観測機 (かんそくき)
夜はすでに明けている
戦艦『金剛』の艦橋。舷窓から見える外の景色は真っ白だった。予定していた迫撃砲攻撃を行うことができない。
現地時間の午前八時過ぎだった。
地方時については片田順が現代から持ち込んだ高校地理の教材地図をそのまま使っている。ジブラルタルの経度はイングランドとほぼ同じだ。なので、当初グリニッジ標準時とスペインとの間には時差がなかった。
ところが、第二次世界大戦当時の一九四〇年に、スペインはヨーロッパ大陸の国々に合わせるために標準時+1に変更した。
当時のフランコ政権が枢軸国に政治的歩調を合わせたからだ、と言われている。
それが戦後もそのままになっている。
なので、日本では三月頃、七時には明るくなっているけれども、ジブラルタルでは一時間遅れて八時ごろになる。
艦橋から無線室に繋がるベルが鳴る。航海士補が送受話器を着けて話す。
「艦隊司令、『榛名』の艦長からです」そう言って航海士補が片田順に送受話器を渡す。
『榛名』は『第二戦隊』の旗艦で、ジブラルタルの東側に停泊している。新藤小次郎率いる『第二軍』が失敗した場合、退路を確保するのが当面の任務だ。
「こちら『金剛』の艦隊司令」
「『榛名』艦長です。そちらの通信を傍受していたのですが、そっちは濃霧なのですか」
「そうだ。市街も城も見えない」
「そうなのですか。しかし、こちら側では快晴です。霧はもちろん、雲一つ出ていません」
「どういうことだ。この霧は局所的な気象だというのか」片田が尋ねる。
「おそらく、そうでしょう」
片田がすこし考えた。
「観測機を出せるか」
「出せます」
「では、一機出してほしい。周辺の気象を観測させる。機からの無線はこちらで受けることにしよう」
「承知しました。ただちに準備します」『榛名』の艦長が応答した。
彼らが『観測機』と呼んでいるのは飛行艇の一種だ。観測するのは気象ではなく、弾着である。甲板上の迫撃砲で長距離砲撃ができることになったことにより考案された。
観測機は戦艦の甲板に設けられたカタパルトにより射出される。航空機をカタパルトで射出するというアイデアは奇抜ではない。世界初の有人飛行を行ったライトフライヤー号も重り式カタパルトを使用している。
ただ、彼らが動力に使うのは火薬だった。少々乱暴なやりかたかもしれない。
射出時の衝撃に耐えるように、通常の飛行艇よりも主翼やエンジン架台が補強されている。
『榛名』艦長の命令で戦艦のクレーンが露天甲板に置かれた観測機を吊り上げ始める。クレーンが回転し、観測機をカタパルト上の滑走台に載せる。
飛行帽と飛行眼鏡をつけた二名の搭乗員がカタパルト上の観測機に乗り込む。パイロットの『ひばり』が翼を点検する。水平尾翼やエルロンが動く。
観測員役の銀丸が前席で無線機の点検を行い、親指を上げた。
カタパルトが左旋回し、『榛名』の軸線と直角方向を向く。水平線から離れたばかりの太陽が低い陽射しを観測機に浴びせる。エンジンの回転数が最大になり、甲板上に排気煙が流れる。
パイロットが左腕を一瞬上げ、身構える。銀丸も身構えた。
バンッという音がして、トロリーが前進する。観測機が太陽に向かって射出された。『ひばり』がわずかに操縦桿を引く。観測機が水面までゆっくりと降下し、一瞬、海面に接する。そして海水を滴らせながら上昇していった。
最大出力のまま、高度三十メートルまで上昇し、ゆるやかに左旋回する。
旋回しながら高度を稼ぐ。ジブラルタル・ロックは標高四二六メートルもある。それが左手に見えて来た。白い石灰岩が朝日を浴びて金色に輝いている。
高度が二百メートルになる。岩山の北側を回る。
「なんだ、あれは」銀丸が叫ぶ。白い岩山の西側に大きな雲が被さっている。
「あれが、『第一戦隊』が言っている濃霧の雲ね」『ひばり』も言う。
旋回しながら、さらに上昇する。高度四百メートルを超えたところで旋回を止めた。このまま旋回し続けると雲の中に入ってしまう。それは危険だった。
雲の高さは五百メートルほどもあるようだ。
雲の上部は岩山よりも高く、白く輝いている。ところどころ太陽光が反射して虹色に見える。頂のところは東風によって梳られ、筋になっていた。
雲底の方は、岩山の影になっていて、灰色に沈んでいる。
雲の裾はジブラルタル湾の半分を覆っていた。対岸のアルヘシラスまでは届いていない。
「これは、絶景だ」銀丸が思わず言った。
「感心していないで、早く『金剛』に報告しなさいよ」『ひばり』が叱る。
Youtube で 「Levante ジブラルタル」などと検索すると銀丸と『ひばり』が見たものと同じ絶景を見ることができます。




