第十一話『あとは任せろ』
視界に移る、変異個体達の生命が朽ちていく。
同時に、俺達の腕で光るリストタグの色の発光が強くなっていくのが、皮肉に思えた。
「終わり……って言うと、駄目なんでしたっけね」
「少なくとも、映画の中じゃあそうだろうな……」
花渡と共に、視線を海に投げながら、笑えない軽口を叩く。
――何故なら、終わらないことを俺達は知っているから。
「やったかー?!」
「やってねえ……よ!」
イサナが軽口を叩く。
表情は笑顔のまま、それでもその姿は返り血で赤く染まっている。
この場にいる誰もの視線が、不自然に揺れ動く海面を見ていた。
「釣りでもしてみるー?」
「いいや、見た限りじゃイキも良い。それに、餌もあるからな」
少しずつ太陽が出てきて、透き通っていく海面に似つかない"赤"が、こちらを見ていた。
餌は、俺達だろうか。
それとも、俺達が生きる為に潰えた、ヤツの輩を餌だと思っているのだろうか。
そんなことは、分かりやしない。
ただ、言えることは一つ。
「しかし、休憩は短い……よなっ!」
俺は海面から勢いよく飛び出してくる"赤"に向かって、赤く光るリストタグを見ながら、タナトの拘束糸を放つ。
だが、拘束糸と呼ぶにはあまりにも貧弱すぎると思える程に、海面から飛び出した"赤"――合体変異個体は重く、俺は船の柵に身体をぶつけながら、通路より奥へと投げ飛ばす事だけに必死になっていた。
「これが永の言ってた。俺等のツケ、か」
一際の巨躯は海へ逝った輩を喰らった証、牙やヒレといった、人が持ち得ない部位は海で生きる為に変わった証。
これは、もはや変異とも呼び難い。言うなれば適応、進化だ。
「どーする? なんか牙とかヒレとか、生えちゃってるね」
イサナはまるでお揃いかと言わんばかりに、ニコーっと笑って、自分の歯を見せる。
だが、彼女のそれとは違い。目の前の化け物に可愛げなど、一つもない。
「イサナ、花渡……数値は?」
それでも、オーバーフローを警戒している自分に、少しだけ嫌気がさした。
眼の前の化け物に殺されるよりも、俺達が俺達を殺すという事に、俺は躊躇いを覚えている。
当たり前の事だと割り切る必要があるのだろう。それでも俺は、まだ心だけでも人でいたい。
「イサナはねー、ななじゅうく!」
「私は五十六、ですね……」
そう言いながら、花渡が足音を立てながら、数歩前に出る。
その表情に、迷いのようなものがない理由は、きっと彼女自身が一番良く分かっているのだろうと、俺は自分のリストタグの赤色を見た。
「……少しだけ私に、私だけに任せてもらっても、いいですか?」
――独りで、どうにかするのか。
変異個体を海葬した記憶は、新しい。
それは彼女なりの優しさだったのかもしれない。
だけれどそれが、今はもしかしたら彼女の心を縛っているのかもしれない。
「あぁ……少し、な。俺らが見てる」
そう言うと、彼女は少しだけ照れくさそうに笑ってから、弓を手に取った。
「……ふっ!」
彼女は、弓を強く引き絞って放つ。それと同時に、放たれた矢は火矢ではなく、炎そのものになるかのようだった。
矢じりが突き刺さる音もせず、ただ変異個体の身体に、火柱が突き刺さっていく。
だが、その火柱は、突き刺さる度に、ゆっくりと消えていく。相手は海から上がってきたのだ。焼き切るにしては、おそらく火力が足りない。
「あぁ……そっか」
花渡は小さく呟いて、小さく息をする。
こちらに意識が向いた変異個体が歩みを進め始めるのと同時に、花渡は一旦弓から手を放して、脱力していた。
「なら、こっち……だよね」
花渡のリストタグの色が、緑色に光るのが、見えた。
急に、寒気がする。
それはきっと、花渡の声色から、静かに温度が消えていったのもあるのだろう。
だけれど、俺の視線が明確な答えを示していた。
「イサナ。俺の合図で、行くからな」
小声でイサナに囁くと、彼女は珍しく真面目な顔で頷いた。
「海……凍花……っ!」
放たれる矢は、空気をきらめかせながら、冷気を纏っている。
その冷気が変異個体の右肩に突き刺さった瞬間、矢が一本の氷柱へと変わる。
そうして、氷柱が突き刺さった場所からじわりと、冷気が変異個体の身体に広がっていくのが、見えた。
それでも、変異個体の歩みは止まらない。
それでも、花渡の引き絞られる弓は止まらない。
