第五話『ごくん』
有機質の残骸達の船上から、無機質な船内へと、足を踏み入れる。
音が急に遠くなる。ならば変異個体の殆どは船上にいると考えておかしくないだろう。
船内は臭いも音も無いが、そう広くない。だからこそ変異個体と出会うと面倒なのは間違いないが、船上では嫌になる程見た血の跡が無いから、その心配もある程度無さそうで安心した。
「俺達は合わせて……五、六体は倒してたっけか」
「そだねー、そんくらい。でも生きてる人があまりに少ないし、これだけ広いとねー。まだまだいるかも?」
軽く言ってくれるなと思いながらも、俺はイサナと話しながら部屋の一つ一つを確認していく。
船上で俺達が閉じ込められていた部屋達とは違い、船内にある船室はどれも綺麗な個室だった。ただ何かしら便利な物があるという事も無く、俺達はひたすらに医務室を探す。
「あるとしたら目立つんだろうけど、地図みたいな物があればな……」
「すみません……私のせいで」
花渡が申し訳無さそうに、俺とイサナの後ろから声をかけてくるが、イサナは隣でクルッと彼女の方を振り返り、OKサインを出しながら笑っていた。
「生きてるだけでらっきーらっきー。でも痛いのはいやだもんね? だからいいんだよ」
「まぁ、こればっかりはイサナの言う通り。変異個体にやられたってのも少し気になるしな……」
言葉を間違えたと思った時にはもう遅かった。事実として気にはなっていたが、それを今言うのは花渡の不安を煽るだけだ。
ただ、俺の懸念とは別で、彼女は意外と真面目に、その言葉を受け止めていた。
「ですね。今の所は痛み以外の違和感は無いですが、いざとなったら……」
意外な言葉に、俺は少しだけ驚いて彼女の方を見る。しかし彼女は至極真面目な表情をしていた。だから、俺もしっかりと頷く。
弱気に見えて、芯が通っているのかもしれないと、そう思った。
船内は意外と静かだが、揺れの気持ち悪さがより肌に伝わり、船上の激しさのギャップでより頭がクラリとする。
「医務室……あった。けど鍵、か」
「んー、わはひはふっほはふ?」
指を咥えながら喋るイサナを見て、俺は慌ててクロトの糸を取り出して、ドアノブの中をぐちゃぐちゃにかき回した。
鍵を開ける必要はない、とりあえずこのドアノブをドアノブとして機能出来ない状態に出来れば良いだけだ。どの道、ここに変異個体が来たって迎え撃つしかないのだから、鍵の意味なんてない。入れないことだけが、問題。
――それと、安易に力を使おうとするイサナも、問題だ。
定着率の意味は分からない。それでもイサナは意味が分からないまま力を行使しているきらいがある。
俺はなんだかそれが怖くて仕方なかった。心強いのは間違いない。
「お前は適当に力を使わんでくれ、まだ分からない事ばっかりなんだ。雑務は俺がやりゃあいい」
「んー、まぁそういうもんかぁ。でも、死なないでね?」
当たり前に出てくるような言葉じゃない。けれどもう当たり前に言い交わす言葉だ。
信頼より信用より、ずっと浅い。今はまだ、互いが生き残る為の約束。
「死なないさ。死んでたまるかよ」
俺とイサナはそんな事を言い合うが、それよりも実際に傷を負っている花渡の方が問題だ。俺は医務室のドアを開け、中に誰の気配も無い事を確認すると、彼女をベッドに座らせる。
「とはいっても、裂傷をどうこう出来るような知識は俺には無いぞ。とりあえず、消毒か?」
「です、ね。あそこは決して衛生的ではなかったので。服はまくっておくので消毒……お願いしてもいいですか?」
血が染みた淡色のブラウスが、痛々しさを物語っている。彼女に言われるがまま、見覚えのある消毒薬をそっと傷口にかける。痛みに堪える声に俺も心が少し痛いが、それでも仕方がない。傷を負わない為には、強くなるしかない。
「んー、結構パックリいってるね? そのままにしとくと微妙かも?」
確かに、傷口こそそう深くも大きくはないものの、花渡の腹部は、通常であれば縫われる程度の傷が出来ていた。しかし、技術者がいるわけではない。
「ちなみに、こういう事が出来るヤツ、いるか?」
小さな沈黙、しかし花渡が、小さく手をあげる。
「私が受けた傷です、私が決着をつけます。えっと、三神さん。能力……糸ですよね?」
