三十七、懐かしのかおりは線香とともに
「よし、できた! 虎美、もう動いていいぞぉ」
「……! わぁ…………」
頭のてっぺんに高々とくくられたポニーテールを、手鏡でじっくりと見つめているのはそう――在りし日の私。そして、私の背中の後ろで満足そうに笑っているのが……。
(……なにこれ。昔の自分と……お父さん…………?)
また、変な夢でも見ているのだろうか。
はじめてのポニーテールは、父が結んだとあってところどころ後れ毛が目立ってしまっていたり、ほつれてしまったりしていたけれど、幼い私はそんなことを全く気にも留めない様子で、部屋から何やらせっせと学習漫画を持ち出してきた。
たしかこの日のために、私は一生懸命髪を伸ばしていたような気がする。そういえば、この水色の生地に白い山形模様が付いているシュシュも、会津の新選組記念館で買ってもらったもので、当時の私のお気に入りだったんだっけ。
私は、「にてる!!」と、末尾に載っている沖田総司のイメージ画を無邪気に指差して言った。
「うん、お揃いだ。ああでも、もっと本格的にするなら月代も再現しないとな。でも女の子だしな、ちょっと可哀想かな。ううん……」
などと、父がひとりでぶつぶつ言っている隙に、ぽっこり出た脇腹を、私はいきなりつついた。それでも、ちゃんと配慮はしているつもりだった。さすがに模造刀や木刀だと痛そうだから、そこらへんの丸めた新聞紙でやったのだ。
刀に見立てた硬度の高い新聞紙を、私は再び構える。交戦の合図だ。
そして、覚えたての決め台詞をキリッと。「ごよーあらためである!」無茶苦茶だ。
だけど父は、高校で日本史を教えていることもあってか、いつもこんな私の茶番に真剣に付き合ってくれていた。
「おっ、なんだとう。そっちがその気なら……容赦なく切り捨つる!」
きゃーっと上がる歓声。私は四方八方を飛び回る。
この、奇襲という名のチャンバラ合戦において、私の無敗記録が破られることはついぞなかった。
***
「…………………………」
やっぱり線香のかおりで目が覚めた。
念のため、後頭部を確認する。もちろん長い髪なんてなかったし、シュシュだってなかった。しかも、あの新選組シュシュに至っては、冷静に考えてみればとうの昔になくしてしまったのに。
父だって。何をいまさら、という感じで、もはやため息しか出てこなかった。
……よし。こんな夢、とっとと忘れてやろう。
重い体を起こして布団を畳んでいる最中、ふわあっと、のんきなあくびが聞こえてきた。
「トラぁ、ごはん」
眠そうな目をしたコタローが、こっちにすり寄ってくる。
「沖田さんは?」
「おいらが起きたときには、もういなかったよ」
「ああ、なるほど」
たぶん灯籠機関の集まりか、巡回といったところだろう。いやはや、治安維持もご苦労なことで。
「ちょっと待ってて。階段箪笥に備え付けのお菓子があったような……」
下に降りて引き出しを開けると、あった。……備えは備えでも、“供え”のだんごピラミッドが。私はそっと引き出しを見なかったことにして、今にもよだれをたらしそうなコタローにくるりと向き直った。
「私さ、風味が第一なのは前提として、やっぱり食べ物って見た目も大事だと思うんだよね」
ここしゃんばらといえば、いなり寿司に月餅に、さっきみたいなだんごに、お供え物みたいな食べ物が盛りだくさん。とにかく甘いもののオンパレードで、生前甘党だった私でさえ匙を投げだしたくなるレベルだ。
「コタローは今一番何が食べたい? ちなみに私は今無性に……」
何かしょっぱいものが食べたい。例えばそう、ジャンクなものとか……。
「唐揚げ」
「のこりもののタイのお頭」
「ピザ!」
「タラの芽」
「塩辛」
「とんかつのはしっこ!」
お互いの食べたいものを、まるでしりとりかマジカルバナナの如く口々に言い合った。ああ、タンパク質が恋しい。
……ていうかコタロー、さっきなんて言った? のこりもののタイのお頭に、とんかつのはしっこだって? 個人の好みを真っ向から否定するつもりはないけど、ずいぶん渋くて貧相な発想だ。たぶん家出時代の過酷な経験がそのまま反映されてるんだろうな。そう思ったら、さすがの私も同情してしまった。
まあそもそも、死者である私たちに本来食事は必要ないもので、どちらかというと酒やタバコのように、ここでの食事というのは“たしなむ”程度のものだ。
そのわりには、けっこうしっかりおなかが空くから困るんだよなあ。沖田さんからもこの前「トラちゃんは食いしん坊ですね!」と残酷に言われたばかりで、実はそれをわりと根に持っていたりする……のは、別の話だけど。
ふいにその時、開け放しにしていた建付けの悪い観音扉から、線香の中に混じって、何かの不思議なにおいが漂ってきた。
それは、それはどこか懐かしくて、具体的に言うならそう、スパイスが効いていて、けっして、黄泉の国で香ってきて良いものではない。
コタローもこのにおいにいち早く気づいていたようで、九尾の尾が直立不動にまっすぐ立っていた。
ふたりして、顔を見合わせる。やはりというべきか、考えていることは一緒のようだった。決行するなら、お客さんの姿が見えない今のうちだ。
……さて。どうしたものか。
ごくりと喉を鳴らし、結局、お腹を空かせた私たちは本能のまま、においのもとに誘われてゆく。もう少しでとんでもないご馳走にありつけるかもしれない。そう思うと自然と、足取りも軽くなっていった。
しばらく進んでみたところ、風で提灯がふるふると揺れている石段の途中で、“めしや”と書かれた味のある看板が顔を出す。
覚えたのはちょっとした違和感。あれ、なんか……なんとなく新しくなってる? だって、ほんのちょっと前までは店先に山盛りのご飯に箸が突き刺さっていたせいで見栄えもクソもなく、THE・死者メシやってますって感じだったのに――。うら“めしや”って感じだったのに――。私が初めてしゃんばらに来た時だって、たしかにこの目で見たんだけどな。
まあ、いいか……? 兎にも角にもにおいの根源は絶対にこのあたりのはずなので、石段付近をきょろきょろ見回しながら徘徊していると、突然、目の前の“めしや”の戸が、ガラリと開かれた。
「――あらあ、お客さんかい? ちょうど良かった。この辺に、肉や魚を売っている場所はないかね?」
店から出てきた気前のよさそうな女性は、じゃがいもみたいなものとにんじんみたいなものだけが入った肉なしカレーを携えて、ちょっとばつが悪そうに笑っていた。




