第二話 あなたの職務は「人間を貧乏にすること」ではありません
第二話 『あなたの職務は「人間を貧乏にすること」ではありません』
「……確認が取れました。言質、確かに頂戴いたしました」
ヒトシは懐から小さな録音木札を取り出し、表面を軽く指で叩いた 。木札から、先ほどマレブランケが口にした音声が寸分違わず再生される 。
『〜新商品だの経営改善だのと増長するから、お仕置きが必要になる〜』
「な、なんだその術式は……!?」
ヒトシは、静かにコートの内ポケットから銀色の紋章が刻まれた手帳を取り出し、提示した 。
「神官庁 特別査察部 第一査察課・特別査察官、ナカムラ・ヒトシです 。
被疑神マレブランケ。神規違反および職権濫用の疑いで査察を行います」
「し、神官庁の査察官……!? バカな、なぜこんな場末のパン屋に!?」
「ヒ、ヒトシさん……あんた、一体……!?」
「アルファロさん、驚かせてすみません。公務でお邪魔しておりました」
ヒトシは鞄から分厚い『神規法令集』を取り出し、淡々とページをめくった 。
「『神官庁・貧乏神職務規程』第3条——『貧乏神は、担当区域における人間の自由意思による生活改善および困窮脱出の努力を、不当な神力行使によって阻害してはならない』
第4条『貧乏神は、不運や困窮の解除・緩和を条件として、人間に対し奉納金の増額や不当な契約を強要してはならない。
本条に違反した場合は不当搾取とみなし、直ちに検挙および神力凍結の対象とする 』、あなたの罪状は、これらの条文に該当します」
「ぐっ……! か、勘違いするな! わしはこの街に『貧乏』という秩序を与えているだけだ! 貧乏神が人間を困窮させて何が悪い!」
「いいえ」
ヒトシは静かに法令集を閉じ、まっすぐにマレブランケの目を見据えた 。
「あなたの職務は『人間を貧乏にすること』ではありません。『貧困という現象と地域の均衡を管理すること』です」
「な、なに……?」
「本来、貧乏神とは陰陽の均衡を保ち、人間の慢心を戒めるための存在 。しかしあなたは、自らの存在意義と奉納金を維持するために、人間が自力で立ち上がる芽を摘み、貧困を意図的に固定化させた 。これは明確な職務逸脱です」
マレブランケの顔が怒りと、どこか哀しい焦燥に歪んだ。
「だ、黙れ……! お前たち人間には分かるまい! 三百年だぞ……! 三百年、わしはこの街の貧しい者たちを見てきた! わしがいなくなってみろ、誰もわしの名を呼ばなくなる! 誰もわしに祈らなくなるのだぞ……!」
マレブランケは震える拳を握りしめた。
「人間が貧困から抜け出せば……わしという神は、忘れ去られて消えるしかないのだ! 奉納金のためだけではない……わしが神として存在する証が、失われてしまうのだよ……!」
彼の悲痛な叫びが厨房に響き渡った。
ヒトシは静かにその叫びを受け止め、マレブランケを見つめた。
「……マレブランケ様。お気持ちは分かりました。
ですが、その恐れから人間の自立を奪い、支配することは、神の果たすべき役割ではありません」
ヒトシは懐から神律裁判所の査察執行令状を提示した 。
「査察執行令状により、あなたの神力はすでに一時制限されています。……お連れしてください」
ヒトシがパチンと指を鳴らすと空間が揺らぎ、青い法衣を着た神律裁判所の衛士二名が姿を現した 。
「わ、わしの神力が……発動せん……!?」
令状には『対象神の神力を一時差し押さえる術式』が付随していた。
術式はヒトシが店内に入った時点で発動条件を満たし、令状を提示した今、その効力が確定していた。
マレブランケは狼狽しながらも抵抗しようとしたが、制限された神力では衛士の防護結界を破ることもできず、両脇を固定された 。
「は、離せ! わしは三百年この街を治めてきた神だぞ! 離せぇぇぇっ!!」
悲鳴とともに、マレブランケは空間の破れ目へと引きずり込まれ、消えていった 。
◇
静まり返った厨房で、アルファロはポカンとヒトシを見上げていた 。
