第七十九話
地球と異世界が融合して以降、人類には魔力親和性という才能の指標が追加されたわけだが、これに関してはあまりよく判っていないのが現状だ。
とにかく迷宮に入って魔物を倒すと「魔力を体内に取り込む」らしい。同じ魔物を倒しても人によって取り込める魔力の量や質が違うようだ。魔力の取り込みに優れていることを現在は便宜的に『魔力親和性が高い』と評している。
白澤香奈は中学のときの迷宮探索実習でそれなりに高い魔力親和性を示したようだが、当時は探索者になろうなんて思ってもいなかった。早坂透は魔力親和性があまりにも低く、とてもではないが探索者になれないとされたらしい。だから掃除屋をやっていたのだが、それはさておき。
この魔力親和性の他にも、人類に発現する才能があった。
いわゆる『異能力』である。
異世界においても稀にそういう才能を発現させる者はいたようで、現代の科学者や研究者の仮説によれば『取り込んだ魔力が異能の才を励起させるのではないか』とのこと。ようするに、元々そういう『異能』みたいな才能を持つ人類がいて、魔力を取り込むことによって才能が発現するのではないか、という話だ。
とすれば、世界が融合する以前からまことしやかに存在を仄めかされていた『超能力者』だの『霊能力者』だのは、魔力なしで――あるいはごく少ない魔力を取り込むことによって――『異能力』を発現させていた者なのではないか。
総数はかなり少ない。探索者をランダムに千人くらいピックアップすれば『異能力』を持つ者は十人程度だそうだ。単純計算で百人に一人の割合になるが、格別に強力な『異能力』を得られる者はさらに少なくなるはずだ。
ちなみに日本でトップレベルに知名度の高いアイドル探索者クラン『アンセム』のメンバーで『異能力』持ちは、治癒魔法使いの御堂アイリだけらしい。『異能力』よりも魔力親和性の方が探索者としての強さに直結するということだ。
渡部結城は『空間把握』の『異能力』を持っている。
魔力親和性は低め――とのこと。
戦闘能力には劣るが、パーティメンバーには欲しい人材。特に今回のように変異後の迷宮、未探索領域の多い迷宮、あるいは謎解き迷宮の探索には非常に有用で、かつ稀少性の高い人材だ。
実際、変異後のノウミダンジョン一階をざっと探索しただけでも結城の有用性は枚挙に暇がないほど発揮されていた。
逆に言えば、探索済みで安全確保が十分な領域を探索する場合には必要ない人材でもある。索敵もできるので積極的に魔物を狩りたい場合には役に立つが、結城自身は戦闘能力に欠けているのがネックになる。
ようするに、有用ではあるが使い所が限られている人物なのだ。
香奈たちが持っている情報としては、変異前のノウミダンジョンのマップ、それから『アンセム』が階層攻略をした際の中途半端に埋められた現状のマップがあり、そこに香奈たちが実際に歩いた迷宮の地図と、結城が『異能力』で得た情報を反映したマップ――この四種類がある。
これらのマップを相互に比較しながら、実際に歩いて確認した地図を埋めていくという作業が今回の探索目的だが、正直言って結城の『異能力』があまりにも有用すぎた。彼の能力は『地図作成』ではなく『空間把握』なので、迷宮内の魔物の位置や隠し扉の位置まで把握できるのだ。
そしておそらく……マッピングが完了した後は、また『あまり役に立たない』というカテゴリに戻ってしまうはずだ。
「まったく、ユーキサマサマだぜ。まさか一階の時点であんなに変異してるとは思ってなかったけどよ」
現在は二階の地図を埋めている最中である。
瀬野が言うように既存のノウミダンジョンからは一階時点でかなり変異しており、迷宮そのものが広くなっていた。出現する魔物のランクは既存のそれとあまり変化がなかったので、少しの呆気なさはあったが。
「うん。でも、今の僕だと『異能力』を使いっぱなしにはできないから、魔物の不意打ちには気をつけてね。五分に一回のペースで確認するけど」
