↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/8

4

「あー……いいものだな」


 宿屋のベッドに寝転んだソニアは微笑んだ。


 お世辞にも広いとは言えない部屋だが個室だし、ベッドは清潔でシーツは日向の匂いがするし。一階には共用の風呂場や食堂がついている十二分に良い宿だ。


 そう。食堂と言えばこの宿の主は料理が上手いと評判らしい。

 今夜は他所で食べてしまったけれど明日の朝食が楽しみだ。


 立派な駿馬に興奮していた様子の馬丁の少女には念のため、口止め料を渡したけれど。誰も自分を追うことなどないだろうから要らない心配だったかもしれない。


 強いて言うならルシアンが追ってくる可能性があるが、自分が居なくても政が回るようにすべてを引き継いだ後だし。自分が統治していた頃に比べると王の負担も桁違いに少ない。


 今更わざわざ何か確認することなどないのに、何故かルシアンは即位式の後に話をしたいと言っていた。

 それだけは少し、悪いことをした気がするけれど。そこまで念押しされなかったし、きっとたいしたことではなかったのだろう。


 ソニアはあくびを噛み殺した。


 宿に備え付けられていた石鹸は粗末なものだったけれど乾燥させた花や蜂蜜を混ぜた自家製だったのだろう。

 使い心地はお世辞にも良いとは言えなかったけれどとてもやさしく、落ち着く匂いがして。ソニアは眠りに落ちた。




 ふと目を覚ましたとき、窓の向こうはまだ星空だった。

 目を覚ましたということは異変を感じたということだ。


 そう思ったソニアは星の位置から間もなく夜が明けることを察しそっとベッドから身を起こした。


 今更不要になった先王を何者かが殺しに来る可能性はないと思っていたが。思いもつかないことを考える者はいるものだ。

 考えられるのは他国のものに誘拐され人質として使われる可能性だが……こんなにも早く身元が割れたとは思えない。


 王宮でも自分の不在は明らかになっていないだろう。

 そう思いながら息を殺していると馬の鼻息の音がした。


 宿に備え付けられた厩の方角ではない。

 表の通りに馬を繋いだ者が居る。

 

 蹄が地面をかく音。宿の前は石畳の通り。

 音は一定。蹄が整っている……つまり、旅人や商人の馬ではない。

 近距離……王宮。


「こんなところにいたんだ、ソニア様」


 あっと思った時にはもう開いた窓から伸びてきた手に手首を掴まれていた。

 黒々とした影。骨ばった手は武器を扱った者特有の硬い胼胝があるけれどどこか優美な印象がある。

 誰の手かなんて考えるまでもない。


「陛下……もう即位されたのですから私に様を付ける必要などありません」


 ソニアは抗わず丁寧な口調を返した。

 するりと部屋の中に入ってきたのはこの国の王……ルシアンだ。

 そうすると何故か、ルシアンは虚を突かれたような寂しそうな顔をする。


「臣下のような話し方はやめてほしい。あなたは先代の王なのに」


 縋るような口調にうっかり絆されそうになるけれど。ソニアは首を振った。


「私はただの名もなき女です。先代の王など不要な国にした……だから私はもう自由です」


 そう言ってにっこり微笑む。

 けれどルシアンは微笑みを返してはくれなかった。


 ただ、上腕を掴む手の力が増す。

 王宮から抜け出してはいたけれど、ルシアンが戴冠する様はちゃんと見ていた。

 立派な王として即位したと感じたけれど強い力で腕を掴んでいるのは無自覚だろう、まだまだ若い。


「あなたが『王』として命じるなら私は先王フィロソフィアとして王宮に戻ります。とはいえこの国における先王の使い道など適当な国に輿入れさせるくらいのものです……私としては『ルカ』として自由を愛する女ソニアを放っておいてほしいんだけど」


 微笑んだまま告げると国王ルシアンが刺されたような顔をする。

 十中八九、ソニアを慕う弟分のルカとして追いかけたけれど、王として声を掛ければ連れ戻すことができると思っていたのだろう。


 未熟な面も微笑ましくて。ついソニアはいつものようにルカの頭を撫でる。

 頭を撫でると長い髪が揺れて、煌めく。

 侍女が毎日手入れする、月の光を紡いだような見事な金髪がほんの少し乱れているけれど馬を駆って森に入ったのなら上々の状態だ。


「それにしてもよくここがわかったなぁ……私は気まぐれに馬を駆って結果的にこの宿にたどり着いたのに」


 ルカが黙っているのでソニアは声を掛けると、ルカは微苦笑を滲ませた。


「あなたのことは誰よりも見てきたんだ。王宮のどの馬を選ぶか。どの抜け道を通るか。馬の駆り方も、猟の仕方も……王宮の北西に左目を射抜かれた鹿が葬られていた。あなたが狩ったんだろう。あとは馬の痕跡を追ってきただけ……」


