第三話『それは止めたんじゃなくて』
人数不利だという事は、俺達の部屋を殴っている音の量で既に気付いていた。
いくらイサナが身体能力に長けていたとしても、変異個体の一撃をこの細い身体が容易に受け止められるとは思えない。しかし俺のクロトの糸にしても強度こそ確認出来るが、自由に使うにはあまりにも不安定すぎる。
「……どうしたもんかな」
「ケーくんは捕まえて、私が倒す! って感じじゃ……駄目っぽいかもかなぁ」
イサナは、リストタグを見て、頭を捻る。
それに合わせて、俺もリストタグを操作して、現状を打破するヒントを探すが、結局分かるのは名前と現在時刻と、与えられた能力だけだ。
「……待て、イサナは確か自分の血を吸って身体強化してたよな?」
「んー? うん。甘神っていうのが私の力の名前だよ。人の血を吸ったら強くなれるみたい。私じゃなくてもいいのかな? 試した事は無いし、変異個体にやるのは嫌だなー」
やはり、彼女はやけに、能力を把握しすぎている事に気付く。
自分の指を齧り血を出すなんて行動、普通に考えてやろうとは思えない。
俺が右手を出した時にクロトの糸が出たのは、本当に偶然だった。だからこそ、その差が気になった。
「それ、どうやって知ったんだ?」
「ん? リストタグの横のスイッチで詳細が見れるよ?」
言われて、やっとリストタグの盤面の横に小さなスイッチがあることに気付いた。
おそらくは俺が目覚めた部屋で流れていたモニターで、音声説明があったのだろう。しかし俺はそれをほぼ聞き取れていない。その弊害が、此処に出たというわけだ。
俺は、自分の名前や定着率についての詳細は置いておくとして、『クロト』の詳細を見る。
イサナもまた、一緒にそれを覗き込んだ。
『mode:モイライ クロトの拘束糸、定着者の精神状態により糸の強度が上がる』
「これだけ、か」
「んー、でも強くなるみたい?」
得られた情報は多くない。だが、気は引き締まった。
つまりは、俺の精神を強く持ち続ければそれだけ、糸の力も強まると断定されたのだ。
であれば、イサナにばかり頼っているというのも、おかしな話だ。
未だにどんな状況かも、何をされたのかもわからない。
ただ、俺がこの力を強く扱う為に、そうして生き抜いていく為に、必要なものは一致している。
「精神を強く、か」
「こんな状況じゃなかなかハードだけどね! ほら、そろそろドアも破られそう!」
イサナはドアを塞ぐ時に、なるべくこの食堂で動きやすいように邪魔な物を入口側に避けておいてくれたようで、俺達二人が大きく立ち回ったとしても、ある程度のスペースは確保されていた。
ただ、変異個体が流れ込んでくるとなれば、話は別だ。
「入口で各個撃破、その後は脱出が無難か?」
「そーだねぇ。ケーくんに止めてもらえたなら、現実的かもー」
楽観的なのか、それともネジが飛んだのか分からないが、イサナは緊張感の欠片もなく、今にも破壊されそうな入口のバリケードを見ながら、親指を咥えていた。
「ん、来るよ」
それは野生の勘のようなものか、それとも能力に由来したものかは分からない。
だけれどイサナの口からは小さく血が溢れ、仲間だというのに恐怖を覚えるような、気配が少しずつ死を帯びていくような、そんな感覚をその小柄な身体に纏い始める。
可哀想だとは思わなかった。似つかわしくないというには、綺麗だった。
だけれど、誰かを傷つける度に、自分が傷つくというその能力を見るのが、少しだけ嫌だった。
殴打音ではなく、破壊音。
バリケードにしていた船内の道具も、全て吹き飛ばされて、バリバリと入口を広げる、赤く肥大化した手。道理で壊されるまでの時間が早かったわけだ。
一匹目は、肥大した両腕に、小さな頭部、下半身は途中で退化したような姿。
両腕に全てのエネルギーが集約しているような、化け物だった。
