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王宮。
あっという間に日が暮れ、街の明かりが蜜色の闇を空にまで広げていた。
このお祭り騒ぎは五十年に一度だ。
きっと三日三晩は続くだろう。
街の喧騒を遠く聞きながら。燭台の影がちらちらと揺れる薄暗い謁見室でルシアンは玉座に深く腰掛けていた。
「陛下、本日は誠にお疲れ様でした」
胸に手を当てて微笑むのは側近のアマルテだ。
今日の即位式の間もずっと傍に控えてくれていた彼女の方が疲れているだろうに、そんな表情はおくびにも出さない。
流石は先王フィロソフィアから仕えている側近だ。
確かフィロソフィアよりもいくつか年上だったか。
「ソニア様に会いたい」
「はい、そうですね。案の定即位式は欠席されましたから……執務室の灯りはありませんでしたので、ご自分のお部屋かと思います」
ふふ、と含み笑うアマルテは冠を外しても小言を言わずに当然のように冠を受け取り、下がってくれる。
ルシアンは立ち上がると逸る気持ちのままにフィロソフィアの……ソニアの私室に向かった。
「ソニア様」
逸る気持ちのまま回廊を抜け、星明りと月明かりで仄明るい廊下を歩き、ルシアンはドアをノックして声を掛けた。
間もなく王になるのだから様を付ける必要なんてないと言われて久しいけれど。幼い頃からの習慣は抜けないものだ。
物心ついた時にはもうソニアは自分の師で。自分が八歳の時に王に即位したのでソニアはこの国で唯一、自分よりも立場が上の女性で……何より、何もかもを兼ね備えた、誰よりも尊敬できる女性だ。
ソニアは自分を息子か弟のように思って接していたのかもしれない。
けれど自分にとってソニアはずっと特別で目指すべき、誰より美しい女性だ。
だから今夜……王になった夜。想いを伝えるつもりでいた。
自分の、生涯ただ一人の妻になってほしいと。
そんな気持ちでルシアンはソニアが応えるのを待ったけれど室内はしんと静まり返っている。
まさか眠ってしまったのだろうか。
いいや、まさか。即位式の後、話をしたいと伝えたのだから、もしも何らかの用事や事情で応じられないのなら侍女や、それこそアマルテに伝言をしたはずだ。
嫌な予感がしたルシアンは無礼を承知でドアを開けようとした。
鍵に阻まれると思ったドアは予想を裏切ってあっさりと開き……窓からの明かりの差し込む部屋はいつもと変わらなくて、ひとまずルシアンは胸を撫でおろしたけれど。
何故か。言いようのない……本能、とでも呼ぶようなところが落ち着かなくて。
ルシアンは室内に踏み込みながら主のいない部屋を眺めた。
ソニアは完璧無比な女王だった。
リュシテール王国史上初の女王という重すぎる肩書きをやすやすと背負えるだけの頭脳と美貌と精神があった。
「ソニア様」
声を掛ける。
姿が見えないけれど奥の浴室だろうか。それとも内部の廊下を使って隣室に設えられている侍女の部屋に居るのだろうか。
それとも……いいやソニアは自分との約束を忘れて散歩に出かけるような人ではない。
返事がない時間が少しずつ積み重なるだけで、腹の奥がしくしくと蝕まれるような気持ちになる。
この気持ちは……焦りだ。
吐いた息が震えていることに気づいた時。そう、実感して。
ルシアンは部屋を再び見た。
華奢な輪郭がうつくしいティーテーブルに、分厚い本が整然と並ぶ本棚。
真新しいろうそくが取り換えられた燭台に、水が減っていない水差し……
天蓋付きの、シーツの整えられたベッドには横たわった形跡がほんの少しだけある。
ルシアンは導かれるように窓際にある、書き物をするための机を見た。
椅子が引かれて、戻された跡が絨毯にある。
歩み寄ると机の上には羊皮紙があった。
見慣れた流麗な筆跡は……ソニアのものだ。
書かれていた文字はあった。短かった。
曰く。
『自由を満喫したいので探すな』
何か思う前に。ルシアンは羊皮紙を掴んでいた。
ここにはいない、ソニアの手首を掴むような強さで掴んだので羊皮紙は一気にくしゃくしゃになって読めなくなる。
ルシアンは自分がいま、どんな顔をしているのかわからなかった。
激情は一瞬で、いまは不思議と心は凪いでいた。
ふっと息を吐きだす。
ルシアンはそっと手紙を持ったまま踵を返した。
感情は落ち着いていた。恐らく、微笑んですらいた。
けれど……心は定まって、動かなかった。
手紙を鷲掴んだまま謁見室に戻ると、アマルテがルシアンの顔を見て表情を引き締めた。
「アマルテ。駿馬を一頭……朝には戻る」
「かしこまりました、お気をつけて」
何も触れるべきではないと思ったのだろう。
アマルテは微笑んでルシアンに外套を着せ掛けた。




