第十二話『見た目の割に良い名前』
オーバーフロー、自分自身を見失い、力の限界を越えた所にある。
行っては、いけない場所。
それを、俺はほんの少し前にイサナの変容で目にしていたというのに、それでも抑えきれなかったのかと、まだ考えていられている感覚に、戸惑う。
「……ッッ!」
イサナは明らかに自分を見失っていたのに、この期に及んで物事を考えていられる自分、だけれど上手く頭が回らない、歪な感覚。
クロトの拘束糸が千切れて、必死に踏みしめていた自身の足元がフラつき、俺の身体はまるで倒れ込むかのように、後ろ側へと引き込まれる。
それが、まるでスローモーションのようで、闇の中へと吸い込まれるようで、俺の能力が限界を迎えたからなのか、それとも一つの能力の発現なのかも分からない感覚だった。
「ケー……くんっ!」
「三神さん……っ!」
それでも、俺は確かに、自分を呼ぶ二人の声を聞いた。
だからこそ、気付いたことがある。
――俺の背中に、一つの確かな感覚がある。
俺の背中を誰かが引っ張り、支えている。
後ろへと倒れ込んでいくのは、俺が限界だったからじゃない、誰かに、強く引き剥がされたからだ。
クロトの拘束糸をも千切る程の力が、拘束糸を引き伸ばしながら、ゆっくりと俺の力を断ち切っていた。
――俺の目に、一つの揺るがない事実が見えた。
俺が必死に食い止めていた変異個体。何度撃っても当たらなかったヤツの生命の糸が見えた場所。
今は生命の糸が見えなくなった、その、変異個体のヒレに、矢が突き刺さっていた。
俺は、オーバーフローを迎えたのでは、ない。
二人の仲間が、俺が限界を迎える瞬間に、一人は俺を無理やりに能力行使から引き剥がし、一人は俺の意図を汲み取ってくれた。
結果、俺はギリギリの所で踏みとどまり、変異個体からは生命の糸が消えた。
それは、俺が見えなくなったからではなく、変異個体から生命が潰えた証。
「ケーくん、あぁもう100近いってば! どうする? どうする?」
「イサナちゃん落ち着いて……とりあえず、脅威は去ったはずだから……」
花渡もそんな事を言ってしまうと、また何か襲ってくるぞと軽口を言いたかったが、身体が悲鳴をあげていてそれどころではなかった。
俺は少しの間、イサナに無理やり膝枕されながら息を整える。
イサナの身体に纏わりついている、誰の、何のモノかも分からない血の臭いを嗅いで、黙って寝ている場合ではないと思いながら、小さく二人へと感謝の言葉を溢す。
「悪いイサナ、助かった。もう少しでお前の二の舞だったよ」
「ほんとだよ! 今度やったら私も怒るからね!」
イサナ自身が、自我を失う恐怖を知っているだけあって、その言葉には重みがあった。
そうして、花渡も少しだけ困った顔をしながら、じっとこちらの目を見る。
「三神さんには、何かが見えていた……そうですよね?」
「お前には、敵わないな……そうみたいだ。俺のリストタグが赤になった時に、相手の弱点部位から糸が見えた。俺の銃じゃ、カスリもしなかったけれどな」
俺一人じゃ、どうにも出来なかったことだ。三人がそれぞれの力を使って、やっと打破出来たこと。
それは大きな一歩でもあり、危険な代償を再確認することでもあった。
俺の意図を汲み取れずとも、実際にクロトの拘束糸を引き千切ったイサナの機転。
そうして、遠くから見守りながらも、俺の意図を汲み取って変異個体にトドメを刺した花渡の機転。
イサナがいなければ俺はどうなっていたか分からなかったし、花渡がいなければ全員がどうなっていたか分からなかった。
どちらを想像しても、誰かが痛む想像は容易い。
「でも、とりあえず俺達がやることは、済んだ……のか?」
俺は、永が向かった方向――船の先端部位に視線を送る。
「永さんが言う限りでは、そう思ってもいいのかもしれませんが、油断は出来ませんね」
「こんなとこにいちゃあねぇ……あの永ってヤツもなんだか信用できないしなぁ」
二人の永に対する印象はどうあれ、言うことは尤もではある。
これで俺達が助かったなんて、思えるはずもない。