――あれはもう、人間じゃない。
そう、強く強く、無理やり納得させるように、俺は目を見開く。
イサナが戦うのならば、俺がイサナとこの瞬間だけでも立ち並ぶのならば。
俺は、傍観者でいてはいけない。
右手を突き出すのと同時に、クロトの拘束糸が宙を舞う。
「お前らは、もう、人間じゃない」
蟻を踏み潰してしまった事に、罪悪感を覚えた事はない。
だけれど、自ら蟻を潰そうと考えた事も、ない。
人間を喰らう人間を、俺は人間とは、呼ばない。
だから、俺は、クロトの拘束糸で、変異個体の胸を貫いた。
「一匹目は、止めたぞ、イサナ」
変異個体はガクンと足元から崩れ落ち、倒れたまま部屋の入口で動かなくなった。
心臓の位置など、分からない。ヤツらが心臓を穿たれて死ぬのかも分からない。
だけれど、このクロトの拘束糸が、五本まとめて身体の随所に突き刺さったならば、その強度こそ分からなくても、攻撃に転じる事も出来る
「ケーくんケーくん、それは止めたんじゃなくて、仕留めたって言うんだ……よっ!」
イサナが飛び上がって、たった今俺が仕留めて、入口を塞いでいる変異個体を蹴り飛ばした。ザバン、海が音を立てて、変異個体を飲み込む。
「目視は三体、右に二体に左に一体かな。左よっろしくー!」
俺が入口へ駆け出すと同時に、イサナは右方向へと姿を消す。殴打音が聞こえるのは、もう既に接敵している合図だ。
「よろしくやってるのはいいけど、早すぎるっての!」
俺はクロトの拘束糸を船外まで伸ばしきり、左に向けて思い切り腕を振る。
感覚がないなら、距離があるという事。
イサナの能力は見た通り、二体相手だとしても安心出来る。
問題は、未だ完全に能力を使い切れているとは言い難い俺の方だ。
「あー、左側の変異個体を目視、したけどよ。楽なの選びやがったなアイツ」
俺が担当すると決めつけられた左側の変異個体は、その動きこそ緩慢だが、身体中が肥大化していた。
どの部位を狙えばいいのか、分かりづらい。
その右手の殴打も、その右手の払い避けも、確実に致命傷になるだろう。
その右足の蹴撃も、その左足の踏みつけも、同じ事だ。
頭突きですら、生命を取られかねないし、身体で圧し潰されてもと考えた所で、全て答えは同じだ。
――殺される、なら殺すまで。
俺は右手の糸をやや遠くの距離から、ゆっくりと周りの物体を破壊しながらこちらへ向かう変異個体の、足へと放つ。
絡め取った感覚は、確かにある。千切れる様子もない。ただ、力に圧倒的な差があった。
これは、技術でも、能力の理解でもない。単純な力量差の問題。俺の糸はヤツの足に巻き付いただけで、多少の締め付けによる傷はつけられていてもそれ以上の妨害も攻撃も通用していないようだった。
「千切ればただの輪っか、か」
そう呟いて、俺は一つ思いついた事があり、ヤツの腕と、船体の手すりを糸で繋いで、糸を千切る。
バララララララと、手すりがヤツの腕ごと外れる音がした。
つまり、ヤツはあの肥大化した半歩の位置で海と繋がっていると考えてもいい。
「半歩くらいは、どうにかなりやがれよ!」
イサナの跳躍を思い出す。
俺は彼女のような身のこなしは出来ない。ただ、クロトの拘束糸が持っている『千切れない』という強い確信は、俺に覚悟を持たせるのに十分な理由だった。
変異個体の首元に絡めた糸が、外側へと揺らぐ。
俺の体重を全て乗せる為の、落下は、ヤツを半歩こちら側に引き寄せるには十分な重みのはずだ。
「落ち……やがれ!」
俺は変異個体にぶら下がる形で、足元に波を受ける。
その冷たさが、現実の厳しさを身体に伝えているような気がした。
少なくとも、ほんの少し前までは、自分から海へ飛び降りるなんて事、考えもしなかったのだから。 だが、そのほんの少し前とは違う自分が、一体の変異個体を、ほんの少しだけ動かした。
