第七十八話
白澤香奈が大学で探索者サークルに入ろうと思ったのは、間違いなく早坂透の影響だ。端的に言えば『迷宮暴走』で家族を失ったせいで香奈と早坂透の関係は解消されてしまった。きっと自分以外にもいろんな人がいろんなところで様々なものを失ったし、きっとこれから失うことだろう。
そう思ってしまったら、なにもしないわけにはいかなくなった。
汚れきった部屋を掃除するとか、洗い物の溜まった流し台を片づけるとか、感覚的にはそういうのに近い気がする。やらないでいると気持ちが悪い。
これが我が身の全てを捧げなければ探索者になれない、というのであれば香奈はその選択をしなかっただろう。
でも現実は反対だった。探索者になって得られるものはとても多かった。金もそうだし、探索者としてのレベルを上げることで得られる力もそうだ。将来も有利になる。自己満足のついでに利が得られるのなら、やらない理由がなかった。
たとえば、基礎体力が向上したおかげで『調子の悪い日』が少なくなった。生理も軽くなったし、前日の食事によって肌体調が変わるようなこともなくなった。太りづらくなったし、逆に痩せ難くもなった。
ようするに――強くなったのだ、生物として。
でもそれが人間として間違いなく素晴らしいのかといえば、やや困る。香奈自身、以前より今の方が強くなったし多少はキレイになったと思うし、自信もついた気がするけれど――この自分を捨てれば三年前に戻してやると言われれば、迷わず捨てるだろう。そんなことを言ってくれるやつなんかいない、というだけで。
「ふぅ……」
そんなような胡乱なことを考えながら、あれこれと朝の準備を済ませる。今日のメンバーと大学のスケジュールを擦り合わせた結果、都合がいいことに朝から迷宮に潜れることになったのだ。
迷宮探索をするときは化粧少なめが基本。探索用の化粧品も売られているけれど、これは探索配信をする女性探索者の需要が高かったから、らしい。
香奈自身は探索配信に興味がないので迷宮内でおめかししたい気持ちはないが、仮に配信に映るのならできるだけキレイでいたいとは思うだろう。汗だくになってアイシャドウが垂れてしまった状態で配信に映りたい人は、たぶんいない。
そういう意味ではサークルで迷宮探索配信が禁止されていてよかった。探索配信が流行り始めた当時のサークル会長が「大学サークルの探索配信なんか、口を滑らすやつが絶対に出てくるから」という理由で禁じたらしい。やりたいならサークルを抜けて勝手にやってくれ、と。実に慧眼だと香奈は思う。
実際、力をつけてきたC級上位あたりの探索配信者がプチ炎上するのは日常茶飯事だ。彼らがなにかに所属していれば、もちろん巻き添えである。咄嗟に善意が出る人よりも悪意が出てしまう人の方が多いという、たぶんそれだけのことなのだろう。
ともあれ、ショルダーポーチ型の魔法鞄に――コンテナ十分の一の容量だが、かなりの金額だった――いつもの迷宮探索グッズが入っているのを確認し、家を出る。
大学に入ってから始めた一人暮らし。高校卒業前に取った運転免許。高校卒業のときに両親からプレゼントされた軽自動車。
誰がどう考えても幸福な、地方都市に住むただの大学二年生……。
――誰にだっていろいろあんだろ。
――他人の『いろいろ』を、いちいち慮ったりしないだけで。
そんなことを言っていた元カレも、やっぱり他人の『いろいろ』に対していちいち配慮したりはしなかった。いちいち配慮されたいと思っていなかったからだ。
香奈だって、そんなに親しくない人に格別の配慮なんてしない。
もしかすると、そうやって世の中は少しずつ軋んでいるのかも知れないけれど……それでも、だ。
◇◇◇
一度大学に集まってから、現サークル会長である鳩羽明彦のワゴン車に乗って、S市のノウミダンジョンへ。
通い慣れた道程であり、今回の探索メンバーもそれなりに慣れた組み合わせだ。
「さっき端末で確認したが、本当にサークルクランのノウミダンジョン探索に許可が出ていたな。恭平のコネも大したもんだ」
運転しながら軽い調子で言う鳩羽に、瀬野恭平は「へへっ」と得意気に頷いた。立場や年齢や実力が上の人に対してはきっちり下手に出られるあたり、体育会系というか、縦社会に向いているのだろう。下に対して強く出られるのも含めて。
「実際のところ、信用できるやつらにさっさと調査をして欲しいってのが本音だと思うっすよ。なんか迷宮庁から偉いさんが来てるらしいんすけど、とにかくノウミダンジョンもスガイダンジョンも調査をしなきゃ話にならないだろうし」