 ルカは淀みない口調で告げながら、肩を抱いてくる。

 その時になって、ソニアはルカが自分よりも随分と大柄で力が強くなっていることを意識した。


 ルカが八歳の少年だった頃からずっと一緒に暮らしてきたのに。ルカの背丈が自分を越してからこんなふうに触れ合うことなどなかったからわからなかった。


 王になったからだろうか。

 少年らしさを残した整った顔も、金の髪も陶器のように滑らかな肌も見慣れたものなのに、ルカは確かに男の顔をしていて。見慣れているはずなのにソニアはルカをまじまじと見つめてしまった。


「街に入ってからはとんでもない美人がさえない眼鏡をかけた黒髪の男に婚姻の腕輪を贈って食事を共にしていたという噂もあった……何かの間違いだよね」


 じっと見つめているとルカもこちらを見つめてくる。

 うつくしい河を思わせる深い青い眼が、いまは部屋が暗いせいか、夜の水底のように暗い色をしていて。こうして見ると少し怖いな、なんて思いながらソニアは微笑んだ。


「護衛とはぐれて困っているようだったし武の心得もなさそうだったからね。食事はほら、あの市場の手前の店だよ……評判通り美味しかったよ」


 そう言いながら昼に食べた料理を思い出していると何故かルカに髪を撫でられた。

 気のせいか、先ほどよりもきつく体を拘束されている気がする。


 胸も、腹も、腰も重なるようで。少し苦しい。

 なにより鼻先が触れ合うような距離だから話もしづらい。


 自分が捕虜扱いされる理由がよくわからないけれど。ルカは捕虜の捕らえ方を忘れてしまったとしか思えない仕草だ。


 こんな体勢では正中線上の急所も狙われやすい。

 相手が自分とはいえ普段の行動はいざという時に影響する。

 そんなことを思っていると深く息を吐いたルカが離れるので。ソニアは二歩下がりながら何だったのだろう、と考えた。


「ソニア様はもう王宮には戻らないのか」


 ふっと息を吐いたルカがそう尋ねてくるのでソニアは頷いた。


「時々ルカやアマルテやミーリアには会いに行くよ。何もかも完璧に引き継いだからね。しばらく私は気儘に過ごしたい……ないとは思うけれど国が立ち行かなくなった時は他国に輿入れでもなんでもするから利用してくれて構わないよ」

「そんなことはさせない……絶対に」


 ルカが何故追いかけてきたのかわからないのでソニアは思うところを素直に告げ。ルカは心底困った顔をしてから唇を引き結んでこちらを睨むように見つめて断言した。

 眼差しの強さから本気を感じたソニアは微笑んだ。


 ルカはまだ若いが良い王になる。

 たった十年ではあるが玉座に座ってきたからこそ、思う。


 政において女を使うのは簡単だ。

 だからこそ自分は女の国で女を使わないように渡りきった。

 外ならぬルカがその手腕をずっと見ていてくれたような気がして嬉しい。


「ソニア様は……伴侶選びをしないのか」


 そんな感慨に耽っているとルカが遠慮がちに訊いてくる。

 政略結婚を使わないと宣言したとはいえ王として気になるよな、と思いながらソニアは微苦笑を浮かべた。




 この国の女たちは年頃になると子を孕むために伴侶を探す。

 当然、恋をして国を出ていく者や伴侶探しの為に国の外に出て戻ってこない者も居るが、大半の者は伴侶を探し、国内で子を産んで町や村で暮らし、皆で育てる。


 勿論伴侶選びをするかしないかも個人の自由だ。

 この国には五十年に一度しか男が生まれないので王の結婚も自由だ。


 長い歴史の中には生涯独身を貫いた王もいれば、他国の男と懇ろになった王もいる。

 故に王族というものは存在しない。

 男が生まれるのに血筋は関係がないからだ。


 ただ、王の娘は幼いころから王宮で暮らすため、高い教養が身につきやすく、将来的に要職に就きやすいため、王が即位すると子供に安逸な将来を歩ませたい女たちが詰めかけるのが習わしだ。


 きっと既にルカも苦労しているのだろう。

 自分も王位に就いていた時は他国からの縁談がかなりの数来ていたし、外交の場ではっきりと婚姻を求められることも多かったので不本意な縁談の煩わしさは理解できる。




「子供は好きだし三人くらい産みたいが、しばらくはひとりで居たいな。森で馬を駆って、猟をして……南の海沿いの街で暮らしたり、他の国を訪れるのも捨てがたい」


 ソニアは無邪気に楽しい予定を語った。

 今日即位したルカに対してひどい仕打ちかもしれないが。自分が王だった頃に改革を進めたのでルカは王としての重責を担う必要はあるが、執務を数日休んだり、旅行に行ったり、森に入って鹿を狩る余裕だってある。