こういう話は傷口の話が済んでからだと思っていたが、互いの能力については、説明せずとも実際にお互いが観測しあっている。イサナが花渡を助けた時に格闘していたのと、さっき指を口に含んだのを止めた俺とのやり取りを見れば彼女の分が、そうして俺と花渡は海葬をした時にある程度能力は把握出来ているはずだ。
「確かに糸だけど……まさか」
「強度は、あります、よね?」
そのまさかのようだった。彼女は自分自身で、自分の傷を縫うと、そう言っている。
「ケーくんの糸、先端は針みたいなもんだしねー。気合があれば何でも縫える……かな?」
気合の問題ではない気もする。しかし言われている事には、状況を考えれば納得は出来る。
「私が、自分で縫います。三神さんの、糸を貸してください」
覚悟を決めた表情は、怯えていた少女のそれではない。例え今この瞬間だけのものだったとしても、俺はその覚悟を、引き受けたいと思った。
「あぁ……好きなのを使ってくれ」
俺が糸を出すと、彼女は自分の傷口の周りに向けて、手を当てる。
「冷……花」
彼女がトン、トンと触った傷口の周りに、青白いマークのような物がついていく。
「……熱するだけじゃないんだな」
「どちらも、中途半端ですけどね。でも、少しだけ耐えれます。きっと」
花渡はそう言いながら、俺の糸の一本を手に取り、後ろを向いた。
「……大丈夫か?」
「えぇ……痛みが顔に出るのが、嫌なだけです」
彼女もこの実験のようなものに巻き込まれただけだというのに、心を強く持っている。
というよりも強く持てなかった人から、変異個体によって脱落させられる、間引きのゲームのようにも思えた。
「…………ッ! ふっ……う……」
彼女の声と共に俺の糸が少しだけ前へと動く。
一瞬、その声を聞いて俺は心が揺らぎ、彼女が掴んでいる糸以外が、スッと消滅する。
――糸の強度は、心の強度。
ならば、俺が彼女から目を背けてはいけない。その背中を、少しだけ見えるその手つきを、見ていなければいけない。
「どしたのケーくん、真面目な顔して」
イサナが小声で聞いてくる。こんな状況で何をいうんだと思った瞬間、自分自身が緊張していると自覚した。心の強度が、緊張で揺らぐ可能性は、十二分にある。だがまだ、制御出来ている。痛みは、しっかりと俺の糸と共に進んでいく。
「お前は真面目になろうな。あの子は今頑張ってんだよ」
「だからさ、イサナはケーくんも頑張ってねって言っただけだよ」
言ってないが、言われていたのだろう。イサナという少女と出会ったのも、花渡という少女に出会ったのも今日が初めてだったが、それでも印象で分かる事はある。
それも、共にいる必要があるならば尚更だ。
イサナは強いが、少し力に酔っている節がある。倫理が通じないかと思えば、見透かしたような事をいう。今はもう俺達二人の事を放って、医務室の中をガサゴソと物色している。
逆に花渡は戦いに積極的なタイプではないのだろう。しかし合理的で、何を以てまともと呼ぶのかは疑問だとしても、イサナよりもしっかりとしている子のようだ。背中をじっと見つめていると、一本の三つ編みで結んだ茶色い房が、小さく震えていた。
「これで……最後っ!」
その言葉と共に、俺の糸は分断された。おそらくは花渡が、炎か何かで物理的に切ったのだろう。
振り返った彼女の目には涙が滲み、丸い目が無理をしてふにゃりと笑っていた。
「へへ、何とか、なるもんですね……」
強がりをいう彼女が見せた傷口は、不格好ではあるもののしっかりと縫合されていた。
そうして彼女が捲った服を下ろそうとした時、イサナが花渡の隣に座る。
「駄目だよリーちゃん、包帯巻かないと」
「ふぇっ?! あっ、確かに……ちょちょ! いたっくすぐったっ!」
なんとも、イサナの距離感は独特だが、花渡も嫌がっているようではないから、俺は二人――というかイサナがじゃれている風景から視線を外し、救急バッグを探して、中身を確認していた。
怪しいものがあるんじゃないかと思っていたが、意外とそんな事もなく、見覚えのある普通の商品ばかり。ただ、中身が正しい物かどうかは疑問ではある。
「ま、なんかやられるならとっくにやられてる……か」
一人で呟いていると、包帯も巻き終わったようだ。
「お待たせしました、三神さん。それにイサナさんも、ありがとうございます」
