番外編、さがしもの 其の二
事の発端は、遡ること一時間前――。
たまには屯所の中の掃除でもしてみるかと、ちゃぶ台を磨いていた私の前で、沖田さんは大きなため息をつきながら座布団に座った。
困ったな、などと、分かりやすく物憂げな顔を浮かべて。
「……どうしたんですか」桶の中で雑巾を絞る。
「トラちゃんにはどうせ、僕の悲しみなんて分からないんだ……」
「はい。見ての通り私は今掃除で忙しいんで」
「トラちゃんまで僕を見放すんですね……うぅ、こんな子に育てた覚えはないのにっ」
うわあ、何この唐突なメンヘラタイム。ていうか私別にあなたに育てられた覚えはないんですけど?
こんな沖田さんは放っておいて、本当は今すぐにでも、階段箪笥のホコリを取りに行きたいところだった。
けど、無視したら無視したで後々面倒くさそうだしな……仕方ない、ここはひとつ大人の対応を見せるということで、一旦折れておくことにしよう。私は雑巾をキュッと丸めて、悲嘆に暮れる沖田さんに向き直った。
「……分かりました。何があったかなるべく手短に教えてください」
「……………………当ててみてください」沖田さんは両膝にすっぽり顔を埋めたまま、か細い声でそう言った。
正直に思った、めんどくさすぎないかと。いやこれ絶対アレじゃん、年齢聞いたら「何歳に見える?」って聞き返してくるタイプのヤツじゃん。
心の中で激しく突っ込みながらも、私はしぶしぶ目を細める。
それは、言われてみてやっと気づくか気づかないかくらいの、ほんの小さな違和感だった。まるで沖田さんの体のどこかに空間があるような……。さらにじっと観察してみたら、なんと。
いつも腰に携えているはずの刀が見当たらなかった。
あ、と言いかけたその時だった。しゅたたたっ、と、素早く階段を駆け降りる音が聞こえてきた。コタローだ。
「総司ぃー! さっき総司が言ってたこども、やっぱりどこにもいなぁい!」たぶん前払いの報酬につられたんだろう、口には大きな三角揚げをくわえている。
沖田さんの方を見ると、「はぁ、そうかあ……」と、心底残念そうに目を瞑っていた。
「状況がいまいち掴めてないんですけど、子どもに盗られたってことですか、沖田さんの刀」
無言でうなずく沖田さん。詳しいいきさつを聞くと、ぽつりぽつりと話し始めた。
「さっき外を散歩していたらたまたま、未練を解消したいという子どもに会ったんです」
「一応、特徴は?」
「ええと、背丈はだいたいトラちゃんの半分くらいで…………そうだ、まるで忍みたいな青い蛙? が描かれた着物を着ていました! 元気そうな、実に子どもらしい感じの男の子だったんですよ。僕の姿を見るなり、向こうへ行く前に一度本気の‘‘サムライごっこ‘‘をしたいと言い出してきたので――ほら、僕もついうれしくなってしまって」先ほどとは打って変わった様子で、沖田さんは照れ臭そうに頬をかく。
「へえ。それで? 相手がガキんちょだからって、完全に油断していたと」
「え、ええ。お恥ずかしながら……」
「いい冥土の土産になるだろうなんて思って、自慢の愛刀を貸しちゃったと。接待プレーしちゃったと」
「――もうトラちゃん、どうして全部分かっちゃうんですかぁ!」
「当ててみろって言ったのは、沖田さんでしょ」
話を聞く限りその例の子はまだ幼稚園児~小学校低学年っぽいし、本物の刀なんてレアなもの見せたら、簡単に手放してくれないに決まってるだろうに。しっかし沖田さんを出し抜くなんて、ずいぶん根性のある悪ガキだよなぁ。いっそ感心してしまう。
……月光に輝いているであろう甲賀の忍者が好きそうなところなんかは、年相応とも言えるけど。
「まあ、自業自得なんじゃないですか? ね。コタロー」
コタローは目の前のご褒美に夢中のようだった。つくづくドンマイ、沖田さん。
「うう、大切なものだったのに……僕の片割れとも言える……」
「総司がおいしいのくれたから、おいらがんばったけど、どんなにさがしても見つからなかったよ」
「ならいっそのこと、思い切って新しいのを見繕ってみたらどうですか? 日本刀であればとりあえずなんでもいいですよね? ……試しに雄心誉あたりに、軍刀をどこで調達したのか聞いてみる、とか」
「……そういうわけには、いかないんです」沖田さんは静かに、それでいてきっぱり、言い放った。
あれ、私なんか変なこと言ったかな。日本刀ならなんでもいいって決めつけたのが? それとも、雄心誉に頭を下げるのが?
