選ばれし民 (えらばれし たみ)
片田順が刀を海に投げ捨てたので、ポルトガル兵が二人近寄って来る。片方の兵が何か言って来るが、片田はポルトガル語が解らない。
しかたがないので、兵が腕を前に出し、手首の所で交差させる仕草をする。
“手を拘束するということだな”片田が理解して、自分の手を交差させる。
ポルトガル兵が安堵した。兵たちだって不安なことに変わりはない。手鎖はカレクト人達が付けたまま向こうの船に移動してしまったので、ありあわせの布で片田の腕を十字に縛る。
必要以上に固く縛った。
片田の両腕を拘束してしまうと、今度は座れという仕草をしてきた。片田が船板に胡坐をかく。
その時に初めて片田が背中に袋を背負っていることに気付いた。袋は両肩から脇に回した帯で支えられている。
兵が袋を外そうとするが、両手を縛った状態で降ろせるものではない。マヌケなことになった。
紐は固く縛ったので、外すのは容易ではない。なにより縛めを解いて暴れ出されても困る。
しかたがないので、袋を開けて中に危険な物がないか、たしかめることにした。
なにかの紙束が出て来る。それに砂金の袋とデュカート金貨が数枚あった。これで自由を買おう、そう思っているかもしれない。
「司祭殿、出した物を袋の中に戻すように言ってくれ」片田が簡単なラテン語で隣の小舟に乗る司祭に言った。
司祭がそれをポルトガル語で兵に言う。
“こいつ、ラテン語ができるのか”兵達がざわめく。ドン・ヴァスコのところに連れていく前に砂金や金貨を奪うわけにはいかなくなった。
インド提督のところに連れて行ったとき、金を盗まれたなどとラテン語で訴えられたらかなわない。
他に危険そうなものは入っていなかった。袋から出した物を戻す。これならば提督の面前に連れて行っても大丈夫だろう。
ポルトガル兵は、そう思って出した物を袋の中に戻す。
二艘の舟は浜に向かう。浜には二つの松明が灯っている。松明の間に小柄な男が腕を組んで立っていた。
あれがヴァスコ・ダ・ガマだろうか。片田が思う。
アジアに五百年の災厄をもたらした男だ。もちろん、すべてが彼のせいだとは言わないが、その後の西洋諸国の行動指針になった男だ。
片田がその男の前に立つ。
意外にも小柄で痩せていた。ただ、その深く落ち込んだ瞳は鋭い。
片田の両手は縛られたままだ。傍らから司祭が言う。
「この男は多少のラテン語が話せるようです。私にカタダ・ジョンだと名乗りました」
男が頷いて言った。
「私はインド提督、ドン・ヴァスコ・ダ・ガマである」
「私が片田順だ。片田商店の店主だ」
「なぜ、我々のインド交易の邪魔をする」
「やり方が乱暴すぎるからだ。イスラム商人のように互いの身分と約定を守って商うのであれば、口出しはせぬ」
「異教徒と我らが同じ秤で量られると思うのか。彼らは導かれるべき者達であり、我らに従うのが道理だ」
「イスラムの商人たちは、それを当然の掟として守っている。我らも同じだ。そこに何の差し障りもない」
「野蛮な邪教の神を信じている者どもに約定などは期待できない。しかも同列の身分に並べるとはけしからん。なぜならば我々は真の神の恩寵を受け、この世を導く務めを負った民だからだ」
「君たちが、君たちの神を信じるのを妨げはしない。しかし、それが真実であるとはかぎらない」
「どういう意味だ」
「たとえば、君たちは太陽が地球の周りを回っているとしている。『地はとこしえに動くことがない』だ」
聖書の詩篇一〇四編五節の言葉だ。
「ところが、真実は地球が太陽の周りを回っている」
「そのようなことがあるものか、それならばこの世の人間はみな立ってもおれまい。愚にもつかぬ」
「では、我々は髪の色、肌の色、瞳の色が異なる。なぜ異なるのか。そして両者の間に生まれた子供はどうなるか」
そこから片田が進化論を持ち出してみる。ヴァスコとしては、こんな話に付き合いたくはないのだが、下心があるので片田に付き合う。
「人間の先祖が猿だというのか、バカバカしい。我々は神によって創造されたのだ」
「ならば私たちも神に創造されたのではないのか」片田が言う。
「それはそうだろう。しかし我々と貴様らは違う。我々は神によって選ばれた民なのだからな。お前たちは猿と変わらない。それよりも、お前達が持つ、風上に走る船をよこせ。そうすればお前のここでの暮らしは天国のようなものになるであろう」それが、ヴァスコの真の狙いだった。
「断る」
「断れば、独房暮らしになるぞ。それでは人が乗って空を飛ぶ機械はどうだ」
「それも、断る。自分達が選ばれた特別な人間だ、という考えを捨てない限り、何一つ渡さない」
「せっかく、いい暮らしが出来るはずであったのに、残念なことをしたな、独房行きに決まりだ。しかし考え直すのであれば、いつでも言ってくるがいい。話は聞いてやる」
そして、話は終わりだと言い、翻って城に向かって歩き出す。
兵が縛られた腕にロープを回し、片田を引っ張って行こうとする。その時だ。
片田が右手の空を見上げる。東の空に瞬かぬ赤い星、火星が昇っていた。片田が目を閉じ、息を止める。
彼の周りに鱗粉のような金色の粉が渦巻き始め、つむじ風に乗ったように空に昇って行った。
ポトリ、と片田の腕を縛っていた布が砂浜に落ちる。




