ジョアン・フェヘイロ 3
ジョアン・フェヘイロがマヌエル王に仕えるようになったのは、スパイと疑われたことからだった、と以前に書いた。
イングランドとポルトガルの間で交易していた商人だったが、自らの商船をリスボンの造船所に接近させたことで、スパイの容疑がかかる。
そこでマヌエル王の目に留まり、英語とポルトガル語が使え、かつオルダニー島に出入りしているのならば、ということで採用された。
ところが、ジョアン・フェヘイロは、最初から片田商店に雇われていた。
リスボンで少々疑われるような商船の碇泊を行ったのも、わざとだ。
リスボン官吏の目に留まり、その経歴を理由にポルトガルに雇われるように仕向けた。
そして、思惑どおり採用されて、オルダニー島の様子などを調べることを命ぜられる。簡単な任務から始めさせるのは、スパイを使う上での常道だ。
彼が片田商店のスパイだったとするならば、ポルトガルから見ればダブル・スパイということになる。
もし、ジョアンが裏切っていないのであれば、片田商店から見ると、トリプル・スパイだ。そして、彼は片田商店を裏切ってはいない。
一方のポルトガル国王、マヌエル一世について。
彼は敬虔なカトリック王であったが、異教徒に対しては比較的寛容だったと言えるかもしれない。イスラム教徒に対しては厳しかったが、ユダヤ教徒については、それほど厳しい態度ではなかった。
ユダヤ教徒はポルトガルでは、商業や金融業で無視できない勢力だったし、医師や職員などの知的専門職も多かった。
先王のジョアン二世がユダヤ人を実質的な奴隷状態に置いたのに対して、マヌエル王は即位直後に、これを解放した。
その後、マヌエル王は一四九六年にユダヤ人のポルトガルからの追放を宣言するのであるが、これは彼の本意ではなかった。
彼はアラゴンのイサベル王女との結婚を望んでいた。カトリック両王、アラゴンのフェルナンドとカスティーリャのイサベルの娘だった。母子ともにイサベルなので紛らわしい。
ところがカトリック両王から、『かわいい娘を、ユダヤ人が多くいる場所に嫁がせたくない』と言ってきた。
それでやむなく、ユダヤ人の国外追放を宣言することになるのだが、宣言通りにはしなかった。
追放期限の直前に王令を出した。そのなかで、『ポルトガル国内に残っているユダヤ教徒は全員キリスト教徒になったことにする』と宣言してしまう。
無茶なことをやるものだ。後の火種になることは間違いない。
そして、新キリスト教徒達の『内心での信仰の調査』を二十年もの間、禁止した。
『踏み絵』を踏ませるようなことはしない、ということだ。
いろいろ調べると、マヌエルは宗教よりも実利を取る王のようだ。カトリック的王というよりは、ルネサンス的王だったといえるかもしれない。
「なるほど、それをカタダが言っていた、というのだな」
「いえ、通訳のシンガと話したことです」
「わかった」マヌエル王がそう言って、続けた。
「その方、カタダ商館の店主と通じておるな」マヌエル王が言った。ジョアンは返答できない。
片田商店の意向でポルトガル宮廷に接近したことを、見破られたと思った。
両の掌は冷たいのに、びっしょりと汗をかいている。この場で打ち首になるのか、そう思った。
しかし、ポルトガル王マヌエル一世からみると、彼がどちらの味方なのか、もはや、そのことはどうでもいいことになった。
これだけあざやかに、ポルトガルがどうすべきか、語って来たのだ。これはカタダとかいう男の意思だろう。
マヌエル王は、すでにペニシェ島にカタダ商館軍が上陸していることを知っている。
ジョアンは、今やスパイなどではなく、カタダ商館とポルトガル王室を繋ぐパイプになった。外交官である。
「その方、次にカタダ商館の店主に会った時に言うが良い、『ポルトガル王は貴公の忠告を真剣に受け止める』とな」
「はっ」ジョアンは、そう言うのが精一杯だった。
「これからも、オルダニーとリベイラ宮を行き来し、外の様子を知らせるが良い。逃げるのではないぞ」
「承知いたしました」ジョアンがそう言って、深く頭を下げる。
祈祷室から出たジョアンが控えの間でしばし待たされる。王が別途、謁見するのでしばらく待たれよ、と言われた。
不安を抱きながら、一時間ほど待たされた。そして、謁見の間に呼ばれる。
「商人ジョアン・フェヘイロ、そなたに交易特許状と王室紋章入りの外套をさずける」
ジョアンには意外だった。
「特許状は、そなたがもたらす尿素、鏡、ガラスについてのものだ。ポルトガルにおける独占的取引権を認める。また、この三品についてのリスボン入港税も免除する」
ジョアンが厚く礼を申し上げる。
「それと、紋章入り外套の着用を許す。公式の場で着用するがよい」
ジョアンが再び感謝の念を伝える。この外套を身に着ける者が王に近い存在であることを意味する。
「近う寄れ」そういってマヌエル王がジョアンを手招きする。なにか、と思いながらジョアンが接近すると、王が言った。
「だから、逃げるなよ」王が囁いた。
なお、ジョアン・フェヘイロのイングランドでの名前をおもいだせば、これだけで、分かる人には分かる。
まだ読んでいない人もいるかもしれないので、ネタバレ禁止。




