
大地に染みた魔素は、魔石を生み出す。
それを、百年くらい前だったかね。魔石から得られる富みに目が眩んだ愚か者が、畏れ多くも竜の角を切り取り、鉱山近くで魔素を染み込ませる術式をかけたんだ。
魔力よりも魔素が少なければさほど問題はないだろう。でも魔素が多ければやがて土が変わってしまう。土が変われば、食物は育たなくなる。お前さんも道中で見てきただろう。あれがその結果だよ。
ここがマシなのは、元より魔石の採れる山だったからというだけ。育てる種の種類も、栽培方法も、下とは違ったおかげだよ。
けど、こんな馬鹿げたことも、身体から切り離された角の魔素が無くなれば終わると思っていたんだ。そうすれば少しずつ、大地は元へ戻っていく。
なのに……。本当に、欲に目がくらんだ人間の考えることは恐ろしいよ。似た魔力を持った人間を、その代わりにしようと考えたのさ。
「似た魔力?」
疑問にルーイは尋ねた。意味が分からなかったわけではない。人にそれが感じられるとは思っていなかったのだ。
そんな人間が存在すると知っているのも、自分やアルノルト、それからハイジャの村の人たちくらいだろう。しかし彼らがその事を外へ漏らすはずもない。
なら、なぜ。
「どうやら、ヴェルナーの魔力は竜に似ているらしいね」
なぜ、その事を知っている?
「……彼は、人ですよ」
冷えた腹の底が、嫌悪に声を低くさせた。あぁそうだねと、先見が強く同意を示したのはそれに気付いたからだろう。あの村で感じていた視線とは違う、対等なものを見る目に知らず入っていた肩の力を抜いた。
「だけど、そう思わない人間もいたんだ。しかもそいつは、見つけたその場で本人を目の前に、その計画を滔々と語って聞かせたのさ」
「角の、代わりですか」
言いつつ首を捻る。いくら似ていると言っても、似て非なるものだ。代替品になど、なるのかすら疑問だった。
いいやと先見も首を振る。
「角なんかじゃない――竜の、代わりさ。あの女は、角に残った魔素をヴェルナーに取り込ませて、あの子を竜にしようとしているんだよ」
「まさか、」
ゾッと、背筋が凍る思いがした。人を竜にしようとするその思考に対しての恐れではない。彼が人として扱われていない、この現状に指先が冷えたのだ。
「本当だよ。どこの魔道士なんだか。あっという間に拘束されて、連れていかれてしまったそうだよ」
そう説明されたとて、気持ちも理解も追い付いてはいなかった。確実に無事だとも言えない状況なのだ。ぞわりと毛が逆立つ感覚を覚える。それは、嫌悪か、怒りか。足元から這い上がってくるその感情を、押し留める術はまだ知らない。
「そんな、他人事みたいに……。あなたには、その未来が見えていたのではないですか」
声が、怒りに震えていた。
「もちろん、見えていたよ」
「なら、なぜ。どうして止められなかったのですか。分かっていれば、その未来から逃がす事が出来たはずだ。なのに、どうして、」
言い募る、言葉の刃は自身の喉をも切り裂いた。彼女を責めたところでどうしようもないと、冷静な部分では分かっていたのだ。反論もせず全てを受けとめる彼女に、これ以上言ってはいけない事も、分かっている。だから。落ち着けと、強く握りしめた。爪先が、手のひらに食い込んでいた。
「……すみませんでした」
何とか、こぼした謝罪に老婆は首を振る。
「謝るのはこっちの方だよ。先見なぞ、やれる事は見るだけだからね。先を変える力はない。出来ることと言えば注意を促す程度。……結局ヴェルナーも、全てを承知した上での選択だった。あの子の大切なものを守る為には、それ以外道はなかったんだ」
「守るものですか?」
「ヴェルナーの妻と子の事だよ。当時はまだ身重だったけどね。逃げれば、ビアンカも子も助からなかった。あの子は、自分の未来より、愛する人たちの未来を選んだんだよ」
ガツンと頭を殴られた気がした。ここまで繋がらなかったヴェルナーと結婚が、急に現実味を帯びたのである。愛情深い人なのは、よく知っている。だからこそ、自己犠牲の未来を選んだのだということも、理解出来てしまったのである。
それでも逃げて欲しかったと願う、己の浅ましさを飲み込んだ。
黙り込んだこちらに何を思ったのだろうか。結局それ以上は言及することなく、先見は最初にルーイが選んだ石を指差し、話を続けた。
「さてここからは、お前さんの話だ。自分で掴み取った通り、お前さんには死と再生の未来が待っている。けど、ここでの話を聞かなかった事にして今すぐ森へ帰れば、これまで通りの穏やかな日々を続けられるだろう。逆にヴェルナーを助けようと思うのなら、その未来からは逃れられない」
さぁどうする? と、問いかける彼女の声は凪いでいた。そこに滲み出る感情はひとつもない。それだけで、彼女のこれまでの苦悩の一端を垣間見た気がした。
助けたい。素直な感情はすぐにもそう言った。けれど自分が行くことで、事態を悪化させる可能性を唱える理性が口を噤ませる。
勢いよく、玄関を開ける音が響いたのはその時だった。振り向けば、家主に断りもなく赤毛の女性が入ってきていた。――ビアンカ。嗜める先見の声も届かない。半狂乱の彼女が捲し立てた。
「おばばさま、白の魔道士が来たって聞いたわ。ねぇ、来たんでしょう、おばばさま。あの人を助けてくれる人が、来たんでしょう?」
「ビアンカ、落ち着きなさい。いま、その話をしているところだよ」
「話をしてるってことは、そういうことでしょう? わたし、ずっと待ってたのよ。あの人を助けてくれる白の魔道士を。彼がどんな状況なのか、おばばさまも知っているのにどうしてそんなことを言うの」
ねぇ。突然向けられた視線に肩をびくつかせた。
「あなたは、あの人を助けてくれないって言うの?」
「やめなさい、ビアンカ」
先見が諌める声も届いていないのだろう。話から推測するに、ヴェルナーの結婚相手なのだろう彼女は、なりふり構わない力強さでルーイの右腕を掴んできた。
返事をする間も無く、息を詰める。そこにあるのは、単なる恐怖だった。
「お願い、彼を助けて」
朗らかな、明るい人だと手紙には書かれていたはずである。その面影も見当たらない、やつれた顔は、恐ろしさを感じるほどに真剣な色をしていた。
深くため息をついたのは先見だ。彼女にはこの光景も見えていたのだろうか。苦し気なその姿を哀れに思った。
ナズース。誰しも運命の大きな流れからは、逃れられないのだろう。けれども。
「ヴェルナーはまだ、生きているんですよね」
「生きているよ。占いの結果だけじゃない。こちらの味方をしてくれている騎士からも、そう聞いている」
「僕なら、助けられるんですか?」
いま分かれ道を選んでいるのは、己の意思だろうか。
「……解呪が出来る魔道士を、探し続けてはいるよ」
「なら、」
「ルーイ。すぐ、答えは出さなくていい」
それとも、これも運命なのだろうか。
「そんな、おばばさまっ! どうして! ねぇ、あの人を、ヴェルナーを助けて」
「ビアンカ、お前は一度家に帰りなさい」
「嫌よ、頷くまで離さないわ。ねぇ、助けてよ」
分からないから、選んだつもりでいよう。
「やれるだけ、やってみます」
結局は、その場の勢いに呑まれてしまっただけとも言えるこの答えが、正しかったのかどうか。そんなこと、いくら考えたところで分からないのだから。