微妙な表情で言って、結城は取りつけたイヤホンマイクを通じて大学のサークル室でバックアップをしている下谷となにか通信した。手に持っている端末をひっきりなしに確認しているのは、下谷が作成した『結城が把握している地図』の添削をしているのだろう。同時に実際歩いた道を確定情報として地図に書き込んでいるはずなので、バックアップも大変だ。
「って言っても、今のところ雑魚ばっかりだしな。俺と鳩羽先輩は十階まで到達したことがあるし、カナは七階まで行ってるんだろ? 高橋も前野も七階までか」
余裕だよ、と瀬野。
その態度は全くいいものではなかったが、二階の時点で気張りすぎても仕方がない気もした。こうして見慣れた石造りの迷宮を歩いている限り、ノウミダンジョンの変異が本格的になるのは十階層以降だろうと予想できる。スガイダンジョンも上層部では魔物の種類もあまり変化していなかったようだし。
調査が許可されている範囲で、どれくらい迷宮が広がっているのか、どれくらい隠し通路や隠し部屋が増えているのかが問題だ。
「向こうから魔物。たぶん爪蝙蝠が八体」
不意に結城が言って、背後側――つまり香奈がいる方向の通路を指差した。迷宮の壁や床や天井は薄く発光しているので三十メートルくらいまで見えるが、振り向いた瞬間にはまだなにも見えなかった。
が、結城の報告を疑うなんてことはしない。
三十メートル以上先の空間を認識していて、認識した魔物がこちらに向かって来るのも込みで報告してくれたのだ。
前衛とスイッチするか、そのまま対処するか。リーダーである鳩羽に視線を向けて確認する。首肯して「行け」と指を動かしたのを見て、香奈はショルダーポシェットから鎖鞭を取り出し、数歩分だけ前へ移動した。
ほとんど同時に暗がりに紛れる黒いコウモリが現れる。バレーボールよりは小さいが、テニスボールよりは大きいくらいのサイズ感。はっきり言って気持ち悪い。
「――ふっ!」
射程圏内へ入ってきた瞬間に、鞭のグリップを操る。香奈が使う鎖鞭の最大射程は三メートル二十センチ。パァン! という破裂音と共にコウモリが二体、砕けて迷宮の壁や床に散らばった。
そのまま八体、近づかせることなく撃破。振り返って結城が頷いたのを確認してから通路に転がる魔核を拾い集めた。
「相変わらず、すごい鞭さばき!」
ぴょこんと小さく跳ねて喜ぶ結城である。このランクの魔物であれば倒せて当然なので瀬野は白けた顔をしていたが、リーダーの鳩羽は満足そうだった。
「遠距離武器を選択する女性は割と多いが、鞭はかなり珍しい。一年前と比べたら、だいぶ上手くなったんじゃないか?」
「まあ……練習しましたから」
女性探索者の初心者が遠距離武器を選びがち、というのは傾向としてあるらしい。香奈だってゴブリンの頭を鈍器で叩き割ったり剣で首を斬ったりするのはちょっと抵抗があるなと思って鞭を選んだ。意味は判らないが、魔物は倒したら魔核を残して消えるくせに、返り血なんかは残ったままになるのだ。
魔物が弱いうちは適当に振っても倒せていたが、ちょっと強くなってくると倒せなくなって、きちんと鞭を操る必要があった。なんとなく選んだ武器だったけれど、今では割と気に入っている。
ただ……鎖鞭で敵を打ち据えている姿は、好きな人にはあんまり見られたくないかも知れない。ふとそんなことを思った。
別に、見せるつもりもないのだけれど。
◇◇◇
地下二階の探索が終わったあたりで、もう午後二時を回っていた。
丁寧にマッピングしながらの探索なので、これでもかなり早いはずだ。結城がいなければ五倍はかかっていてもおかしくない。
出現した魔物は情報通り、既存のノウミダンジョン上層の魔物と一致していた。隅から隅まで探索したおかげでかなりの数を倒したが、今のところイレギュラーはなし。拡張された通路には隠し扉がふたつほどあったが、なにか強力なアイテムが隠されているということはなかった。
「この調子だと四階まではキツいか。午後七時になった時点で引き返すか考えよう。あと一息で三階のマッピングが終わりそうならそのまま地図を埋めてしまう方がいいだろうが、まだ何時間もかかるようなら切り上げる。それでいいか?」