ヒトシは手帳を開き、【被疑神:マレブランケ】の項目に横線を引く 。
「……ふう。失礼いたしました、アルファロさん」
ヒトシはいつもの穏やかな笑顔に戻った 。
「あ、あんた……本当に神様を捕まえちまったのか……?」
「仕事ですので。あ、それからこれ」
ヒトシは一枚の紙片を手渡した 。
「神官庁の『神律被害者救済制度』の申請書です 。ジャンさんの治療費と、壊された作業台の補償金が支給されます」
「え……補償金……!? 治療費まで……!?」
「さあ、アルファロさん。邪魔者は消えました。昼の開店に向けてパンを焼きましょう。……ジャンさんが回復するまで、私もお手伝いしますから」
アルファロの目から涙がこぼれ落ちた 。
「ありがとう……! よし、焼き直そう! 最高のパンを!」
◇
数ヶ月後。夕焼けに染まる王都の貧民街 。
『アルファロ・ブーランジュリー・パティスリー』の前には、香ばしいパンの匂いに惹かれた街の人々の温かい行列ができていた 。
ジャンも無事に復帰し、アルファロとともに笑顔で店を切り盛りしている 。
コートを着直し、鞄を抱えたヒトシが、二人に見送られて静かに店を後にした 。
死神に続き、貧乏神マレブランケもまた、己の存在理由を見失っていた 。
ヒトシは歩きながら、手帳のページをそっとめくる 。そこには、神官庁の最古の規定が印字されていた 。
【神は、人間のために存在する】
(……なぜ神々は自らの職務を忘れ、己の存続のために人間を利用するようになったのか)
ヒトシは手帳を静かに閉じ、懐へ収めた 。
「……まあ、考えるのは報告書を作成してからですね」
ナカムラ・ヒトシは帽子をかぶり直し、夕暮れの街へと静かに歩み去っていった 。
後書き
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【神官庁 特別査察部 事件処理完了報告】
■ 被疑神:マレブランケ(貧乏神)
■ 処分結果:神律裁判所の査察執行令状に基づき身柄を確保。即日送致完了。(『神律被害者救済制度』を被害店舗へ適用)
【本来の職務と今回の違反対比】
・本来の職務:
「貧困現象の均衡を管理し、人間の自発的な努力や助け合いを温かく見守ること」
・今回の違反行為(職務逸脱および過重奉納の強要):
人間の自立による自身の存在消滅を恐れ、職人に重傷を負わせるなどして人間が自力で立ち上がる機会を意図的に妨害。『不運』を自作自演して固定化し、不当な奉納金を強要した。
■ 適用法規・違反条項:
・『神官庁・貧乏神職務規程』第3条(生活改善・困窮脱出努力の阻害禁止)違反
・『神官庁・貧乏神職務規程』第4条(困窮解除を条件とする対価徴収の禁止)違反
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以下はこの物語の補足説明です。
神官庁:神々の職務を監督し、違反を調査する行政機関です。
世界各地(ギリシャ、北欧、東洋、エジプトなど)に存在する多種多様な神々、悪魔、怪異たちの不必要な衝突を防ぎ、人間界との共存と世界の調和を維持するために設立された超神格統制機関(いわば**「神界の国際連合」**)です。
特別査察部:ヒトシが所属する捜査部門。
神々の職務怠慢や神力乱用を「客観的証拠」で摘発します。
神律裁判所:神の職務違反を審理し、処分を決定する司法機関。
被疑神を神律に基づき裁くほか、神々の被害に遭った人間や店舗を救う**『神律被害者救済制度』**を管轄します。
三百年この街を支配してきた貧乏神マレブランケも無事に検挙完了いたしました!
次回、第三章の標的は毎夜人間に甘い夢を見せる「サキュバス(夢魔)」!
サキュバスが仕掛ける圧倒的な色気と胸キュン攻撃に対し、ナカムラ・ヒトシはどのような「神対応」と「行政指導」で立ち向かうのか……!?
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