ぐらりと揺れる感覚を感じた瞬間、俺は思い切り船の側部を蹴り上げながら、ヤツの首に巻いた糸を解く。
「圧し潰されるのも、御免なんだよ」
高く打ち上がる水しぶきに押し出されるように、俺は糸を船体上部の引っかかりに巻き付け、船上へと戻る。それを心配そうに見ていたイサナと目が合う。綺麗な金色の瞳は、もう戦闘が終わったという合図のようだった。
「ほー? ケーくんも無茶したがりだね。でもイサナ、そういうの嫌いじゃないなー!」
こっちは生命がけだったのだが、イサナの倫理観は一体どうなっているのだ。
後ろを見て、イサナが倒した変異個体は、見る影も無くなっていた。まるで子供が玩具を壊した後のようで、少しゾッとする。
「……まぁ、俺だって少しは役立たないとな……」
その軽い恐怖を振り切って、俺は未だ収まらない呼吸を落ち着かせながら言うと、彼女は嬉しそうに歩き始めた。とりあえず、離れるわけにも行かずに俺は彼女の後についていく事にした。
あんまりにも状況への適応が早すぎる。
適応というか、この場では定着率とでも言うべきだろうか。
それを思い出し、俺は自分の定着率の盤面を見直すと、少しだけパーセンテージが上がっている事に気付く。
確か最初は『20%』と表記されていたはず、しかし今は盤面が青いのは変わらず『23%』まで上がっている。それに嫌な感覚を覚えた。
あれからの行動で変わる可能性はそう多くない。恐怖か、時間か、覚悟か、能力行使だ。
もっとも、恐怖や覚悟が関わるとは思い難いから、時間かまたは能力行使の二択だろう。
能力に慣れるという事が、俺達の身体に植え付けられた何らかの定着に繋がっていると考えるなら、筋も通る。
「なぁ、イサナの定着率はどのくらいなんだ?」
「んー、これって幾つが最大なんだろね? 私はね、これ」
彼女はこちらを振り返って、リストタグの表示を見せてくる。
そうして、それを見て俺は、彼女のその強さを理解したような気がした。
――赤い盤面は、きっと血が滴ったからではない。
『定着率:82%』
そう表記されている彼女のリストタグは、俺の表記画面と違って赤く染まっていた。
「随分と、高いな。身体に違和感とかはないのか?」
俺は自分のリストタグの表記を見せながら、イサナの顔色を伺う。
「んー、でもこの数字って変わるよねぇ? 確かに力を使ってる時は少し元気になってる気がする、けれど、ほら」
言われてイサナの表記を見てみると、徐々に定着率の表記が下がっていき、盤面の色も80%を切った時点で緑へと変わり、そのまま急降下していき、60%を下回った時点で黄色へと変わる。そうして、それでも俺よりはずっと高いが、『定着率:59%』になった時点で数値は止まる。
どうやら段階ごとに色が割り振られているようだ。
それは要するに、もし能力の強さで定着率が可変するならば、色の判断で力の誇示が出来るという事だ。とはいえ、変異個体に色を見分けられるわけがないから、考えても無駄なことではあるが、わざわざリストタグに含まれている数字である以上、無視は出来ない。
「とりあえず、どうしようかなぁ」
「イサナの力ばかり使わせるのも、どうかとは思う。定着率ってのが、どうにもクサい」
血なまぐさい船上も、二人で歩けば多少の恐怖は薄れる。それに変異個体も、視認出来る範囲には存在しない。
だが、あまりにも人間と遭遇しない事に、俺は疑問を覚えていた。
「ん……待ってケーくん、人の血の匂いがする」
イサナに言われるがまま、彼女の向いた方向を見るが、そこには人影も変異個体も無い。
ただ、イサナはその言葉を残したまま軽く駆け出した。
「ちょ、おい!」
「多分まだ、生きてる! いそご!」
吸血鬼――ドラキュリアがいたとしても、こうはならなかっただろう。
生きた人間と死んだ人間の血の匂いの差を聞く時間もなく、俺は揺れる銀髪を追いかけていた




