悪魔の塔
ジブラルタル半島の東側に上陸した片田商店軍を『第二軍』と呼んでいる。砂浜を右に進み、少し斜面を登ると正面にザ・ロックの大きな月影が延びていた。全員が暗い色の軍服を着ている。
ザ・ロックは海抜四百二十メートル程もある。
ジブラルタルの位置は北緯三十六度だ。三月の満月の日、夜明け前にはジブラルタル・ロックの月影が東北東に一キロメートル以上も延びる。
その影のなかに、『悪魔の塔』が建っていた。
砂浜の上に粗削りな石灰岩を乱暴に組み上げている。
砂の上に建っているので不安定になる。そこで、裾野が広い構造になっていた。
塔の高さは八メートルほどだったが、垂直なのは最後の二メートルだけで、それより下は徐々に傾斜している。
内部は恐らく二階建てになっていて、屋上が監視所だ。
暗がりの中で、そこまでは見て取れた。
「ここで、待機する、『ヤシノミ隊』にそのように言ってくれ」新藤小次郎がカレクトの王子、マーナに言った。マーナが自国の兵に伝える。カレクトの『ヤシノミ採り』出身の兵が顔を見合わせながらうなずいた。
彼らは軽装だった。腰に日本刀、そして片方の肩に鉤爪付きのロープの束を懸けている。
工事中の要塞を登攀するのが、彼らの仕事だ。
小次郎が日本人兵にも同じように待機を命じる。そして高山次郎五郎、二人の『ヤシノミ兵』を指名して、付いて来るように命じた。
小次郎と次郎五郎は忍者だった。小次郎が『第二軍』の隊長、次郎五郎が『副隊長』を務めている。
他の二名のカレクト人は、日本語をかなり理解していて、かつ登坂能力に優れている者を選抜した。
ジブラルタル・ロックの巨大な月影に沿って、四人が『悪魔の塔』に接近する。塔上には二人のスペイン兵が監視に立っていた。一人は北東、もう一人は南東の方を見ていたので、四人に気付かない。
昼間ならば、すこし振り向いただけで、砂浜に残る四人の足跡に気付くところだ。
小次郎が簡単な手話で、自分とカレクト人を指さし、さらに上を指した。次いで次郎五郎ともう一人のカレクト人を指さし、塔の西側に置かれた扉を指さす。
このあたりのことは、事前に打ち合わせてあるが、直前の確認は彼らの習慣になっている。
次郎五郎が頷き、二人で鉄枠が嵌められている扉の左右に立つ。扉は閉じられている。
そして、小次郎が塔の北西側から、もうひとりのカレクト人が南西側から登り始める。
粗く組まれた石灰岩は、いたるところに手掛かり、足掛かりの隙間があるので、地面付近を登るのは容易だった。
三月のジブラルタルの夜は、気温が十二度くらいまで下がる。肌寒さを感じていたが、塔の斜面を登り始めると、寒さを感じなくなる。両手で岩の隙間を探しながら上を目指す。
塔の頂上を目指す二人は、筋肉の発熱で、白い息を吐いていた。しかし、地上で扉を警戒する二人は立っているだけだ。しだいに寒さを感じてくる。
次郎五郎は日本育ちなので、これくらいの気温ならば苦にならない。
しかし、平均気温が二十七度にもなるカレクト(現コーリコード)から来た『ヤシノミ採り』には応える。
鼻から、水のようなものが垂れてくる。クシャミがしたくなった。ここで敵兵に気付かれるわけにはいかないことは彼も知っている。
しきりに上唇を舌で嘗める。クシャミを止めるおまじないだ。
これ以上は無理だ、というくらい唇を嘗めるが、さらに水っ洟が滴る。
もう、我慢ができない。
彼が静かに両膝を衝き、砂浜に顔を押し付けて、クシャミをする。
「ンッ、クション」
小さな音だった。しかし、近くに立つ次郎五郎にとっては、雷鳴が轟いたようだった。
「ん、あれはなんだ」その小さな音を塔上の監視兵が捉えた。南東側の兵だ。南西側に回って、胸壁の狭間から下を見下ろす。
目の前に、城壁に貼り付いたカレクト人の浅黒い顔、二つの白目が見えた。
「!」
そして、いろいろなことが立て続けに起きる。スペイン兵の右手に黒い影が飛び込んでくる。そして、次の瞬間に意識を失った。小次郎が塔の屋上に飛び込んできたのだった。フィレンツェの時と同じように、兵の喉を突き、失神させた。
次いで左に移動してもう一人の監視兵を倒そうとする。
しかし、手遅れだった。監視兵が右手に持った木槌で、塔上の鐘を連打する。兵は右手で槌を持ったのが失敗だった。利き手で剣を抜くことが出来ない。
小次郎が短剣を抜き、相手の右腋の下を突く。ここには装甲がない。相手がたまらずに、木槌を落とす。この兵も喉を突いて気絶させる。
わずか四回鳴っただけで鐘の音が止む。
階下に繋がる木蓋が音を立てて振動し、少し開いた。階下の兵が監視所の様子に気付いたのだ。小次郎が足を隙間に挿し込み、一気に木蓋を押し開け、そこに見えた頭を蹴り下げる。兵が叫びを上げ、梯子から転倒する音がした。
塔の一階の扉が開く。中の兵が城に知らせようとしたのか、松明を片手に持って出て来た。その兵は次郎五郎が始末して、後ろ手に縛り上げる。
塔の中の兵は四人だけらしい。上から小次郎とカレクト人が降りて来る。
「城に気付かれたようだ。火がいくつか動き始めた」小次郎が言う。
この火は城の火ではなく、その上の監視台の火だったが、小次郎たちの所から見た巨岩は闇に包まれていたので区別できない。
「そうか、では俺は兵達を呼んでくる」次郎五郎が言う。こういう場合についても考えてあった。
事は、時間との勝負になった。




