第二話:『「義」とは何にございますか、関帝様』
王都・『関帝廟』最奥・聖別されし寝所(夜)
紫煙と金箔が妖しく揺らめく、豪華絢爛たる神殿の最奥。
重厚な紫檀の天蓋付き寝台の上で、ひとりの巨漢が激しく汗を散らし、苦悶の声を漏らしていた。
赤銅色の肌、胸元まで届く見事な長髯。 武神にして商業の神——聖帝・関羽雲長。
その固く閉ざされた瞼の裏では、何百年経とうとも決して消えることのない「過去の業火」が猛威を振るっていた。
……麦城の包囲……血と鉄の臭い……! 敵の手におち、囚われ、打ち首とされる無念……!
夢の中で、血煙の向こうから懐かしい声が響く。
桃園で盃を交わした義兄・劉備玄徳と、義弟・張飛翼徳の姿。
『同じ年に、同じ月に、同じ日に死せんと願わん』——あの神聖なる誓い。
だが、夢は容赦なく彼を苛む。 彼が没したのち、彼らの夢であった『蜀漢帝国』が、わずか二代にしてあっけなく瓦解していく絶望の光景が広がる。
なぜだ……! なぜ我が『義』は成らなかった……!?
なぜ流された幾百万の血の果てに、ただ虚妄と滅びのみが残されたのだ……
「うぐっ……あ……ぁあ……っ!」
関羽の胸を打ちのめすのは、己の死の無念以上に、遺された国と民を守り切れなかったという重く切痛な『悔恨』であった。
……その寝台の傍ら。 暗がりの中にぽつんと佇み、可憐な指先から淡い紫色の霊気を手繰り寄せていたのは、元サキュバスのリリアであった。
(……ナカムラ様のおっしゃった通り……。どれほど巨大で尊大な神様になられても、この方のご魂の奥底には、癒えない傷と『義』への深い問いかけが眠っていらっしゃったのね……)
リリアの使った技は、人を破滅させる悪夢ではない。
かつてサキュバスとして培った『夢境誘導』の権能を応用し、ヒトシの依頼のもと、関羽が神となる以前に抱いていた**「生前の純粋なる志と悔恨」**を、そのまま鏡のように映し出したのだった。
「ぬ……ぐ……おおおっ……!?」
雷鳴のような叫びとともに、関羽ががばりと跳ね起きた。
その両目は血走り、凄まじい神威の波動が室内の調度品を激しく震わせる。
「夢……か……! 我をたぶらかすか……! 今さら我が心を揺さぶるのは何奴だ……っ!」
荒い息を吐き、額の汗を拭おうとした関羽の手が止まった。
寝所の闇の深みから、静かで、恐ろしいほど落ち着いた足音が近づいてきたからだ。
「お目覚めになられましたか、関帝様」
「……誰だ!?」
関羽の眼光が鋭く光る。
そこに立っていたのは、神威の威圧など初めから存在しないかのように佇む、シンプルなコート姿の男——ナカムラ・ヒトシであった。
「我が聖域の奥深くへ不法に侵入し、あのような悪夢を見せるとは……不届き者め! 何者だ!」
関羽がひとたび一喝すれば、並の精霊なら魂ごと粉砕されるほどの重圧が部屋を満たす。
だが、ヒトシは一切の顔色を変えず、静かに跪いた。
そして、ひざまずいた状態で、手を合わせて三回深くお辞儀をした。
「不躾な侵入をお許しください。神官庁特別査察部、ナカムラ・ヒトシと申します。……そして、記憶の喚起につきましては、私どもの捜査上の『特別措置』にございます」
関羽は礼にかなったヒトシの態度に感銘を受けたが、心は許していない。
「特別措置だと……? 戯言を! 我は聖帝・関雲長なり! 生前の無念をほじくり返し、我を愚弄しに来たというか!」
関羽が傍らの青龍偃月刀へ手を伸ばしかけた、
その時、「しばし、お時間を拝借します」
ヒトシは手帳から光ディスクを取り出すと、鑑識グラスの投影術式を起動させた。
空中へパッと広がったのは、昨夜『赤兎タワー』で繰り広げられた、あまりに醜悪な映像であった。
『……我が赤兎グループには、聖帝・関帝様のご加護がついている。我らの商いに立ち塞がる者は、関帝様の青龍刀によって叩き潰される不義の徒だ……』
董孫民会長の冷酷な嘲笑。
関帝の紋章から溢れ出る神威のオーラによって呼吸を奪われ、床に突っ伏して苦悶するアルテミシア小国の交渉官の姿が
映し出された。
そして、他国の物流を軍事演習で凍結させ、資源を不当に強奪しようとする莫大な裏帳簿のデータがスクロールした。
「な……何だ、この映像は……!?」
関羽の顔色が激変した。
「董孫民らは、我が忠実なる信者……! 我が威徳を世界に広め、不義なる者を正すために商いを行っておると言っておったはず……!」
「関帝様」
ヒトシの静かな声が、寝所に響き渡った。
「あなた様が加護を与えておられるのは『義』ではございません。
単なる**『強欲と不義』**です」
「な……何だと……!?」
「先ほど、あなた様が夢に見ておられた桃の園での誓い……。
そして、生涯をかけて貫かれた『清廉なる義』とは……このような弱者の首元に青龍刀を突きつけ、他国の生き血を吸い上げるための道具だったのですか?」
「うむ……!!」
関羽の巨躯が、まるで目に見えない雷に打たれたかのように激しく震えた。
ヒトシは一切の揺らぎのない眼差しで、言葉を重ねていく。
「あなた様ご本人は清廉潔白のつもりでおられたのでしょう。
ですが、あなた様が与えた神威は、人間界の公正な市場を破壊し、弱小国の人々を絶望へ追いやる『兵器』として悪用されております。
これは**『神律第12条・信者等監督責任不届き(管理怠慢)』、および『神律第28条・神威不当流用』**に明確に該当いたします」
「我が……我が与えた加護が……不義の刃となり、弱き者を痛めつけておったというのか……!?」
関羽は己の巨大な手を見つめ、絶句した。
胸の奥で、先ほどの悪夢が蘇る。
国を失い、民を守れなかったあの無念と絶望が、被害者たちの姿と重なり合っていく。
「おのれ……おのれ董孫民……っ! 我が名を騙り、我が加護を不義の道具におとしめておったかぁぁぁっ!!」
ズガアアアンッ!!