「上層から順次開放していって、県外の探索者を受け入れていくって感じになるだろうな。例の『トールニキ』の配信を見た限り、スガイダンジョンなんか上位探索者が喜んでレベル上げに来るだろうしな」
「……あんな突っ走って階層下っていくのは、まともな探索者じゃねーすけどね」
「そりゃあ違いない」
不満げな瀬野に、鳩羽は小さく笑ってハンドルを切った。
大学からノウミダンジョンまで、市は跨ぐけれどそれほど離れていないので、世間話をしていればすぐに到着してしまう。ただし周辺の景色は、香奈たちが知っているそれとはまるで異なっていたが。
まず、ダンジョン入口から周囲一帯が更地と化していた。すぐ近くにあった迷宮支所は影も形もなくなっている。まるでショッピングモールの開発予定地……いや、もう少し荒れた状態だろうか。
カミオカダンジョン消失に伴って出現したヒドラが暴れたせいだ。
香奈はリアルタイムで『アンセム』の配信を見ていたから、あのときの絶望感は画面越しとはいえよく知っている。
あのままヒドラが暴れていたら、おそらく『連鎖迷宮暴走』以来の大被害になっていたのではないか。
それを『妖刀使い』トールが――早坂透がぶっ飛んで来て、ぶった斬った。
功績を考えるならS市民の全員が拍手喝采して感謝感激すべき事象のはずだが、そうはなっていないようだ。ネットニュースやSNSでは大バズりしていたけれど、テレビ番組での扱いはかなり小さく、今回の『迷宮暴走』に関する公式発表もまだない。そのことをどう捉えるべきか、香奈自身にもよく判らなかった。
とにかく――できることをする。
更地というか荒れ地の端にワゴン車を停め、各自がそれぞれの確認を済ませる。荷物、装備、コンディション、そして今回の探索に際しての目標設定。ここまで行ったら戻る。これがあったら引き返す。ここまでは許容する……基本的には安全第一。確保した安全マージンの中で探索者はアドリブを利かせるのだ。
「とりあえず、四階までは変異前のノウミダンジョンと出現モンスターの情報は一致している。この情報が正しければ、俺たちなら安全圏内だ。今回の探索は情報収集が目的になる。配信は当然しないが、カメラを回すから迂闊な発言は慎むように」
鳩羽が言って、全員を見回した。
誰もが静かに首肯を返す。香奈もそうした。それから、瀬野が結城の肩を叩いてニヤリと笑った。
「いいか、ユーキ。今回はおまえの活躍に期待してるぞ。バックアップの下谷センパイと連携して、完璧なマッピングを頼むぜ」
「もちろん。今回は僕の分配を増やしてくれるんだし、ガチで行くよ。先輩との連携も、既に取ってる。中継器は『アンセム』が設置済みなんだよね?」
「ああ。『アンセム』が何階まで潜ったのかは知らないが、中層より下には行ったってことらしいから、十二から十五くらいは行ったんじゃねぇかな。マッピングはまだのはずだ。まあ、そもそも俺らはそこまで行けないけどな」
という瀬野の口調には、嘘や企みが含まれているようには聞こえなかった。四層より下に降りるつもりはないのだろう。香奈よりもずっと真剣に探索者として取り組んできたのだから、そのあたりを間違うほど判断力が鈍っていない……はずだ。
瀬野恭平をあまり信頼できないのは、人間性の問題もあるが――彼が早坂への対抗意識を燃やしているように見えるからだ。
中学のときに鼻を折られて以降は直接の関わりはなかったはずだが、同じ高校に進学してからも瀬野は早坂を気にしていたように見えた。
プライドなのか、別のナニカなのか――香奈には判らない。
同じサークルメンバーではあるが、つき合いは表面的なものだ。渡部結城の方が、香奈としてはずっと親しくしていると思う。
それほど仲の良くない他人と行動することだってある。
探索者としての瀬野恭平であれば、我慢できない範囲じゃない。
とりあえず、今のところは。
「よし。それじゃあカメラは高橋、マッピングは渡部とバックアップの下谷。フォワードは俺と瀬野。リアガードが白澤と前野だ。一階層から時間をかけて、丁寧にマッピングしていくぞ。いいな?」
メンバーをぐるりと一瞥し、鳩羽が言う。
瀬野が大声で「了解!」と返し、香奈たちもそれに続いて頷いた。
……正直に言えば、別に嫌な予感とか、そういうものはなかった。
そんなものは三年前にもなかったのだから当然だけれど。
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モです(挨拶)。
今回はいつもより短いので、明日もちょい短い一話を投稿します。




