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番外編、たからもの【沖田総司視点】


 月の白む晩のことだった。僕は、傷だらけの野良猫を拾った。


 それはまだ年端もいかぬような少女だった。ただ、僕の生きていた時代には無かった服を着ていて、普通の女性のように、髪を長く伸ばしているわけでもない。


 そう……一言でいえば、異端だったのかもしれない。黄泉の国に来たばかり、というわりには些か反応が鈍い気もする。というわけで、試しにちょっかいをかけてみると、無視する、睨む。猫のような金色(こんじき)の瞳で。


 生意気なのは別に嫌いではなかった。嫌いではなかったが、正直、なんのいやがらせかとも思った。


 よりにもよって――猫。猫には生前から因縁がある。



 晩年、僕は正真正銘の役立たずと成り果てていた。


 もはや己が身を削るのは鎬ではなく不治の病。うまく歩けない。当然、剣も満足に振るえない。


 そんな僕に残されたささやかな幸せといえば、近藤さんや土方さんが、たまに見舞いに来てくれることくらいだった。


 来る日も来る日も、文が届くのを心待ちにしていた。久しぶりにあの人たちにお会いできるとなると、胸の痛みもいくらか和らぐような気がしたからだ。


 そんな折、いきなり紋付袴なんか着て二人が訪ねてくるものだからどうしたのだろうと思ったら、どうやら僕が寝込んでいる間に時代は様変わりしていたようで。気付けば二人は、れっきとした武士になっていたのだった。報告を受けた時は本当に、心の底から嬉しくなってしまって、溢れ出る涙を必死に隠した。


「もちろん総司、お前もだぞ」


「……! ええ、ええ。しかし、それ以上に……」


 ずうっと前から、武士になりたいと夢を語る彼らの姿を側で見てきたから。


 僕の気持ちを組んでくれたのだろう、近藤さんは、昔先生から一本取れた時のように頭を優しく撫でてくれた。幼かった頃を思い出したら、また涙が込み上げてきて。ちなみに土方さんはというと、特に慰めてくれるわけでもなく、ただただ呆れ顔で僕を見ていた。ああ良かった、鬼の副長は健在なんだ。


 幕臣と病人、立場は違えど、次に会える確証がないのはお互い様だ。だからこそ、楽しかったあの頃みたいに、もっともっと、くだらない話で笑い転げていたかった。


 ところが二人は、報告するなり帰り支度をし始めた。今日くらいはゆっくりしていってください、と言いかけた矢先にだ。


「もう、行ってしまわれるんですか……?」これが今生の別れになるかもしれないというのに…………。そう、思っても、口にはしない。


 長い深呼吸をして、僕はまたお得意の、作り笑いという面を被る。


 

「お忙しいところ、お見舞いに来ていただいてありがとうございました! ――そぉだ、次こそは絶対持ってきてくださいね、石田散薬! この身をもって効き目を確かめて差し上げますよ」


……さっきまでしおらしかった僕が急にこんな冗談を言い出すものだから、近藤さんも土方さんも不意打ちを食らったのか、一瞬の間の後、どっと笑いが起こった。


「こりゃ腕の見せ所だなあ、トシ!」


「うるせえやい。んな減らず口叩いてる暇あったら、とっとと帰ってきやがれ」


 なんて言いつつ、けっして、病身の僕を無理やり隊に引き入れようとはしてくれなかったんだよなあ。



 さようなら、お二人とも。僕はいつまでもいつまでも、去りゆく背中を見つめていた。


 まったく本当に――、ひどい人たちだ。だけど、今なら分かるんだ。あの二人もあの二人で、僕を安心させるのに必死だったんだろうと。

 許せなかった。京の街を守るため、あんなにみんなで頑張ったのに、僕らに押されたのは賊軍という烙印だったのだから。



――僕の体は、日を追うごとに如実に弱っていった。一度だけ、みんなが自分を迎えに来てくれないなら、いっそ勝手に着いていこうかとも思ったけれど……もう、みんなの行方も分からなければ、外に出ることすらかなわない。植木屋さんにも迷惑をかけてばかりだ。そのくせ咳をするたびに血を吐いて床を汚してしまうのが惨めで申し訳なくて、悔しくて。やがて、自分の存在を否定するように床に伏すだけの日々が増えていった。