とりあえずは、信用出来るかは置いておくにせよ。同じ生存者として、何かしらの情報を持っている永と合流するのが得策だと考えていた。
「ん、遠くで銃声」
イサナが俺の腕を掴みながら、スッと立ち上がる。
「てて……流石に一言くらい欲しいんだけどな」
「女の子の膝枕を堪能して何を言うのさーっ! おててつないで立たせてもらっただけ幸せだと思えっ!」
イサナの調子に、花渡は小さく笑っていた。
それに俺自身も、イサナの膝枕のお陰というわけではないにしても、定着率を示すリストタグは緑色まで落ち着き、能力行使に伴っていたのかもしれない身体の痛みも、かなり落ち着いていた。
イサナが俺の手を引いて立ち上がったのと同時に、すんなり立てたのがその証拠だ。
「まぁ……確かに、寝てる場合じゃないよな」
イサナが後ろで支えてくれた。
花渡がちゃんと前にいる意図を汲んでくれた。
ならば俺は、二人よりも、一歩だけ前にいても良い。
――銃声が鳴り響く方向へと、二人よりも先に踏み出す。
そんな小さい俺の決意に、意味があったと思いたい。
信用と呼ぶ程の、信頼と呼ぶ程の何かがあったとまで、綺麗な事を考えているわけじゃない。
それでも、それに近い何かが芽生えている事は確かだった。
「アイツのも、取りに行かなきゃな」
俺が小さく呟いた言葉に、二人からの返事はない。
きっと聴こえていなかったのは、きっと続け様に鳴る銃声の音だ。
「こいつが鳴り止む前に、行こう」
俺は銃声に紛れない声を出し、二人を少し急かす。
いくら永のように戦うということに慣れている人間だとしても、この船の上では何が起きるか分からない。
永は殆ど何も語らない。
だけれど、教えてくれたことも、してくれたことも、善意かどうかは分からないにせよ、俺達の為になったことだ。
だったなら、俺――俺達だって、それに応えられる事があるかもしれない。
幸いなことに、銃声は近い。
不幸なことに、聞いたことのないナニカの声がする。
「まだ銃声もするし、アイツは強そうだったけどさぁ。聞いた感じまだまだ相手は元気そうだよねぇ……」
イサナが嫌そうな顔をしながら、俺に併走する。意外と学習が早いのか、それとも気が進まないのか、先走ることがなくて少し安心する。
俺はチラリと花渡の顔を見ると、少しだけ俺とイサナに遅れながら、彼女が器用に矢筒の確認をしていた。
「俺達は永が出来る事を知らないしな。まずは、戦う事よりも会話なのかもな」
「そんな器用なこと出来ないよ?! でも、邪魔すんなって怒鳴られそうな気もするね」
近づく銃声と、ナニカの叫び声がする広場まで、あと十数歩、その角を前に、俺とイサナは後ろの花渡を見る。キョトンとした顔をしている彼女を見て、俺達は神妙な顔を彼女に向けた。
「……花渡に任せるか」
「イサナもそれに賛成かなー。結局ケーくんも私も、前にいなきゃいけない人だから」
その言葉に、なんとなくでも俺達の話を聞いていたであろう花渡がコクリと頷く。
「永さんは、任せてください……頑張ってみます。イサナちゃん、三神さんのお願い」
「もち! でもまー、どうなってるかが一番大事……っどわぁ!」
イサナは純粋な驚愕、俺は息を飲む。
――あれを、変異体と呼ぶならば、その元は一体、なんだろう。
そう思ってしまう程の、歪みの塊。
永が相対していたその化け物は、もう完全に人の形をしていなかった。
言うならば、肉の粘土で捏ねて出来た、失敗作のようなもの。
それを見た花渡が、息が止まったような顔をしてから、永の方向へと駆け出す。
同時に、俺とイサナもまた永の銃口の方向へと駆け出す。
「おいおい、すっげえのとヤってんなぁ先輩!」
「るせえ! 射線に立ったら撃ち抜くからな!」
彼とソイツの距離はおおよそ十メートル。彼の射撃の腕を考えるならば、邪魔をすれば間違いなく当たってしまう距離だろう。
「はじめまして……っ! お名前、なんてーのっ!」
それを理解したのかしていないのか、イサナは姿勢を低くして、ソイツの足元へと刃を滑らせる。
傷は付いている、銃痕もある。
――だが、その質量を崩しきるには、あまりにも小さい。
「邪魔はしねえよ。でもどうすんだ? コイツ」
