第四話 三権の結集と、ロキの遠謀
神律最高評議会の議場は、重苦しい沈黙に包まれていた。
アマテラスが下した戦争否決の決定は、四柱の大主神が拒否権を発動したことで覆された。多数の意思は消され、戦争の承認だけが残ったのだ。
バアルは満足げに議場を見渡し、ペルンとマモンも勝利を確信したように顔を見合わせていた。ファナティコスは、これから始まる戦いを祝福するかのように両手を広げた。
そのとき、議場の大扉が開いた。
入ってきたのは、神官庁長官アテナ、総務課長ニケ、そして特別査察官ナカムラ・ヒトシだった。
アテナは議長席のアマテラスに一礼すると、四柱の大主神へ視線を向けた。
「議長。神官庁創設根本法第一条第三項に基づき、最高独立大権の発動を要請します」
議場がざわめいた。
バアルが眉をひそめる。
「最高独立大権だと?」
「現行の統治機構が正常に機能せず、神官庁の根本原則が脅かされた場合、議長は必要な措置を講じることができる。今回がその事態に該当することは、明白です」
アテナは一歩も引かなかった。
「提案するのは、審問官という特別職の新設です」
「審問官?」
マモンが鼻で笑った。
「聞いたこともない役職だ。そんなものを認めるわけにはいかんな」
「審問官は、神官庁の通常の指揮系統から独立し、特別な捜査・審問権を行使する職です。神律最高評議会の政治的圧力に左右されることなく、神律違反の疑いを調査する。その権限は、常任大主神の拒否権によって妨げられません」
アテナの言葉に、ペルンが机を叩いた。
「ふざけるな! そんな権限を持つ者が現れれば、我々の拒否権は形骸化する!」
「拒否権は、神官庁の根本原則を踏みにじるための権利ではありません」
アテナは静かに答えた。
「そのことは、あなた方自身が証明したはずです」
四柱の表情が険しくなった。
「この提案には、我々が拒否権を行使する!」
バアルの宣言に、ペルンも続いた。
「審問官の新設など、認めるものか!」
そのとき、議場の入口から別の声が響いた。
「その拒否権は、今回の提案には及びません」
入ってきたのは、神律裁判所長官にして最高裁判官、マアトだった。手には、彼女の象徴である天秤が握られている。
「神律裁判所大法廷は、今回の拒否権行使について緊急審査を行いました。多数決による否決を無効化し、評議会の自浄作用を失わせた行為は、神律法典に照らして看過できません」
マアトは天秤を掲げた。
「最高独立大権に基づく今回の措置は、評議会の通常の議決とは異なる、創設根本法上の手続きです。したがって、常任大主神の拒否権によって妨げることはできません」
「司法が政治に介入するというのか!」
ペルンが怒鳴った。
「違います。司法が法の逸脱を審査するのです」
マアトは四柱を見据えた。
「ただし、審問官の権限は無制限ではありません。審問官が行う強制捜査、証拠保全、尋問、審問その他の権限行使については、神律裁判所が事後審査を行います。違法または不当と認められた措置は、無効とし、必要な是正を命じます」
「つまり、審問官も法の下に置かれるということか」
関帝が確認するように尋ねた。
「そのとおりです。独立した捜査権を認めるからこそ、その行使を審査する独立した司法が必要なのです」
マアトは答えた。
「権力を分け、互いに監視する。それが今回の制度の根幹です」
関帝が立ち上がった。
「私は賛成する。神威を商売や権力闘争に利用する者を、これ以上放置するわけにはいかぬ」
アルテミスも続いた。
「証拠を調べることさえ拒む者たちに、戦争を決める資格があるとは思えないわ」
ゼウスが重々しくうなずき、地蔵菩薩と聖フランチェスコも賛意を示した。
そして、プロメテウスが口を開いた。
「忘れてはならない。神は人間の平和と繁栄のために存在する。神々の権威を守るために、人間を戦火に巻き込むなど本末転倒だ」
アマテラスは、議場を見渡した。
「神官庁創設根本法第一条第三項に基づき、最高独立大権を発動します。審問官を新設し、その初代審問官に、特別査察官ナカムラ・ヒトシを任命します」
議場にどよめきが広がった。
「審問官の捜査・審問権は、常任大主神の拒否権によって妨げられないものとします。ただし、その権限行使は神律裁判所の審査に服するものとします」
アマテラスは宣言を終えると、ヒトシへ向き直った。
「ナカムラ。あなたに任せます」
ヒトシは、しばらく言葉を失っていた。
バアルたちは、怒りを隠そうともせずヒトシをにらみつけている。自分たちの拒否権が、法と手続きによって封じられたことが、よほど腹に据えかねるらしい。
ヒトシは、その視線を受け止めた。
だが、彼の頭に浮かんでいたのは、別の問題だった。
「……あの、ちょっと待ってください」
ヒトシはアテナとアマテラスを交互に見た。
「私が、初代審問官ですか?」
「そうです」
アマテラスが答えた。
「聞いていませんよ! ニケさん、ご存知でしたか!?」
思わず声を上げたヒトシは、いつもの「課長」という呼び方さえ忘れていた。
ニケは、上品な微笑みを浮かべていた。
「いいえ。私も初耳です」
そう答える彼女の目は、少しも笑っていなかった。
アテナ、アマテラス、マアト。
三者が秘密裏に話を進めていたということらしい。
ヒトシは、深いため息をついた。
「……せめて、事前に説明していただきたかったですね」
アテナは、いつもの冷静な表情で答えた。
「あなたなら、引き受けてくれると思っていました」
「それは、信頼していただいているということでしょうか。それとも、断れない状況を作られたということでしょうか」
「両方です」
アテナは即答した。
ヒトシは、もう一度ため息をついた。
こうして神官庁の新たな職、審問官が誕生した。
だが、拒否権を封じられた四柱の大主神が、このまま黙っているはずもない。
そして、神々の権力闘争の裏では、ロキが次の一手を用意していた。
(第五章第四話 完)




