第四話『最後に人の手で』
イサナの後を追いかけて一分程の全力疾走。それでもこの船の端か端まで辿り着けない事に不安を覚えつつも、客船のような物を改造したのかもしれないという想像は出来た。
「それにしてもこれは……いやに、広すぎ、ないか」
息を切らしているのが少し情けない。体力に自信がないわけではなかったが、イサナの身体能力は、自分の血を取り込んでいる時以外も高いようだ。
「だって、急がないと死んじゃうかもだよ? ケーくんファイト!」
言っている内容は深刻なはずなのに、イサナはその身のこなしのように軽い言葉で駆け抜けていく。
彼女の後を追いかけていると、変異個体が暴れている音が耳に入る。
先に現場に到着したイサナは、走りながら右手の人差し指を曲げて口に含んでいた。
「先に、行くね」
その言葉に、緊張感が走る。言葉の圧が、今までと明らかに違う。生き残りを見つけたのかもしれないし、生き残りはもういなかったのかもしれない。
――だけれどきっと、今彼女は、赤い目をしている。
イサナより少しだけ遅れて、現場に辿り着いた俺が見た光景は、変異個体二体と、イサナより少しだけ大人びて見える少女の姿だった。
だけれど、その身体には負傷が見える。変異個体二体相手に拮抗しているというのが妥当かもしれない、イサナのような規格外の能力ならば別だとしても、俺ですら変異個体を真正面から二体相手するというのは難しいだろう。
「だいじょーぶ? 生きてる?!」
イサナの問いかけに、少女は小さく唸り声で反応する。
少なくともまだ生きてはいる。
なら、少しでも早く状況は打破すべきだ。
「弱いものイジメは、イサナきらいだなー!」
大声を出したイサナを狙った変異個体の打撃に、イサナの拳がめり込む。
その肥大した変異個体が握りしめた拳と、イサナの小さな拳にはあまりにも差があった。それでも、イサナは力押しで負けていない。彼女は変異個体の拳にめり込ませた自身の拳を、思い切り下に振り下ろす。
「頭が下がったら、膝は届くよ!」
すかさずイサナが軽い跳躍と共に変異個体の頭に膝蹴りをかます。それで既に変異個体は戦闘能力を失っているように見えた。ただ、彼女の力はあくまで身体能力の底上げに過ぎない。
肥大化している変異個体に、打の一撃は強く入れられても、例えばナイフのような斬撃に値する力は無い。
その点だけで言うならば、俺のクロトの拘束糸の方が、殺傷能力は高いという事だ。
「俺も……見ている場合じゃ、無いな」
もう一体の変異個体は、傷を追って身動きが取れていない女性の元へと迫り寄っていた。 イサナとの距離は、そう遠くない。
であればやる事は一つ。
「足を狙う! お前はトドメを!」
俺はクロトの拘束糸で、バランスの悪い細い方の足を強く縛り付ける。
肥大化して強化されているのならば、そのバランスを崩してやればいい。
――弱点は、狙う為にある。
俺は、あえて肥大化していない変異個体の右足にクロトの拘束糸を巻き付けたまま、強く力を込めた。
切断、のちに、転倒。
跳躍、のちに、蹴撃。
俺とイサナのコンビネーションで、変異個体はその胸を点で穿たれ、動きを止めた。
「ふぅ、おねーさんだいじょーぶ?」
痛みに喘ぎながらも、致命傷では無いようで、血の滲んだ白いシャツを着たその大人しそうな女性は小さく首を振る。
「ぺろん、うん! 何にも出てないからだいじょーぶ!」
イサナは無遠慮に女性のシャツを捲って、傷の状態を確認する。
深い裂傷では無かったんだろう。何も出てないという言い方はどうかとも思ったが、確かに何か出てしまっていては問題でしかない。
「ありがとう……ございます……」
女性は、怯えを隠しきれない震えを含んだ感謝を振りしぼっているように見えた。
「とりあえず、傷の手当、か……」
「だねぇ……消毒と、包帯?」
これだけ広い船であれば医務室くらいあったっておかしくない。彼女の傷は致命傷では無いにせよ。放っておくのも問題だ。
「すみません、すみません……足手まといなら、置いていっても」
「そりゃー駄目だよう。ただでさえ生きてる人が少ないだもん。何とか生きてこ? それで、イサナはイサナだけど、お姉さんは何お姉さんかな?」
俺も同じような事を聞かれた気がする。彼女なりの自己紹介の定型文でもあるのだろうか。しかしイサナの倫理観はともかくとして、こういう状況であれば多少強引な方が事も進みやすいのは確かだ。
「ありがとうございます……イサナさん。私は、白鷺……花渡です。鳥の白鷺に、花を渡るって書きます。それで、お兄さんは……?」
「三神圭だ。ただ、ゆっくり自己紹介している暇も無さそうだな。医務室を探そう」
俺は花渡に手を伸ばす。彼女は痛みに耐えているような表情をしながら、俺の手を取って立ち上がった。傷の具合から見て、深くはないものの痛みはそれなりに酷いはずだ。
能力や定着率も気にはなったが、それは今する事じゃないと、俺は首を小さく横に振った。
「歩くのは……厳しそうだな」
「じゃあケーくん背負ったげてよ。イサナは強いから、多分!」
その言葉を聞いて、花渡は少し申し訳なさそうにこちらを見る。だが俺は頷いて、背中を向けて屈んだ。
「俺の能力よりかは、イサナの能力の方が余程強いからな。道中何もいなければそれが一番だとしても、とりあえず傷の手当が出来るまではこれで行こう」
