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「だからって何故そんなことを俺に訊くんですか」
宿屋。
一階の食堂で食事をしているイーグの前にどっかと座って恋について尋ねると当然だがイーグは露骨に嫌そうな顔をした。
「古傷にもなっていない生傷に爪を立てないでください、そういうところですよ、ソニアさん」
「そうだよな……私も君に訊くのはどうかと思ったんだよ、イーグ……でも茶化さずに話を聞いてくれるのは君くらいしかいない」
一応、弁解しておくとソニアも頑張ったのだ。
漁師仲間のエルメシアに打ち明けたら顎が吹っ飛ぶかと思うほどの勢いで爆笑され、最高の冗談だと絶賛されたところでそれ以上相談する気が失せてしまったし。宿屋の主人や行きつけの料理屋の店主に話を振っても同じ反応が返ってくる予感しかしなかった。
ならば付き合いの長い、王宮の面々ならどうだろうかと考えたけれど。
ルカが外堀を埋めている様子だったのでやめておこうと思った。
本気で困っていることを感じ取ったのだろう。
イーグは『俺は被虐趣味はないんですが』と皮肉を言ってから溜息を吐いた。
「一応訊いておきますが……あなたに想いを告げているのはルシアン陛下ですよね」
「あぁ」
眼鏡をつけなくなったイーグの顔は見慣れないけれど。眼鏡をかけていた頃よりも今の方が彼は『らしく』見える、なんて思いながらソニアは頷いた。
「ではソニアさんはルシアン陛下をどう思っておられるのですか」
思いもよらないことを言われたソニアは目を瞬いた。
「ずっと大切な子で、その子のために私は王として様々なことを成し遂げた。当然好きだし特別だし誰よりも幸せになってほしいと思っているよ」
淀みなく答えながら、少しだけ自信がなくなる。
ルカと相対したときはまだほかに何かあると思ったのに寝て起きて、どうしようと悩むうちにそれを見失った気がしてならない。
そんな気持ちを持て余しているとイーグがにやにやと笑っていた。
見たことがない顔だ。
人が悩んでいるのに、と思って思わず睨むとさらに深まった笑みが返ってくる。
仏頂面で話を聞かれるよりは気楽だがやっぱり茶化されるのか、と思うと相談しなければよかったとも思えてくる。
「本当にあなた……恋を知らないんですねぇ」
そう思っていた矢先にそんなことを言われて。ソニアは思わずイーグを見つめた。
今の言葉の何を以て、イーグはそう判断したのだろう。
「まぁ、幼いころから王宮に居て、『個人』でいる時間の方が短かった弊害ですね。勿論あなたの好意は純粋なものでどこまでも正しいですよ、優秀な王様だっただけあります」
そうかと思えば流れるように称賛されて戸惑う。
「例えば、ある日突然陛下が『政略結婚をすることになった。だからソニアとは結婚できないし今後会うこともできない』と言ってきてもあなたは『そうか寂しいよ』なんて言えるんでしょう」
戸惑っているうちに言葉は続き。勢いに押されるようにソニアは頷いた。
いまのリュシテール王国に政略結婚が必要な局面はそう起こり得ないと思うけれど。政略結婚が必要な局面があるのなら致し方ないと思うだろう。
けじめをつけるためにルカと会えなくなることは寂しいけれど。遠くから幸せを祈ることくらいはするかもしれない。
あるいは何か力を貸せるか考えて、先王としての立場を何かに使うように進言するか……
「では訊きますが、ある日突然、陛下が『他に好きな相手ができた。その相手は王妃になると言ってくれている。ソニアと同じ八歳年上の、頼れる女性だ』……そう言われたら?」
続くイーグの言葉にソニアはぴたりと動きを止めた。
その時になって、仮にルカが、同い年くらいの少女を結婚相手に挙げたら祝福したかもしれないと思ってから……果たして本当にそうだろうか、と考える。
そう考えてから、架空の相手の年齢は関係ないと気付く。
祝福できない、と思ってしまった一瞬の……感情の滓のような感覚は……
「驚いた。私は嫉妬した」
ソニアは心底驚いてイーグを見つめた。
年甲斐もなく、とかイーグに何を言っているんだ、とか思う前に言葉が零れて、少し戸惑う。