 そのために形骸化したしきたりやら、王がこなす必要のない仕事の分業を進めたのだ。

 当然非難の声もあったけれど、即位して早い段階で改革を行ったし。問題なく回る政に何の不満も出ていないことはここ数年確認済みだ。


「仕事が忙しかったからだろうか……今日鹿を狩ったが楽しかったぞ。ルカもたまに息抜きをすると良い」 


 状況も忘れてそう告げるとルカは黙り込んだ後少し考えこむ目をした。


「ソニア」


 そして静かに名前を呼ばれたソニアは目を上げた。

 もう王になったのだから様をつけなくてもいいと言ったのは外ならぬ自分だけれど。改めて呼ばれると少し照れてしまう。


「ソニアは俺の特別な人だ。だから気が変わって、伴侶選びをする時は一番に俺に声を掛けてほしい」


 そう言いながらルカはソニアの手を取り。いつの間に持っていたのか、白金の輝きが美しい腕輪をするりと嵌めてしまう。

 右だけではなく、左も。


 これでは自分はどう見ても既婚者だ。

 しかも一般的に銀を使うのに金を飛び越えて更に希少な白金の腕輪。

 もはやここまで来ると手を出してはまずい女だ。


 ただ、先王である以上、そうなるのだろうとソニアは納得した。


 やはりルカは優秀な王だ。

 そんなことはさせないと言い切ってくれたけれど、何が起こるかわからないのが政治だ。

 万が一に備えて誰も手が出せないように自分を手駒として確保しようとしている。

 伴侶選びをする時に声を掛けるというのも下手な相手と先王がくっついてしまったら困るせいだろう。

 ソニアは微笑んでまたルカの頭を撫でた。


「わかった。なるべく国外には出ないようにするよ。いざという時どこに居るのかわからないのはまずいから鷹を使って居場所を知らせることにする」


 思えば昔からルカは心配性だった。

 先王として利用する局面がこないにせよ、自分がどこに居るのかは知っておきたいのだろう。

 そう思ってソニアは幼いルカが厩や森にまでついてきたがったことを思い出して懐かしく思った。


「ソニア……俺も、十八の男なんだよ」


 頭を撫でていると前髪の影から何故か恨みがましげな視線が返ってくる。

 ソニアはルカに十八、と言われて今日即位したのだから当然わかっているよ、と思ったけれど。同時に十八か、と感慨に耽る。


 出会って十年。十六の小娘だった自分が歳をとるはずだ。

 世間的に見れば二十六はまだ若いかもしれないがこの十年が濃厚すぎた。

 気分的にはもう隠居した気分なのだ。


「俺は王としてではなくルカとしてソニアと一緒に居たいんだ」


 手を握ったまま、ルカは食い下がってくる。

 ずっと傍に居た存在が離れることが寂しいのだろう。

 王とは孤独なものであることは自分も王だったからわかる。

 だからこそルカは縋っているのだろう。


「なら、たまに息抜きで会いに来てくれたらいい。一緒に森で鹿を狩ろう。料理だって振舞うし近くの街に遊びに行ってもいいじゃないか。私もルカが特別だし、たまに一緒に居られると嬉しい」


 にこにことソニアはルカの手を握り返した。

 王ではない自分の時間が大切だということは今日一日で痛感した。


 年増とはいえ女性と共に居る王というのは世間的に評判がよくないかもしれないが、先王であると知れば皆、納得するだろう。

 それにそんなささやかな噂ひとつでルカのすばらしさは揺るがないから縁談に支障もないだろう。


 きっと喜んでくれると思って言った提案だったのに。何故かルカはしょぼくれた顔をしてしまう。

 それでも手を離そうとはしないので本気で怒ったわけではないのだろう。

 ひそかに期待したことが叶わなかったというようなその顔は十年前から変わらずわかりやすくて。つい可愛いと思ってしまったけれど。

 そんなことを言うとルカがへそを曲げるのがわかっていたのでソニアは賢明にも無言を貫いた。


 結局ルカは夜明けまで部屋に居た。

 並んでベッドに座ってどこに行きたいかという話をしていたら案外盛り上がって。次に落ちあう街も決まった。


 いつになるかはわからないけれど。ルカの都合がつくときにその街にたどり着いてさえいればよいので自分は気楽なものだ。


「くれぐれも気を付けて」


 去り際。ルカはソニアをきつく抱きしめた。

 ソニアは抱き返したけれど。思ったより分厚いルカの身体に少しだけ困惑した。


 いつの間にか、ルカの身体は腕を回すのに難儀するほど逞しくなっていて。

 弓では勝てそうだが接近戦ではかなり不利だなとしみじみと思った。


「ルカも。今度会う時は私の温かい手料理をたっぷり堪能させてやるからな」


 楽しみは多い方が良いと思ってソニアがそう返すとルカは照れたような、少し困ったような顔をして笑う。

 心底嬉しい時のルカの顔を見られて。ソニアは満足し。

 窓から出て行ったルカを見送った後。さて、変な時間に起きてしまったし昼まで惰眠を貪ろう、と目論んでベッドに転がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。