鳩羽が言って、全員が頷いた。
既存の構造と微妙に変わっている部分があったり、拡張された新規の範囲が多かったりして、結城とバックアップの下谷に負担が集中しているが、当の『異能力』使いは嫌がる素振りを見せていない。むしろやる気満々といったふうだ。
金が必要――みたいな話を、ぽつりと洩らしていたことがある。
どうして、という部分を香奈は突っ込んで訊かなかったし結城も言わなかったが、人それぞれ、いろいろあるのだろう。
まあ、とにかく歩き続けて現れた魔物を倒すだけの作業なので、香奈としては別に構わない。やる気というなら瀬野もやる気満々に見えたが、完璧な地図を作成して役所に提出することで探索者ランクを稼ぐ気でいるのだろうか。あるいはランクとは関わらない恩恵の方が目当てか……。
「――あれ? おかしいな。そこに広い空間があるはず……」
しばらく続く直線通路の途中で、ふと結城が言った。
前後左右を見回しても通路はただの直線で、結城が指差している方向には壁しかない。そして結城の発言を疑う者は、いなかった。
つまり、隠し通路や隠し部屋の類いだ。
結城のリアクションからすると、ちょっとした小部屋ではなさそう。
「渡部。その空間に魔物は?」
「いない……ですね。長方形の、縦長の部屋です。幅五メートル、奥行き十六メートルくらいかな。奥に箱状の物があります。マップだと、こんな感じですね」
鳩羽の問いに答えながら、結城が携帯端末の画面を示す。どれどれと覗き込んでみると、どうやら現在は外周を歩いていたようで、地図上では隠し部屋が外周の外にぴょこんと飛び出しているように見える。
「仕掛けは見当たらないな……?」
ふむ、と頷く鳩羽。香奈や他のメンバーもざっと周囲を確認してみるが、特におかしいところはなさそうだ。違和感もない。
「他の道はないの? 迂回路とか」
「あるならもう認識できてるから、少なくとも今はそこに道がないってことになるよ。僕からしても仕掛けとかなさそうに思えるんだけど……」
「こういうことじゃねぇか?」
ごく普通の口調で言って、瀬野が壁に手を突っ込んだ。
まるでそこに壁などないかのように――ではなく、実際にないのだ、壁が。
「あ――……っ!」
そういえば早坂透が転移罠を踏んだとき……まだ『現場ニキ』だの『トールニキ』だの呼ばれる前、スガイダンジョンで隠し部屋を見つけたときと同じだ。
アーカイブを見ていた香奈が気づかなかったのは間抜けとしか言いようがないが、すぐに気づいた瀬野は……やはり、早坂を強く意識しているのだろう。もしかすると何度も配信アーカイブを視聴していたのかも知れない。
「幻影壁か。そもそも仕掛けがない。というか、壁のように見せている仕掛けだ」
「ユーキ。確認するけど、向こうに魔物はいないんだな?」
「今はいない。奥に箱状のものがある」
「へっ! こんだけ判り難い隠し部屋だ。当たりの可能性があるな。鳩羽さん、もちろん行くよな?」
「……ああ。だが、いきなり奥に行くなよ。なにかの罠があるかも知れん。まずはカメラを突っ込んでみるか。異常ないようなら入ってみる」
ということでカメラ係の高橋が、幻影壁にカメラを突っ込んで中を確認することに。全世界に向けて配信しているわけではないが、映像自体はサークルの端末と繋がっているので、香奈たちの携帯端末で映像を確認することはできる。
中は、ただの空間だ。
迷宮の発光が届く範囲なので、部屋の奥に箱のようなものが置かれているのが確認できる。変異によって生まれた構造の範疇内なので、たぶん宝箱……もしくは罠。
「行こうぜ。まだ三階だ」
多少の罠なら食い破れる、ということだろう。瀬野の表情と口調は硬く、止めるのは難しそうだと思った。それでも止めた方がいいような気はしたが、止められるだけの理屈を用意できそうになかった。
安全が確保できていない以上、足を踏み入れるべきではない?