俺はタナトの拘束糸を軽く放出して、まだ名も知らない、あるのかも分からないソイツの四肢を軽く拘束する。すぐに千切られることは承知の上、だけれど俺達に必要なのは戦闘ではなく、会話をする時間だ。
「これだけバグってるアマルガムなんざ俺も知らねえよ!」
「あぁ?! "クソ共"じゃなくてこいつらにも名前があんだな! 見た目の割に良い名前してるじゃねえか!」
「正式には、オーバーアマルガムだけどな!」
永は、言葉の粗さと声量とは裏腹に、静かな姿勢で、丁寧に銃弾を込めて、俺達が変異個体と呼んでいた、アマルガムに照準を向ける。
「そんまま引っ張ってろ! アマルガムなんざどれだけでかかろうとボロボロにしちまえばいい!」
「丁度俺もそう思っていた所だ! 物知りで、助かるよ先……輩……ッ!」
永の銃撃を待つ為に、俺はタナトの拘束糸を強く引く。
定着率が上がることは良しとは思えないにしても、アマルガムと呼ばれたそれに、オーバーフローという言葉を彷彿とさせる言葉まで付けられているのならば、そう簡単にいなせる代物じゃないことは、俺達が聞いた銃声の数が証明している。
銃声が一発ずつ、響く。だがそれも、オーバーアマルガムの致命傷にはなっていない。
六発装填ならば一気に撃ち切ればいいと思いつつも、一発放たれて、ほんの数秒の間が、少し俺を焦らさせた。
「先輩! その弾、撃ち切ったら一旦下がってくれ!」
そうして、その六発目と同時に、タナトの拘束糸は千切られ、アマルガムの眼前にイサナが飛び出た。
「イサナとケーくんが持たせるから、おっちゃんは下がって! どうにかする方法! リーちゃんと考えて!」
俺はアマルガムから振り下ろされる触手をタナトの拘束糸で受け止め、それをイサナが刀で切り落とす。それでも、その質量から考えると、ほんの一部を落としただけに過ぎない。
「誰がおっちゃんだ?! まだ若えよ! しかしクソったれなお人好しだな! 全方位からクソみたいな触手が来る! 油断してくれるなよ!」
「言葉が下品ですよ永さん! 一旦、情報を共有しましょう!」
その言葉を聞いて、俺とイサナは眼の前の、人すら越えてしまった、化け物と対峙する。
イサナが、持っていた刀を鞘に仕舞う。
そうして、自身の指をカプ、と齧ると同時に、リストタグの色が、緑色へと変化していくのが見えた。
俺に出来ること、イサナに出来ること。
そうして、越えちゃいけないこと。
それだけは、俺達にも分かっている。
だけれど今は、そのギリギリのラインを見極める必要がある。
――生命の糸が見えたとして、こいつに生命は幾つある?
バクン、バクンと、幾つもの生命が蠢いているような音がする。
何度も何度も、永の銃撃を浴びたはずだ。普通の変異個体――アマルガムであれば一撃で倒れる程の永の一撃を、コイツは何度も耐えているという事になる。
だったら、俺のオーバーフローを賭けてまで生命の糸を見た時に、俺は一本の糸では無く、絶望の本数を見てしまう可能性すら、あるということだ。
そんな俺の懸念をかき消すように、アマルガムの標的を買って出てくれているイサナが、余裕ぶった素振りでヤツの触手を避けながら、あっけらかんとした顔で話しかけてくる。
「というかさー、なんでわざわざこんな、一番重要そうなところにこんなのがいるの?」
「俺に聞くなよ……重要だから置いたんじゃないか?」
俺は、時折自分へと振り下ろされる触手に翻弄されながらも、タイミングをはかって、イサナが攻撃に転じるタイミングで拘束糸を撃ち込んでいた。
チラリと永と花渡を見ると何かを話しているのは見えるが、打開策が見えてすぐ行動をしない二人じゃないことは、この短い時間でもなんとなく理解している。
だからこそ、俺達は時間を稼がなければいけないのだろう。
「まだ、いけそうか?」
イサナに聞くと、彼女は緑色のリストタグを見せて笑う。
「だいじょーぶ! だってこいつ、でかいけど遅いし!」
おそらく、この戦いは長期戦になる。
ただ、決着への糸口が見つかったのならば、きっと短期戦になるような気がすると、俺の勘がそう告げていた。




