第一話 アマテラスの予感
第六章 ヒトシ覚醒
第一話 アマテラスの予感
神官庁・最高評議会庭園の東屋
最高評議会を揺るがした激動の事件が収束し、神官庁には久方ぶりの穏やかな陽光が降り注いでいた。
美しく咲き誇る蓮を臨む東屋では、神官庁の頂点に立つ三神が、和やかにお茶を酌み交わしていた。
最高評議会議長・アマテラス(天照大神)。
神官庁長官・アテナ。
そして、神律裁判所長官・マアト。
アテナの傍らでは、漆黒のスーツを隙なく着こなした秘書官長ニケが、洗練された手つきで茶を注いでいる。アマテラスの後方にはアメノウズメが控え、マアトの側では司法秘書官が静かに主人たちの歓談を見守っていた。
「……ふう、久々に落ち着いてお茶をいただけますわね、アテナ長官、マアト裁判長」
アマテラスが上品に茶碗を手に取り、微笑んだ。
「ええ、アマテラス議長。大主神たちによる拒否権(Veto)の濫用、そしてロキ審問官の失脚……一時はどうなることかと思いましたが、三権の連携と新たな審問官制度の確立により、神官庁はようやく自浄作用を取り戻す第一歩を踏み出しました」
アテナが白磁の茶碗を口に運ぶ。
マアトも厳格な目元を和らげ、深く頷いた。
「神律裁判所としても、即時司法審査と事後審査の枠組みが機能したことを嬉しく思います。……ですが、危機を脱した今だからこそ、組織の正常化と今後の神官庁運営について、真剣に議論せねばなりません」
その言葉に、アマテラスとアテナも表情を引き締めた。
「ええ。第一に着手すべきは、私自身の役職についてです。
私はこれまで、神官庁長官でありながら、現場の実動部隊である特別査察部の部長を兼務してまいりました」
「大主神たちの圧力から査察部を守るための措置でしたね」とマアト。
「はい。ですが、行政の責任者である長官と、捜査・監査の現場を指揮する査察部長の兼務は、組織運営の面でも負担が大きすぎます。
今回の新体制発足を機に兼務を解消し、特別査察部の部長を専任で置きたいと考えております」
アマテラスは深く頷き、清らかな瞳をアテナに向けた。
「理にかなったご提案ですね。ですが、不当な圧力や誘惑に屈せず、現場を指揮できる高潔な神となると……アテナ長官、どなたか適任のお心当たりはおありですか?」
「ええ。実はお一人、この大役にふさわしいお方に、打診しておりますの」
アテナは微笑みをたたえ、堂々とその名を挙げた。
「古代イランで崇敬された、契約と誓約、そして光と正義に結びつく神――ミトラ様です」
「おお……! ミトラ殿ですか!」
マアトが感嘆の声をあげた。
「契約や誓約を守護し、それを破る者を罰する神。まさに、神律を執行する査察部の長にふさわしいお方ですね」
「はい」
アテナも頷いた。
「ミトラ様も、『神官庁の正義と人間界の平穏を守るためならば』と、前向きにお引き受けくださる意向を示しておられます。
いかなる大主神からの圧力にも屈せず、神律違反の有無を公正に調査してくださるでしょう。査察部の長として、これ以上の適任はいませんわ」
そのとき、二人の会話を聞いていたニケが静かに一礼した。
「アテナ長官。ミトラ様が査察部長に着任されるとなれば、人事手続きと組織改編の書類を速やかに整えます」
「ふふ、ええ、ニケ。あなたも査察部課長との兼務から外れることになりますわね。これまでの働きに感謝します」
「もったいないお言葉です、長官」
ニケは表情を崩さず、優雅に一礼した。
ひとしきり組織の展望が語られた後、アマテラスはふと遠い目をした。
「……それにしても、ナカムラ審問官の存在は、誠に異質で尊いものですね」
アマテラスの脳裏に浮かんだのは、神々のような派手な神力も持たず、万年筆と手帳を手に、どんな大主神の前でも生真面目に鑑識グラスを押し上げていた一人の人間の男の姿だった。
(ナカムラ・ヒトシ審問官……)
初代審問官に抜擢され、大主神バアルやロキの凄まじい神威を正面から浴びながらも、眉一つ動かさず、証拠と論理をもって対峙した男。
ただの優秀な人間として採用されたはずの公務員。
それなのに、彼が時折見せる気配には、世界のあらゆる神威さえ静かに受け止めてしまうような、異質な何かがあった。
アマテラスの胸の奥が、かすかにざわめいた。
(……なぜでしょう。あの者の傍にいると、まるで太古の昔……世界の始まりの光に包まれているかのような、懐かしくも切ない波動を感じる……)
「……アマテラス議長? どうなさいましたか?」
アテナの声に、アマテラスはハッと我に返った。
「いいえ……少し、気になる方のことを考えておりましたの」
微笑みを浮かべながら、アマテラスは庭園の向こうへ視線を向けた。
そこには、書類鞄を抱え、生真面目な足取りで庁舎を歩いていくヒトシの姿があった。
アマテラスは、その背中をしばらく見つめていた。
(第一話 完)