「あの刀は、唯一無二の宝物ですから」
さあっと、ぬるい風が線香の匂いとともに吹き抜けていった。
「それはどういう……」
「トラちゃんにはまだ、お話できていませんでしたね。僕とあの刀が辿ってきた運命について」
「あ、はい。聞いた覚えがないので、たぶん……」
むかしむかし――というわけでもないですが。こんな前置きを入れながら、沖田さんは口を開いた。
「僕がしゃんばらで目覚めたとき、まず初めに感じたのが、体の軽さでした。不思議と、生きていた頃よりも心身ともに楽な気がしたんです。まあ、そりゃあ死んだのだから、当たり前といえば当たり前のことなのかもしれません。でも、違うんです。耳元でしっかり衣擦れの音はするのに、どこか物足りない。もっとこう、何か、体から大事な部分が抜け落ちてしまったかのような……胸のあたりがざわざわして、とにかく不安で、しょうがなかった。だからでしょうか、どうやら僕は身一つでここにやって来てしまったようだと気づくまで、そう時間はかかりませんでした」
「じゃあしばらく手ぶらっていうか、沖田さんにも帯刀してない時期があったんですね」沖田さんは、小さく顎を引く。
「ところがそんな矢先、なんの前触れもなく、蓮見湖に僕の刀が浮かび上がっているのを見つけまして――。この機を逃すものかと、かるまさんに刀を作ってもらうことにしたんです、一から」
「……イチからぁ!?」
「はい。普段は別天地にいるかるまさんとは、たまにお会いした時に会話をするくらいの仲だったんですけどね。幸いなことに彼、『俺ほど手先が器用なだるまはいねえ!』とよくおっしゃっていたので」
信じられなかった。かるまさんとの馴れ初めはともかく、刀を一振り鍛えるだけでも、相当な時間と技術を要するはずなのに。いくら鍛冶師が妖怪の類だからって、沖田総司の愛刀を模すのはすごく大変なんじゃないのか。だって客はあの新選組の天才剣士なわけだし、その、プレッシャーとかも色々含めて。
「かるまさんには、できれば鞘を赤く塗ってほしいのと、あと鍔の形は必ず四角にしてほしいというのを伝えたんですけどねぇ。やっぱり、湖にぷかぷか浮かんでいるものを見よう見まねで作るわけでしょう。横から茶々を入れるなと、こっぴどく叱られちゃいました……えへへ」
えへへ、じゃない! 私がその場にいたらささっと取ってきて渡すくらいなんてことなかったのに――って、そうだった、沖田さんをはじめ(私以外の)しゃんばらに住まうひとたちには、そもそもで現世から流れ着いてきたものが触れないんだった。
「ちょっと聞きたいんですけど、どうしてそんな、ひとつのものにこだわれるんですか?」
「う~ん……お気に入りだった、結局この一言に尽きるんじゃないですかねえ。だって僕、あの刀が少しでも刃毀れしないようにって、自分でもびっくりするくらい丁寧に扱っていたんですよ。毎日、毎日…………」
「なんかイメージ湧かないな。そうだったんですか」
自分でも自覚があるのか、くすくす笑う沖田さん。
「……なのにあの晩、池田屋で折れてしまった。急いで修理に出しましたが、どうやらもう手遅れだったようで、ついに僕のもとに帰ってくることはありませんでした」
ああ、まただ。ちゃぶ台に身を乗り出した彼はどこか、空虚な目をしているように見えた。
「――なるほど」
大事にしてたんだなっていうのは、なんとなく伝わってきた。
「ええ。だからこそ、まさか死んでから再会できるなんて思ってもみなかった」
たかが刀……されど刀、か。私は、星一つ見えない夜に、京の街で深紅の刀を振り回す沖田さんの姿を想像してみる。うん、やっぱりさぞかし様になっていたんだろうな。
「……まあでも、たくさん語ってしまってこう言うのもなんですが、これで良かったのかもしれないとも思うんです。そろそろ自分の気持ちにケリをつけろ、ってね。なにせ‘‘新選組の沖田総司‘‘の生涯は、とっくの昔に終わってるんだから」
「……誰が言ったんです、そんなこと」
沖田さんは、ふふっと無邪気に肩を揺らす。
「それこそ、カミサマとか?」