ベッドの上で丁寧にお辞儀をした彼女は、やっと彼女の本来の表情を取り戻したように、穏やかに微笑んでいる。血に濡れたブラウスも、元々彼女が着ていたカーディガンを巻いて、その染みを隠していた。
「これで、とりあえず生きている人間が三人、揃ったか」
「船内はなんだか静かみたいだけど、これからどうするー?」
イサナは花渡の横に座って、足をぶらぶらさせながら、呑気に尋ねてくる。
ただ、俺に委ねているというよりかは、俺の出方を伺っているような表情だった。
「行くべきは、操縦室。ただその前に、俺達の情報を共有しておこう」
「そだね、仲間も増えたし、ねー?」
花渡は照れくさそうに、小さく頷く。その顔が見られたなら、助けた甲斐があった。
一人でも生き残れば良いと思っていたけれど、彼女の事は、ハッキリ言って好印象だ。
「まずは定着率と、能力から、かな」
俺は自分のクロトの拘束糸の能力と、少しだけ上がっている定着率25%を二人に見せる。
「やっぱ使うと上がるんだねぇ。ケーくんが下がらないのは安定してるからなのかな?」
「分からん。その分お前みたいに強い力も出ないからな、一長一短って所か……」
「お前じゃなくてイサナね!」
そこらへんは妙に厳しいが、イサナについては、なんだか雑に扱いたい気持ちになる。
「私は、MODE:フラワーって書いてありますね……名前から取ったんでしょうか。出来る事は、炎と冷気の扱い……みたいなものでいいのかな? とにかく、どちらにしても花に纏わる言葉の力みたいです」
確か、火花と、冷花と言っていただろうか。確かにどちらも花がついている。
「そういえば、なんで俺達って、力の名前、覚えてるんだろうな?」
思えば、正確な名前を理解する前から、俺はクロトの事をクロトと認識していた気がする。
それに花渡の火花と冷花についても、そうポンポン出てくる名前じゃないはずだ。
「確かに……表記はされてますが、覚えようとした記憶はないですね……あ、定着率は10……パーです」
定着率が俺よりも低い、道理で自身無さげだったはずだと思った。
ただ、定着率がもし戦闘能力に比例するならば、彼女が起こした炎も冷気も、伸び代は俺の比ではないような気がする、しかし名前が何故か記憶に定着している事も、定着率という数値も、結局は謎の一つだ。
誰か、知っている人は絶対にいるはず、それを見つけるのが、生き残りの次の目標だろう。
「最後にお前――じゃなくてイサナ。良く考えたらお前の能力も俺、良く分かってないぞ」
「んー、お前じゃなくてイサナ、はねー。MODE:ブラッドだね。血を吸う事で色々強くなれるみたい。それ以外はわっかんないな。一応自分の指を噛んで強くなる時の力は五訓って言うらしいよ。難しい事は、これ見て?」
ごくん、五つの訓と書いて五訓であれば。彼女は自分の血を摂取する事で五つの能力が同時発動しているという事なのだろうか。
彼女のリストタグを見ると、確かに五つの心得のようなものが並んでいた。
一つ、牙は鋭く
一つ、身体は軽く
一つ、海中に強く
一つ、感覚は鋭く
一つ、血を力とする
最後の一つは結果ではなく原因のように思えたが、何か別の意図があるのかもしれない。
――そして、定着率は62%。
前の数値を正確には覚えていないが、これは色で判断出来る。
あの戦闘の後だったからだろうか、医務室前で使わせるのは止めたものの、少し上がっている。
急ぎ、この定着率の謎を解くのが、生き残りに直結するように思えた。
もしかすると、定着率が……と考えて、最悪な事態が頭によぎり、俺は首を横に少しだけ振った。
「ん、じゃあ皆の状況も確認出来たし、どーしよっか! 操縦室なら上にありそうだよね?」
「……まぁ、そうなるよな」
「足手まといには、ならないようにします」
来た時より、少しだけ俺達はまとまって、それでも船上に向かう足取りはほんの少しだけ重い。
花渡は痛い思いをさせたが、医務室を出る時に俺達が何も言わず振り返ったのは、思えばおそらく、俺達が初めて何の脅威も覚えずにいられた場所だったからなのだろう。
一歩ずつ階段を登る度に、臭いが、音が帰って来る。
だけれど俺達は、ほんの少しだけ小さな絆の欠片のような物に押されるように、階段を踏みしめていた。




