脅迫状 (きょうはくじょう)
ヴァスコ・ダ・ガマの船が西の水平線に消えてから十日ほど経った。
ヴァスコの船が曳航していたバテルが一艘だけ、水平線に現れペニシェ島から少し離れた浜に舟を引き揚げていた。
数人の男が上陸し、付近の町、アトウギア・ダ・バレイアの教会の門を叩く。
「なんじゃの」出て来た司祭が言う。
「司祭様は、ペニシェ島の巡回司祭を兼ねていますよね」
「そうじゃが、それがなにか」
「カタダ商館と島民の仲立ちをしたと聞いていますが、本当ですか」
「ああ、そうじゃ。向こう側に非常に達者なラテン語を話す若者がいたのでな。我々とは異なる人種なのに見事なラテン語じゃった」
「では、明日にでもペニシェにいるカタダ商館の主にこの手紙を届けてくれないか」
「なんじゃ、これは」
「我々は『インド提督』の兵だ。提督がインド人を十一人保護している。彼らはシーネスの提督の邸にいる。カタダ・ジョン自身が訪れていただければ、インド人を引き渡したい、そういう趣旨の手紙だ」
シーネスとはリスボンから南へ九十キロメートルほどの距離にある港町だ。ヴァスコの故郷だった。第一回インド航海のあと、ヴァスコは故郷に自分の別邸を建設していた。
「『インド提督』というと、インドに行かれたドン・ヴァスコ・ダ・ガマ様のことか、それはすごい」
そう言って司祭がラテン語で書かれた書類を読む。彼はラテン語が得意ではないが、だいたい兵が言っているようなことが読み取れた。ヴァスコのサインがあり、その下に線が引かれている。
当時のイベリア半島では署名に下線を引くことは珍しくない。とくに貴族では一般的だった。
自分の名前を浮き立たせる効果があり、加えて、ここで文書が終わるという記号でもあった。
フランスのフィリップ四世の借用書に見られた文末の下線と同じ記号として使われている。
ただ、細かいニュアンスまでは読み取れない。まさかこれが『脅迫状』だ、などとは夢にも思わずペニシェ島に届けた。
「『じょん』、マーナ達の居所がわかった」戦艦『金剛』の戦闘指揮所にシンガの声が響く。無線通話だった。
「わかっただと、どうやって」
「ポルトガルの『インド提督』とかいう人間がペニシェに脅迫状を送って来た」
『インド提督』とは、ヴァスコ・ダ・ガマのことだろうか、片田が思う。
「で、どこにいる」
「シーネスという港町だそうだよ。リスボンの南十七レグアだと書いてある」
「港町ということは海沿いだな、助かった」
「だけど、『じょん』自身が来るように、って書いてある」
「私自身が、だと。なぜ私のことを知っているんだ」
「たぶんマーナから聞いたんだろ。マーナ、ラテン語を練習していたから」
「マーナがラテン語を、なんでだ」
「僕が言ったんだ。キリスト教世界では、ラテン語が話せれば尊敬されるって」
「そういうことか」
「でも、『じょん』が行ったら、マーナの代わりに『じょん』が捕まっちゃうんじゃないかな」
「恐らくそれが狙いだろうな。私を人質にして、ポルトガルのインド航海の妨害をするな、ということだろう」
「そうだね」
「私はシーネスの沖に移動することにする。シンガも来てほしい。そのとき脅迫状の原紙も持って来るように。なにか他に読み取れることがあるかもしれない」
そういって通信を終えた。
次いで片田がオルダニー島を呼び出し、同地に投錨しているジョアン・フェヘイロに対する指示を出した。
「フェヘイロさん、片田社主が特許商品を積んでポルトガルのシーネス沖に来てほしい、と言っています。行けますか」
特許商品とはフェヘイロがポルトガル国王から特許を得た尿素、鏡、ガラスの三商品のことだ。
「シーネスって、どこだ」
「さて、リスボンの十七レグア南にある港だそうですが」
「十七、ああ、サイニーズのことか。よかろう、二日あれば準備が出来る。そのあと二十日から三十日ほどでサイニーズ沖三リーグのところに到着できるだろう」
シーネスはポルトガル語、サイニーズは英語発音だ。
通信員がフェヘイロの言ったことを片田に伝え、念のためテレタイプでも送信した。