関羽の激怒の咆哮とともに、青龍偃月刀が床に叩きつけられた。
神殿全体が崩壊せんばかりに揺れ動き、黄金の霊気が渦を巻く。
だが、その怒りはヒトシへ向けられたものではなく、己の不徳と悪徳商人たちへの激憤であった。
関羽は青龍刀を握りしめたまま、その場に膝をつき、絞り出すような声で言った。
「……ナカムラ殿と言ったな。……面目次第もない。
我が目は、信者どもの甘言に眩み、真の不義を見抜けておらなんだ……」
ヒトシは静かに歩み寄ると、鞄から羊皮紙の行政指導書を取り出し、手帳を開いた。
「関帝様。本件において、あなた様ご本人の悪意は認められません。
よって『神律第12条』に基づき、逮捕処分は見送り、**『行政指導および改善命令』**を発出いたします」
「改善命令……とな?」
「はい。本日を以て、赤兎グループおよび不当威圧に関与した信者らへの神威・加護の即時全剥奪。
ならびに、今後の関帝廟における信者審査基準の厳格化を言い渡します。……よろしいですね?」
関羽は目を閉じ、深く、重々しく頷いた。
「異論などあるはずもない。……ナカムラ殿。
生前も死後も、我は『義』を追うあまり、足元におびき寄せられる蛇のような不義を見抜けなんだ。
……真の『義』のあり方を教えてくれたこと、心より感謝する」
関羽は立派な髭を蓄えた顔を上げ、ヒトシに深く頭を下げたのだった。
○ 翌朝・神官庁・長官執務室
「——以上が、本件の処理報告となります」
ヒトシは完成した調査報告書を、デスクの上へ静かに置いた。
アテナ長官は漆黒のローブの胸元を優しく撫で下ろし、心底満足そうに目を細めた。
「見事だわ、ヒトシくん。
赤兎グループの董孫民らは、加護を失った直後に我が神官庁の衛士隊と人間界の警察機構によって一網打尽にされたそうね。
アルテミシア小国への不当な脅迫も、すべて白紙撤回されたわ」
ニケがアテナの言葉を引き継ぐ。
「関帝様自ら、被害を受けた小国へ『清廉なる賠償』として、適正な交易支援の加護を約束されました。
これで国際市場の不当威圧も解決に向かうでしょう」
ニケもファイルにチェックを入れながら、感心したように呟く。
「武勇の神の怒りを買いかねない潜入捜査で、一枚の行政指導書で落とし尽くすとは……。
相変わらず見事な手際ですね、ナカムラ特別査察官」
「いえ、私ひとりの力ではありません」
ヒトシが振り返ると、部屋の入り口でリリアが嬉しそうに手を振っていた。
「リリアさんの『夢境誘導』によるご協力と、ヘパイストス課長の鑑識グラスがあったからこそ、関帝様ご本人の魂に『真実』を届けることができました」
「はい♡ ナカムラ様のお役に立てて、私、とっても幸せですわ! さあ、お約束の『温かい緑茶』を淹れに行きましょう!」
「ええ、喜んで」
ヒトシは生真面目に返事を返し、アテナ長官に深く一礼した。
「それでは長官、リリアさんとお茶の後、次の『現地調査』の準備に入ります」
アテナは紅茶のカップを傾け、軽やかに手を振り笑顔で彼を送り出した。
「行ってらっしゃい、ヒトシくん。我が特別査察部の切り札さん」
第四章「関羽検挙」 完
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【後書き:神官庁 特別査察部 事件処理完了報告】
■ 被疑神:聖帝・関羽雲長(関帝/武神・商業の神)
■ 処分結果:信者(赤兎グループ)による不当威圧および神威流用が確認されたため、神律に基づき『行政指導および改善命令』を発出。
【違反内容および適用法規】
・神律第12条『信者・眷属等監督責任不届き(管理怠慢)』
自らの加護を受けた信者組織の不当威圧・市場独占を放置した過失。
・神律第28条『神威不当流用および不公正取引禁止協定』
神の加護を人間界の不当威圧・人道侵害の兵器として悪用させた罪。
■ 改善措置:
悪徳商人(董孫民ら)への加護の即時全剥奪および法的な身柄拘束。
被害国への適正な交易支援と補償指導。
関帝廟における信者・加護審査基準の厳格化。