俺はじっと、変異個体との距離を測りながら、その間に映る色を見ていた。
二本目、ヤツの左足が凍りつき、歩みが一瞬止まる――緑。
三本目、ヤツの右腕が凍りつき、唸りを上げてその氷柱をふるい落とす――緑。
四本目、ヤツの心臓部が凍りつき、敵意をあらわに、歩みが駆け寄りに変わる――まだ、緑。
五本目、ヤツの顔が凍りつき、左顔面が白く覆われていく――赤。
「花渡、助かった。あとは任せろ……イサナ!」
「ありがと! リーちゃん!」
肩で息をしている花渡の呟きは聞こえなかった。
それでも、ここからは、俺達が無理をする番だ。
――これ以上ないくらいに、お膳立ては済んでいる。
海葬をしたのは、彼女だけじゃない。
俺達だって、それを見届けたのだ。
ならば、何度でも海へ帰そう。喰らって、喰らって、喰らう度に、何度でも、海に帰してやればいい。
「……クロトッ!」
まだラケシスの目で生命の糸が見えていないということは、俺の定着率は花渡が時間を稼いでくれたお陰で、ある程度下がっているはずだ。
なら、思い切り縛り付けてしまうのも、悪くはない。
海面から出てきたばかりならともかく、花渡の矢撃を何度も与えられているのだ。
そうして花渡が凍りつかせてくれていた場所すら、拘束が出来ないような力だったのならば、俺に与えられた神の名など、紛い物だと笑ってやろう。
俺はイサナより先に、変異個体の眼の前に走り込み、右手を振るい上げた変異個体の、まだ凍りかけているその肩に左手から出したクロトの拘束糸を思い切り巻き付け、下へと引き落とす。
バランスを崩した変異個体の顔が、俺の目の前――俺が構えた銃の前にある。
「これなら、流石に弾道も分かるよ」
ズガン! という慣れない発砲の衝撃と共に、俺はクロトの糸を千切り、後退する。
その俺の合間を風が抜けるかのように、低い姿勢のイサナが変異個体へと飛び込んでいった。
「あんよが! おジョーズ! おっさかなさん!」
俺達だって、花渡のことを黙って見ていたわけじゃあない。
彼女の引き絞る弓から放たれる、矢の一本一本を、ちゃんと目で追っていた。
それが俺だけじゃなかったことが、少し嬉しかった。
イサナの刀が、凍りついて不自由になっている変異個体の左足を貫いていた。
そのままイサナは飛び上がるように刀を上に持ち上げようとするが、傷は広がらず、イサナは刀を引き抜きながら変異個体の一撃を躱す。
「んー……やっぱ硬いねー! 本気出しちゃう?」
「やめとけ、花渡がもう赤まで行ってる。一番動けるお前は、ギリギリまで見といてくれ」
告げた後、十本の糸が奔る。
刺し穿つのではない、たった今、イサナが切り開いた一つの貫痕を縫うかのように、俺の十本の糸が、ヤツの身体を拘束していく。
足元から、肩へ。
背中を回し、右腕へ。
顔を縦に縛り、そうして、全ての糸を、その心臓へ。
まるで指揮でもしているかのような俺の腕の動きに、一人でほんのすこしだけ笑いながら、俺の右手のリストタグが赤色を示したのを、見た。
――だから俺は、ヤツを見た。
「やっと来たか。ラケシス……ッ!」
十本の糸とは別で、俺の目にだけ見えているであろう、ヤツから伸びた一本の、発光する糸。
その生命の糸は、意外にも、心臓でも顔面でもなく、ヤツのヒレのような部分から伸びていた。
「ケーくん! 赤いよ?!」
イサナの焦った声を聞き流しながら、俺は抵抗するかのように振るわれる、背中から生えた巨大なヒレに銃口を向けた。
だが、暴れているからか、銃声だけが響く。
拘束力は強まっていく実感があるが、自意識が少しずつ何か、おかしくなっていくような、感覚も覚えていた。
「ケーくん! 一旦戻ろっ!」
生命の糸は、俺にしか見えない。だが、言葉が上手くまとまらず、そこを狙えというたった一言すら口に出来ないまま、俺はヤツの動きをクロトの拘束糸で必死に止め、銃弾は一発も当てられないまま、無理やりに拳銃でヒレを撃ち続けていた。
――分かっているのに、そこを狙えば、いいだけなのに。
この意図が、イサナにはまだ届いていない。
「ケーくん! ケーくんってばっ!」
俺の肩を揺らしている感覚が、薄く伝わる。
そうして、いくつもの風の音だけが、耳元で揺れていた。
――なるほどな、オーバーフローか。
そう思いかけた瞬間、俺がクロトの拘束糸に込めていた力がフッと緩まり、視界からは、生命の糸が消えていた。