「おめでとうございます、恋とはちいさな自覚の連続ですよ。あなたは恋の始まりを掴んだんです。その調子でいろいろ考えてみれば……次に陛下が家を訪れた時に答えが出るんじゃないですか」
わざとらしく手を叩いてイーグが微笑む。
皮肉げな言い回しだと思ったけれど妙に彼には似合っている。
「君はいい男なんだな……やっぱり私にはもったいなかったよ」
思わず呟くとイーグが声を立てて笑って、肩を竦める。
「そういうところですよ、ソニアさん」
なにが『そういうところ』なのかはわからなかったので。取り敢えずソニアはお礼にイーグにとっておきの燻製肉と海獣の脂で作った蝋燭を贈ることにした。
そんなこんなでソニアはルカのことを考える時間を増やしていった。
風を捉えて舟を駆る時。気分転換に馬を駆る時。雨の日に室内で作業をしている時。眠る前にぼんやりと天井を見上げる時……
そうしてわかったのは自分はちゃんと……ルカほどの熱量はないけれど確かに……ルカに対して恋をしていて。ちゃんとルカの特別になって。できることならこの手でルカを幸せにしたいと思っているということだった。
せっかく手に入れた自由も返上して、王宮に戻るというほどの熱意はないけれど……ルカが望むならその提案を受け入れてしまうだろうと思う程度にはルカを好きでいると自覚した。
いまならルカに応えられる……そう、思っていたのだが。
待てど暮らせど、ルカからの便りは一向に来ない。
忙しいのだろうと思ってのんびり日々を過ごしていたけれど。
その時になって、自分からルカに連絡をしたことがなかったことを知った。
少し悩んだソニアは旅に出ることにした。
王都までの、短い旅だ。
そんなこんなで馬をのんびりと走らせて一日、王都についた。
ルカが即位した頃から街の印象は大きく変わらず、相変わらず人が行き交い、賑わっている。
その時になって行き違いになったらいけないと思ったソニアはルカに鷹を飛ばし……鷹は手紙をつけたまま戻ってきた。
どうやら残念なことにルカは不在であるようだ。
ならばと思ったソニアは王しか知らない抜け道を使って王宮に戻った。
相変わらず壮麗な王宮に懐かしさを感じてぶらついていると怖い顔をしたアマルテが追いかけてきた。
「ソニア」
「やぁアマルテ。久しぶり。ルカは外交かな」
「……はい、十日前から隣国へ。相変わらずですね、本当に」
四歳年上のアマルテとは長い付き合いだ。
ルカの教師時代からの付き合いだから半生を共にしたと言っても過言ではない。
「ここに来られたということは陛下の求婚のお返事ですか。陛下の訪れを待たないのが、本当にあなたらしいですね」
「一応待っていたんだよ。でも来ないから気分転換に旅をしつつ王都の様子も見ようと思ってね……うまく治めているようだ。私はとても嬉しいよ」
「陛下はあと二日は戻られないと思いますが……手紙を出しておきましたので。すぐにも戻られると思いますよ」
自然にソニアを先導し、当然のようにソニアが以前過ごしていた先王の為の部屋に通したアマルテは茶を用意する。
「そっか、じゃあ森にでも行こうかな」
「……夢中になって陛下のお戻りまでに帰ってこられないという可能性を捨てきれないので王宮で過ごしていただけますか。私の精神衛生の為に」
「うん……じゃあ、せっかくだしほんのちょっとお世話になろうかな」
外套を脱いで衣装掛けにかけようとしたところで。中空に現れたしなやかな腕が外套を取り上げる。
あっと思った時にはしろい腕がするりと体に巻き付いていて身動きが取れない。
「ミーリア」
容赦なく体を拘束し、頬がくっつきそうな至近距離に居たのはソニアの侍女兼護衛だったミーリアだ。
「はぁい、ミーリアよ。久しぶりソニア。相変わらず体を使って……指先荒れすぎ。それに何その日焼け。駄目よー王位を禅譲したからって、自由すぎでしょ、あなた」
懐かしいなこの感じ、と思いながらソニアはミーリアに浴室に連行された。
久しぶりに全身磨き上げられてげっそりしながらも……懐かしいやりとりを確かに楽しんでいる自分もいて。寂しさなどは感じなかったけれど王宮には確かに好きな人たちがいるということをしみじみと実感した。