「それでさ、どこにあると思うー? いむしつ」
俺達は自室から始まり、この船上で目覚めてから殆どの時間を船上で過ごした。
食堂はイサナと出会った場所にあったが、それ以外に目立つ部屋は無かったように思える。
「あるなら……船の、内部だろうな」
この船が実験の場だとしても、これだけ大きな船だ。食堂まであったなら、元々は普通の船なのだろう。そう考えると、医務室関連は波風の影響も、揺れの影響も少ない内部にあるだろう。
「とりあえず、中に入れる階段を探す所から、か」
「あ……だったら私、見ました。人で、その……入口が、塞がれていたんですが、多分階段の入口だったはずです」
花渡は言い淀んだが、おそらくその付近で戦闘――という名の一方的暴力が行われたのだろう。結果死体が、階段付近で道を塞いでいた。であれば、ここからの移動は花渡にかかっている。
「カタリ、遠いか?」
「ふぇっ?! 痛たた……んっと、すぐです。この裏手に……」
「みてくる!」
花渡が言うやいなや、イサナが状況を確認しに動き出す。
判断が早い事は決して悪い事ではないとは思いつつも、能力を使っている時のイサナは妙に衝動的というか、少しだけ雰囲気が変わる。能力が強いという事は認めつつも、あの定着率の動き方を見た後だと、楽観視するのも違う気がした。
俺は花渡を背負って、彼女の誘導の元、イサナが駆けていった方向へと花渡の傷に障らないようにゆっくりと進んだ。
その先には、確かに人の死体で通りづらそうだが、階段が見える。
「これ、どーする?」
イサナは死体を階段から持ち上げて、地面へと置く。
人として生きて死んだ生命を、このままにしておくというのはどうにも冷たすぎる気がした。
「変異個体ならまだしも、そいつは人だからな……」
「んー、でも変異個体も元は人間なんだし、死んじゃったらおんなじかも?」
変異個体が元人間だと言うならば、言っている意味も分からなくはない。
それでも、そこにラインを引かなければ、俺達が人間である意味が揺らいでしまう。
「それでも、だ。理性あるまま死んだヤツにくらい、手は合わせるのが筋ってもんだろうよ」
「わ、私が、やります。私の能力なら、多分少しは……」
花渡が、俺とイサナの空気が一瞬淀んだのを感じたのか。言葉を挟む。
「そっか、此処でちゃんと生きてる人なら、能力があるんだもんね」
イサナはそれならばと納得したようで、俺の背中から降りて、ゆっくりと死体へと近づく花渡を見つめていた。
「こんな事しか出来なくて、ごめんなさい……せめて、安らかに」
彼女の手から、チカッと光が漏れる。厳密には、光ではなく、熱なのだという事は、死体の衣服に火がついた事ですぐに理解出来た。
「っくぅ……火、花……ッ!」
彼女は痛みに蹲りながらも、炎を死体へと纏わせていく。だがそれはあくまで衣服を燃やし、人としての形を保ったまま黒い塊へ変えていくだけだ。この状況で一瞬で死体を焼却しつくせるなら、変異個体も同様に処理出来ていたはず。痛みに耐えながら死を燃やす、それがせめてもの弔いだ。
彼女の想いは伝わった。少なくとも、俺には。
「……無理、しなくていい。もうこの人は、燃え、尽きた」
真っ黒に焦げた身体からは、血の匂いは漂ってこない。死の匂いは、しない。
ただ、終わりの結果だけを纏った死体を、俺はクロトの拘束糸で、優しく持ち上げた。
思った以上に軽い事が、少しだけ悲しかった。この生命から消えたのは、魂の重さだけじゃない。
彼女の想いの分、軽くなったのだ。質量は測れない想いに、変わった。
「良かったな……最後に人の手で、もう一度死ねたんだから」
そうして、俺は黒く焦げたソレを、海へ落とす。名も知らぬ一つの、黒い形が、海へと還った。
海葬と呼ぶには、あまりにも意味が足りない。それでも、花渡の意図は、伝わる。
「せめてもっと、ちゃんとしてあげられたら……」
「そんな事が出来たら、俺達が助けに入る必要もなかっただろ?」
花渡は、悔しそうに頷く。その小さな指が、震えていた。
もう、生命は海へ往った。
ただ波の音だけが、静寂を崩す。
ふとイサナに目をやると、彼女はそれを静かに、少しだけ難しい顔をしながら、黄色い目で見つめていた。この一連の海葬の間に、能力が切れたのだろう。
「なんでこうなっちゃったんだろうね?」
イサナが小さく呟く。それはきっと恐怖を煽りたいわけでもなく、嫌味でもなんでもなく、単純な、疑問なのだろう。
「ん、リーちゃんは痛いよね? いそご。能力も使ってるし、顔も青いよ?」
リーちゃんと呼ばれた花渡は少し驚いた表情をしながら、小さく頷き、立ち上がった。
「背負うよ」
背中を貸そうとする俺に、彼女は首を横に振った。
「……大丈夫です。自分の足で、歩きます――歩けます」
それは拒否ではなく、受容だったのかもしれない。
この短時間で、彼女の中でどんな想いが巡ったのかは分からない。
だけれど、腹部を抑えながら歩く彼女に、俺は寄り添うようにゆっくりと階段を降りた。
その先に何があるかは分からない。だからこそ彼女は一人で立ったのかもしれない。
だけれど、俺はただ、風も血の匂いもしない階段の向こうが、不気味に思えて仕方無かった




