ペニシェ
『ムーア城』の『港』地区北城壁。
片田順の正面には、本土につながる砂州が広がる。六千のスペイン兵がこちらに向かって突撃してくる。
こちらは、『第一戦隊』の艦艇と、『第一軍』三百名の戦力だった。砲艦の陸戦隊を合わせても七百名には足りない。相手は十倍の兵力だ。城壁にとりつかれたらかなわない。
硫黄弾を発射して威嚇するが、敵の足は止まらない。二回、三回と撃ち続け、やっと三分の一を削った。
彼我の距離が一キロメートルあまりとなる。片田の周囲には噴進砲を操作する兵が立っている。皆が片田の方を見る。
“次はどうしましょう”
片田が彼らを見て、それから、殺到するスペイン兵を見る。
「榴弾を装填せよ」砲手たちが、ホッとした顔をする。
「次弾、榴弾を装填」という声が幾つも響く。
「照準、八百メートル」
「照準、八百メートル、よし」
二十本の旗が立った。準備ヨシの合図だ。
「撃てッ」片田が命令する。
三百六十本のロケットが白い帯を曳いて高く跳ね上がる。
ロケットが、押し寄せる四千のスペイン兵の頭上に降り注いだ。無数の白煙が立ち、爆発音が轟く。それに続いてスペイン兵の叫び声が響いた。
城壁の日本兵、カレクト兵が歓声を上げる。それは死なずに済む、という喜びの声だ。
片田順だけが、黙って弾着点を睨んでいる。
“また一つ、棺桶まで持っていかねばならぬ罪業を積んだ”、片田がそう思った。
『棺桶まで持っていく』、というのは生きている限り罪の意識を持ち続けなければならない、ということだ。
これほど急に六千もの兵に突撃されては、他に取る方法がなかった。『第二戦隊』がいれば、他に方法があったかもしれないが。
片田が悔やんだ。
この時のスペイン兵六千人のなかに、史実上インカ帝国を滅ぼすことになるフランシスコ・ピサロもいたはずである。
なぜならば、彼は若いころゴンサロ・デ・コルドバの指揮下で『第二次イタリア戦争』に従軍しているからだ。
その『第二戦隊』艦隊と、『第二軍』はどこにいったのか。
彼らはポルトガルにいた。リスボンより七十五キロ程北の海岸にペニシェという半島がある。そこにいた。
作戦目的はジブラルタルとほぼ同じで、この半島の永続的な占領だった。ここに軍港を持てば、敵艦隊の本拠地リスボンを常時監視下における。
ペニシェ半島といっても、サーフィンをやっている人にしかわからないかもしれない。筆者もここに半島があることを知らなかった。
リスボン近くに戦略拠点の候補を探していて見つけた。
なんでも、ビッグ・ウェーブが来るサーフィンの名所なのだそうだ。
西暦一五〇七年当時は、まだ完全な半島ではなかったという。干潮時に本土とペニシェ島が繋がる程度だったそうだ。
なので、せいぜい百世帯五百人程度の漁村だったと想像される。
礼拝堂はあったかもしれないが、教区教会はなかっただろう。なので、洗礼が必要な出産は本土に渡っておこなわなければならない。当時は死産や出産直後の死亡が多かった。せっかく現世に出て来ても、洗礼をしないまま死ぬ赤子は天国に行けないと信じられていたのだ。
結婚も本土で行うか、司祭が巡回してくるときに挙行された。
史実では、一五五七年にポルトガルが、この半島の軍事的利点に着目して要塞建設を始め、一五七〇年に完成している。
拠点としての重要性が増したペニシェが町に昇格したのは一六〇九年だったそうだ。
『第二軍』が島に上陸し、同行したシンガが下手なスペイン語でポルトガル人に説明する。
スペイン語の方が、母音がはっきりしているので、スペイン語はポルトガル人にとって理解しやすいそうだ。両方ともラテン語起源なので、共通語彙が多い。
反対に、ポルトガル人が話す言葉をスペイン人が理解することは困難らしい。
「お金、渡す。島、出て行く。この島、戦場になる、みんな、あぶない、出て行った方がいい」シンガが懸命に話す。
島民が頷いたり、首を傾げたりする。島民同士で会話が始まる。
「この袋、見る。ほら、金貨だ。一つの家、この袋、一つ。それで街に出て、商売する。どうだ」
『なせば、なる』、『話せば解る』、『通じる気で話せ』、実用的会話主義だ。




