マーナヴィクラマ
“彼は僕のことを憶えているだろうか”、マーナが思った。彼とはヴァスコ・ダ・ガマのことだ。
二人が会ったのは、カレクト王とヴァスコの面会のあとの歓迎会だった。その時一度だけ会っている。
その時ヴァスコは主賓だったので、マーナの方は彼を憶えている。しかし、歓迎会でのマーナは多くの王族の一人という位置だった。
ヴァスコがマーナのことを憶えているとは思えない。
もしヴァスコがマーナのことを憶えていたら、その立場を利用して片田商店に何かの代償を求めるだろう。人質ということだ。
ヴァスコが何か命令を下し、ポルトガル兵六十名が少しずつ前進する。ヴァスコ本人は動かない。マーナは上げた右手を降ろさない。
ポルトガル兵が『ヤシノミ隊』から銃を奪い、後手に縛っていく。マーナは銃を持っていなかったので、後回しにされた。
その時、マーナが発煙筒を発火させて斜め前に投げた。武装解除前に投げることも出来たが、それではポルトガル兵が発砲する恐れがあった。
発煙筒が崖の近くに落ち、赤い煙を吐き出した。ヴァスコが何か叫ぶ。ポルトガル兵の一人が素早く発煙筒を拾い、湾に投げ込む。
筒が煙を吐きながら落ちていき、海中に没した。発煙が止む。
巡洋艦『妙高』に危機を告げる手段を失った。
銃を奪ったところでヴァスコが近づいてきた。マーナに向かってポルトガル語で話しかける。
「●×!▲◇、■□、マーナヴィクラマ、×▽△□……」
マーナにはヴァスコの言葉は理解できなかったが、一言だけ理解した。自分の名前だ。
“こいつは、僕のことを憶えていた!”
ヴァスコは、このように言ったのだ。
「おまえ、カレクト王子のマーナヴィクラマだろう。若造のくせに兵を指揮しているので思い出した」
ポルトガル兵が『ヤシノミ隊』の身体検査をし、銃弾を発見する。
「これはなんだ」銃弾を取り上げて尋ねる。
「といっても、言葉が通じないんだから、どうしようもないな」
「見せてみろ」ヴァスコが兵に言う。
片田商店のボルトアクション・ライフルと小銃弾を見比べる。ヴァスコがボルトを回して引く、開いたところに小銃弾を装填し、ボルトを戻す。そして銃口を『ヤシノミ隊』の一人に向けた。男が目を丸くして叫ぶ。
「ふむ、間違いなさそうだな。これは銃弾だ」ヴァスコがそう言って海の方に銃口を向けて引鉄を引く。
銃声が響いた。
「なるほど、火縄を使うより便利なようだ。銃弾はすべて回収しろ」
ヴァスコ達が『馬の背』に戻り、『イチジクの谷』を降り、入り江に揚げてあった連絡艇で彼らの船『フロール・デ・ラ・マール』に戻る。
途中、巡洋艦『妙高』に出会うことはなかった。『妙高』は東の入り江でマーナ達の帰りを待っている。
日が西に傾き始める。マーナ達は昼までには帰ってくることになっていた。それがもどらない。
『妙高』艦長が日本人で構成された捜索隊を編制して上陸させた。
島内をいくら探してもマーナ達はいなかった。
捜索隊とは別に『妙高』も島の周りを何度も周回してマーナ達の姿を探し、声をかけてみた。
神隠しにあったようだった。
その間ポルトガルのナオ『フロール・デ・ラ・マール』は、洞窟に潜り込んだままだ。彼らは夜を待っている。
夜が迫った。『妙高』が『第二戦隊』旗艦の『榛名』に顛末を報告して、指示を仰ぐ。『妙高』は現在地で待機せよ、とのことだった。
明朝、『第四戦隊』の四隻の砲艦をベルレンガス島に差し向けるとも言ってきた。
当面一週間の捜索期間を設けるという。友好国の王子が失踪したのだから、一大事だ。
その夜、『フロール・デ・ラ・マール』がバテルに曳航され、洞窟から静かに出て来る。星明りだけを頼りにした慎重な作業だった。
船尾灯すら点けていない。そして湾を出て、西に向かって去っていった。
翌朝、『第四戦隊』がやってきて大規模な島の捜索がおこなわれた。遺体もなければ、銃もない。なんの痕跡もない。
島の南部海岸線を調べていた砲艦『秋月』が湾の奥になにかがあるのを見つける。連絡艇を降ろして近寄ってみると発煙筒だった。
「発煙した跡が残っています」
「と、いうことは何かを知らせたかったのだろう」
『秋月』から『妙高』に問い合わせる。
「発煙があったことに気付いていたか」
『妙高』からは心当たりがない、と返って来た。
「湾の中を捜索してみろ、何かあるかもしれん」
銃も、遺体も出てこなかった。その代わり洞窟の奥に入った連絡艇が生ゴミを見つけて来た。牛や豚の切断された骨、塩漬け肉に使った香草、タマネギやニンジンを剥いた皮などだ。
日本人の出す生ゴミではない。
発煙筒の落ちていた位置から、マーナ達が捕虜になったのは島の南部の湾あたりだろう、ということになる。
改めてそのあたりの陸上を調べると、片田商店製の薬莢が一つだけ落ちていた。周囲に血痕はなかった。
おそらく、全員がポルトガルの捕虜になったのだろう、という結論が出て捜索が終わった。