 視界がぼやけて朝と夜の区別もつかないのに、とりあえず目覚めてしまったので、仕方なく天井を見上げていた時のことだった。ふと、何かの気配を感じた。


 ひょっとして、義兄さんからの文でも届いたのかな。おミツ姉さん、元気だといいなあ。



 いつまで経っても戸口が叩かれないので、どうしたんだろうと思うと、びっくりした。縁側のほうには、一匹の猫が舞い降りていたのだ。


 目を細めてみれば、それはおそらくまだ子猫のようだった。小さな体は、ふさふさとした真っ黒な毛に覆われている。


 家の中には動物を嫌がる人もいるので、いちおう耳を澄ませてみるが、みんな外出してしまっているのか、幸いここには誰もいない。


……ちょっとくらいなら、大丈夫だろうか。それにほら。こうやって、動物を間近で見るなんていつ以来だろう。なんてったって、ここには娯楽という娯楽がない。

 僕を突き動かしたのはほんの少しの好奇心、ただそれだけだったと思う。



 骨と皮しか残っていない腕をやっとの思いで布団から這い出して、子猫を手招く。


「お、いで」


 すると子猫は存外、弱々しい足取りでこちらに近づいてきた。試しに抱き上げてやったところ、綿よりも軽かったので驚いた。耳は欠け、全身傷だらけだった。


 馬に轢かれたのか、それともからすに弄られたのか……どちらにせよ、臆することなく人間に近づいてくる程度には死にかけなんだろう。



 子猫はひゅー、ひゅー、と、すごく苦しそうに息をしていた。ひとりぼっちで。その先に訪れる運命も知らないで。



 ああ。つくづく――僕とおんなじだ。



 子猫を布団の上に降ろし、ゆっくり、ゆっくり襖を目指した。


 黒猫は不吉だというし、何よりそのままではつらかろう。襖の中には、僕の刀が隠されている。池田屋で活躍した刀ではないけれど、それでも切れ味は抜群だ。


「待っていて。いま、ぼくが楽に……」介錯人として、敬愛する戦友の首すら叩き落としてしまえる僕だ。腕には覚えがある。


 音も出さずににじり寄ると、黒猫は何が起こったのだと言わんばかりに、必死になって逃げ惑う。大丈夫、今にきっと楽にして……、


 グッと、柄を握る。が……、次の瞬間には、鞘に納められたままの刀が、ゴトリ、と畳に落ちていた。


「――なんで」腕に、全く力が入っていかない。


 どうしてだよ、やめてくれよ。唯一の特技まで失ったら僕は、いよいよ誰からも必要とされなくなってしまうじゃないか。水鏡のような刃に、瘦せ細った僕の青白い顔が映る。


 でも、何度構えようとしても、振り下ろそうとしても、やっぱり駄目だった。重心がガタガタ震えて、体に染み込ませたはずの技が何ひとつ思い出せない。そうこうしているうちに滝のように汗が噴き出てきて、再び激しい咳がやってくる。なすすべなく、僕はその場に崩れ落ちた。

 結局、猫を斬ることはできなかった。今にして思えば、僕はこの時ようやく、自身の終焉を思い知らされたのだった。


 九死に一生を得たばかりの黒猫は淡い金色の瞳で、僕を見上げてきた。


「は、ははっ……生きたい、か。そうかぁ…………」


 黒猫はみゃおん、と小さく鳴いた。刀を鞘に納め、おそるおそる、あごの下に手を滑り込ませる。


「僕だって本当は、生きていたい……みんなと一緒に、また楽しく稽古がしたい……」


「うにゃ、にゅー……! にゃ、にゃぁ」


「調子がいいなあ、おまえ。もうすっかり元気になったみたいだ。しっかし、猫に慰められるだなんて……僕も随分、落ちぶれ、た…………」


 刹那、穏やかな光が差し込み、僕は眠りの波に身をゆだねてしまった。

 起きた時にはもう、与えられた部屋には僕一人きりだった。




 その後猫がどうなったのかは知らないし、もしかしたら最初から黒猫なんて存在していなくて、死ぬ間際に見た幻だったのかもしれない。


 けれど、これだけは言える。遠い未来で出会った彼女――狩野虎美(かのうとらみ)は、あの時の猫と同じ目をしていたと。

 なんといえばいいのだろう、存在がよく似ているというべきか……そうだ、すべてを見透かしているようでいて、本当は何にも興味が持てないだけだったりするところなんか、特に。


 相も変わらずつっけんどんだけれど、毎日張り合いがあって楽しい。死んだ後にそんなふうに言うのも、変な話だけれど。



 兎にも角にも、なんだか他人とは思えなくて放っておけないのだ。


「ああ、トラちゃんに謝らないとなあ。さっきはいらぬ心配をかけてごめんなさいって――ねえ、土方さん?」

  

 我楽多で埋め尽くされた自室にひとり、いかめしい顔をした鬼の置物に語りかける。かるまさんからこれを受け取った時は、誰かさんとのあまりのそっくりさに笑いが止まらなかった。無論、返事なんて返ってくるはずもないけれど。でも、いつの日か本人たちがしゃんばらにやってきたとしたら、僕はそれぞれになんて声をかけるのだろう。