そんなことを言い出すなら探索者になんかなるべきじゃないはずだ。危険と安全のラインを自分たちで動かしながらリスクとリターンを考える……極大のリスクがあるならどんなリターンがあっても意味はないが、どういうリスクがあるのか判らないのだ。もしかすると、そんなものはないかも知れない。
「いや――行くのは俺と瀬野だけにしよう。高橋はそのままカメラを突っ込んでおいて、白澤たちは映像を確認。渡部は俺たちが入った瞬間から『異能力』を使って、なにかしらの変化が起きたら大声で知らせてくれ」
「りょ……了解です、会長」
「じゃあ行くか。いいな、瀬野」
「もちろんっすよ」
ニヤリ、と口角を持ち上げる瀬野恭平の表情を見てしまって、香奈は嫌な感覚を覚えた。やっぱり――と、思ったのだ。
早坂透はスガイダンジョンでのアクシデントを経て『聖剣』と『妖刀』を手に入れた。手に入れてしまった、というべきか。
彼が掃除屋として活動していたのはD級ダンジョンの上層で、かなり安全な場所だった。それこそ探索者ではない早坂であっても清掃活動ができるくらいに。
そんな場所の隠し通路を見つけて、あんなことになった。
だったら――自分だって。
瀬野恭平がどうしてそんなに早坂透へ対抗心みたいなものを抱いているのか、香奈にはまるで理解できない。お互い不干渉でいられる距離感のはずで、早坂自身は瀬野のことなんて年に一度だって思い出したりしないだろう。つき合っている頃だって、同じ高校に通っていたのに話題に出ることすらなかった。
二人が幻影壁を抜けて、隠し部屋へ。
携帯端末の映像を確認すれば、特に罠もなく、しっかりと周囲を警戒しながら鳩羽と瀬野が奥にある『箱』に近づいている。周囲に変化はない。
もしかしたら、ただのハズレの部屋なのかも――?
そう思った次の瞬間、隠し部屋の床が光った。迷宮構造体の自然発光とは違う、探索者が魔法を使うときに生じる魔力干渉の輝き。
「――魔物を感知! 転移罠だ! 向こうから転移して来るやつ! 会長! 瀬野くん! 転移が完了する前に逃げ――」
手遅れだった。
巨大な熊っぽい魔物に一撃食らった鳩羽が、その熊に襟首をひっ捕まえられて、ぽいっと投げられた。成人男性の質量が隠し部屋の入口である幻影壁に直進して来て、まだカメラを構えていた高橋に激突した。
ほとんど一瞬のことだったので判然としないが……たぶんB級のゴールドベア。十階層くらい下から転移して来たのかも知れない。
「うおおおおお――!」
瀬野の叫び声が響く。カメラはもう隠し部屋を映していないので、中は確認できない。香奈は咄嗟の判断で、吹っ飛ばされて高橋に激突した鳩羽を確認するが、ぱっと見た感じ派手な出血はない。首がへし折られているわけでもない。気を失ってはいるが、たぶん死んでない。今はまだ。
「前野さん! 会長をお願いします! 私は高橋さんを! 結城くんは状況を確認! バックアップの下谷さんに連絡を取って、外部に――」
「嘘っ! 倒した!?」
救助を、と言おうとしたところで、結城が素っ頓狂な声を上げた。
わけが判らない、という表情で固まっている結城のことは無視して、香奈は動いてくれなかった前野の代わりに、まず鳩羽の容態を確認した。呼吸はしている。ダメージの具合は判らないが、すぐにどうこうという状態ではなさそうだ。カメラ役の高橋が下敷きになっているが、呻き声が聞こえているので意識はあるようだ。
まず鳩羽の身体をお姫様抱っこの要領で抱き上げ、少し離れた位置の通路に降ろす。その間に高橋が「うぅん……」なんて声を洩らしながら身体を起こしたのを見て、次に動かなかった前野の視線が幻影壁に向かっているのに気づく。
折れた剣を手にした瀬野恭平が、幻影壁を抜けて、現れた。
手に持っているのは、彼が普段から使っていた幅広の片手半剣だ。刀は扱いが難しいが日本人は剣道に馴染みがあるということで柄が短い片手剣よりも片手半剣を好むらしいが……そんなことはどうでもいい。
なにか、変だ。
でも――なにが?
「マジびっくりした……ははは。おい、さっきのやつ、B級のゴールドベアだったぜ。こんな階層の罠じゃねぇよな。会長は無事か……?」
見れば瀬野の衣服は返り血塗れで、気分が高揚しているようだ。C級探索者である瀬野がどうやってゴールドベアを倒したのか。もしかすると死ぬ気になって倒したということもあるのかも知れないが……嫌な感じがする。
「い、生きてる……けど、瀬野くん……なにが起きたの……?」
ひどく怯えながら結城が指差したのは、自分の眼だ。
釣られるようにして香奈は瀬野の眼を見て――ぞくりと背筋を震わせた。
瀬野恭平の瞳が、金色に発光していたから。
身にまとっている魔力の質が、魔物に近い気がしたから。
肉体がぼこぼこと膨れ上がり、着ている衣服を突き破って膨張を始めたから。




