新フランス王国と法律
トルデシリャスへの帰途にあった『エル・グラン・カピタン』ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバに対して、カスティーリャ摂政フェルナンドから、ジブラルタルに戻るよう命令が出る。
今までのように、現状維持の作戦でいいそうだ。加えてジブラルタル半島の付け根に恒久的な築城を許す、とも言ってきた。
ゴンサロ・デ・コルドバがジブラルタルに戻ることになった。
この春から夏にかけてのフランス王国は、どうしていただろうか。
フランスに残ったカトリックの最後の牙城、ランスが陥落したところまでは、書いた。
彼らは何をしていたか。彼らは法律を作っていた。
中世末期のフランスで法律を作っても、守る人間がいるのか、と思うかもしれない。法治国家じゃないだろう。
ところが、そうでもない。
中世のカトリック世界は慣習法の時代だった。このときに王は国内最大の封建領主にすぎなかった。
フランスでは十三世紀にフィリップ二世という偉い王様が登場した。『尊厳王』と呼ばれている。 イングランドから大陸の領土を取り返したり、南部フランスを併合したりした王様だ。
領土回復だけではなく、内政にも優れていたらしい。道路の舗装、城壁の建設、市場の設立などをおこなった。また司法の整備もしている。
王による裁判権を浸透させ、裁判にあたって基準になる法律を整備する。
まだ『法律』という名前ではない。『王令(Ordonnance)』という。一過性の命令などではなく、継続的に効力をもつ、『法』に相当するものだ。
例えば、これは実際の事例ではないが、“殺人をおこなったものは、死刑に処する。ただし意図的に殺したのではなく、過失によるものであれば十年の入牢に処す”、といったものだ。
まだ、体系だったものではない。
重要なことは、この『令』が王の名前によって定められる、ということだ。
つまり、フランスでは、法律は王が定めることになっている。将来絶対王政を成立させる重要な原因となっている。
慣習法と、さまざまな非成文法、判例を法律の根拠とするイングランドとは異なる。
彼らが最初に制定した法律は『初穂税上納禁止法』だった。
『初穂税』というのは、最初の年の収入をすべて、または一定の割合納めるということを言う。
納入先が教皇庁なので、『上納』である。
では、『最初の年』とはなにか。司教や大修道院長が教皇により任命されて、赴任した『最初の年』という意味だ。
つまり、それらの地位は教皇により与えられたものであるから、最初の年の実入りは感謝して教皇に納めよ、ということだ。
キリスト教世界では、『最初の実りは神に捧げる』という考え方があるそうだ。日本にも『新嘗祭』というお祭りがある。同じような趣旨だ。
その『神』への奉献先を、制度上『教皇』に帰属させている。
フランス王国にしてみれば、富の国外流出になる。なので、法律を作って禁止した。
また、この法律の中では、国内の司教の任命はフランス国王が行う、ともしている。
次は『上告禁止法』を定める。
この法においては、従来『使徒の聖座』とされていたローマ教皇庁を、単なるローマ司教座に過ぎないと断じた。つまり一地方司教座であり、他の司教座と同じものであるとした。
そのうえで、フランス国内の宗教に関わる訴訟の裁定はフランス国王が行うと定めた。
従来は、例えばヘンリー八世の離婚問題などはローマ司教が裁定している。それを止める、ということだ。
矢継ぎ早に『国王至上法』というものも定めた。
フランス教会の最高の首長はフランス国王であるとする法律だ。聖職叙任権、教会収入の管理権、教義の決定権を国王が持つとした。
かなり、むちゃくちゃな法律だし、前法との重複もある。これではカトリックもプロテスタントも困るだろう。
この法律はすぐに、かなり修正されることになる。
これらの法整備と並行して、『教会財産査定録』が編まれていった。フランス国内の教会財産の調査だ。
もちろんプロテスタント教会は財産と呼べるものを持たないのであるから、対象はカトリックだった。
信仰の自由は認めるが、地所などの教会財産は没収する方針だった。
物語のなかで、フランス王国が定めたとしている法律群は、ほぼイングランドのヘンリー八世が約三十年後に行った宗教改革のものを持って来ています。
ただ、例えば『国王による教義の決定権』などは、あまりにも乱暴すぎるので、物語のなかでは、すぐに修正しています。
史実ではヘンリー八世存命時には、この決定権は維持されてしまい、没後に混乱を招くことになります。
国王による教義決定権は、娘のエリザベス一世が『エリザベス宗教和解』という形で、王は信仰の核心には踏み込まないとしました。
一五五九年のことです。