 お疲れ様でした、とか、こんなに待たせて、とか、それこそ今生はどうだったのか、とか、あるいは……僕のことを恨んでいるか、とか。



 それまでに、気が遠くなるほどの時間がかかるかもしれない。だけど、僕はきっとそのために――。




「…………お、き、た、さああああああんっ!!」




 耳をつんざくような大声に、勢い余って露台から転げ落ちるんじゃないかと思った。今度は泥だらけの子がひい、ふう、みい……。中には、例の男の子もいた。


「……どうしたんですかみんな⁈ そんなになって――はっ!」


 どこか誇らしそうに朱鞘の刀を掲げるのはトラちゃん。僕は、急いでみんなのもとへ駆け寄った。


「ううぅ、ひぐっ、ごめんなさぁい……っ」男の子は、しゃくりあげながら泣き続けていた。子ども相手に珍しく、どうするべきかの判断がすぐにできず慌てふためく僕の横で、トラちゃんとコタローはなぜか得意げな顔を浮かべてみせる。


「……ゆっくりでいいから、話してごらん」


 聞けば、男の子は僕の刀を持って夢中で遊びまわっていたところ、肝心の刀を蓮見湖に湖に落としてしまったそうで。落とした刀を急いで拾おうとしたら、全身に稲妻が走ったかのような痛みを感じたらしい。おそらく、他に流れ着いていた現世のものに触れてしまったのだろう。男の子の右手は黒ずんでいた。


 途方に暮れて木に登ったら、今度はなんとそこから降りられなくなってしまったと。そこに偶然現れたのが、何を隠そう、トラちゃんとコタローだったのだと言う。


「蓮見湖まで行けば、あとは私が落っことした刀を回収するだけなので」すかさず補足を入れるトラちゃんが、下衣をたくし上げてざぶざぶ蓮見湖に入っていく光景が想像できる。


「なるほど。そういうわけだったのか――正直に教えてくれてありがとう。僕は大丈夫だから、もう泣かないで」


「ほんと……? おこってない……?」


「もちろん! それどころか、君みたいな元気な子と一緒に遊べて楽しかった。おかげさまで童心に帰れましたよ」


 後ろで「さっきまであんだけウジウジしてた人が何言ってんだか……」と声が聞こえてきたような気がするが、たぶん空耳だ。


「うう。よかっ、たあ。よかった、あ。ずっと、ずーっと、だれとも遊べなくて、ひとり、ぼっちで、ずっと、さびしくっ、て……、だ、からっ。あり、がと、う……っ。おにいちゃん」


「いいえ、こちらこそ」僕が言うと、男の子はまるで、ぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。


「またいっしょに……サムライごっこ、しようね!」ゆびきりげんまん、と小指を絡めながら、男の子はそのまますうっと、消えていった。



 トラちゃんは、普段よりほんの少しだけ晴れやかな面持ちで、遠くの空を見つめる。


「沖田さん。大事なものがあるなら、どんなにダサかろうが、手放さなければいいだけの話だと思います」


 トラちゃんから直々に、刀を手渡される。それは、何百年も触れていなかったのではないかと錯覚するくらい、懐かしい重みだった。だってもう、諦めていたのに。綺麗さっぱり忘れてしまおうと思い始めていたところだったのに。


「…………改めて、ありがとうございます。ふたりとも。いやあ……、まいりました。こんな時に限って、なんとお礼したら良いのか浮かばないなんて……」


「お礼……? コタローは知らないけど、私には別に必要ありません。とりあえずこれで、助けていただいた時の借りは返せたはずなので」


 一見冷めているかと思いきや、かつて僕たちが目指した武士のような義理堅さも兼ね備えている不思議な子、それがトラちゃんだった。

 

 ああ。そうか。ようやく気が付いた。トラちゃんを他人とは思えない理由。


「…………それじゃあ、そうだなあ。こういうのはどうですか? 例えば……トラちゃんとコタローと僕の三人で、今から美味しいいなり寿司を食べに行くというのは!」


「おわっ、ちょ、ちょっと沖田さん! 急に手を引っ張らないでください! ていうかせめて着替えさせて! ……着替えなんかありませんけど!!」


 命を賭して、あの日あの時振るっていた刀と同じくらい、いや。もしかしたらそれ以上に――。


「あははっ。いっぺん死んでみるのも、悪くないなあ」コタローを抱えたトラちゃんは、うへぇとため息をついている。


 これからもめいっぱい、第二の人生を謳歌するとしよう――廻り廻った縁の先で見つけた、最高の相棒と一緒に。




〜あとがき〜

読者のみなさまー!!!

ここまで読んでくださり、誠にありがとうございました!これにて一章、完結です!

二章の更新までもう少々お待ちください……!お楽しみに!

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