第七十六話
白澤香奈が所属している探索者サークルのメンバーはかなり多い。
それだけ『探索者』という職業が現代においては人気なのだろう、と思う。
前世紀末に世界が融合してから『連鎖迷宮暴走』の時代を経て、世界に迷宮と探索者が浸透して、いつしか迷宮産出物を利用した産業が本格的に動き出し、探索者という職業の需要が跳ね上がった。
昔の終身雇用と違って探索者というものは引退した後の職に困らないのが、人気の要因だろう。身体能力の向上を考えれば肉体労働には持ってこいだろうし、体力的に常人よりはるかに丈夫になるので、ある種の激務も問題ない。B級以上の探索者になれば、特例で警察学校に入学して犯罪探索者対策課への進路が開かれる。他にも枚挙に暇がないほどに探索者は優遇されるし、有利だ。
中学の頃に魔力親和性を見出された者は、程度の差はあれど『迷宮』に入ることが多い。一般人からD級探索者になるだけでも大違いなのだ。よっぽど魔物が怖いというのでなければ迷宮に入らない理由がない、と香奈は思う。
「ね、ね、白澤さん。今日の配信見た? 凄かったね」
サークル棟の部室には入らず、近くのベンチでぼんやりと時間を潰している香奈に、頬を赤らめた渡部結城が声をかけてきた。
ふわりと微笑んで香奈の隣に腰を下ろす結城は、見た目だけだと男女の別がつかない。身体も四肢も細く、中性的な美人で、服装もユニセックスなものが多いし、なにより男性が女性に向けがちな無意識の性欲みたいなものが全くない。逆に女性が男性を値踏みするときに漂わせる厭らしさみたいなものも、彼にはない。
「うん、見たよ。本当に凄かったね」
はぁ、と曖昧な吐息を洩らしてしまう。
言うまでもなく『トールニキ』こと早坂透の迷宮探索配信だ。先日、偶然再会したところを結城に目撃されてしまって、同級生だったことは話してしまった。彼氏彼女だったことは言っていないが、その気になれば調べられるだろう。当時は隠してつき合っていたわけではないのだから。
「あの人、白澤さんの同級生だったってことは……瀬野くんの同級生でもあったんだよね? なんか、対抗心すごい感じだったよ」
「あー……そうなんだ?」
瀬野恭平とは、先日のデパートには結局来なかったサークルメンバーで、中学高校が同じだった同級生である。
いかにも調子に乗りやすい陽キャ、と言い切ってしまうのは少し傲慢な気もするけれど、表面的にはそういう人物だ。ものすごい悪人というわけではないし仲間内には優しいのだが、見下している他人に対して驚くほど加虐的になることがある。
中学のとき早坂透に鼻を折られてからは露骨に他人をいじめたりしなくなったが、自分と他人を比べて上下をつけたがる性根はあまり変わらなかったのだろう。まあ、もしかするとそれは人間の本能的な性分なのかも知れないが。
「でも、あの配信を見て対抗心っていうのも凄いよね。だって、あんなの『アンセム』だって無理でしょ。S級のイルセリアを加えてもあんなデタラメなダンジョンアタックは成立しないよ。スガイダンジョンも凄いダンジョンになってたし……あっ、これはギャグじゃないよ。ギャグじゃない」
「ちょー面白いよ。続けて続けて」
「んぐぅ。……白澤さんって、たまにちょっと辛辣だよね」
そのくらいの方がいいけどね、と結城。
たぶん元彼のせいだろうな、と香奈は内心で嘆息した。
「でも、あれだけの魔物を倒した魔核って、どのくらいになるんだろう? 僕も、もっと魔力親和性が高かったらよかったんだけどね」
ははは……と苦笑する結城だったが、香奈は同情してやれなかった。
だって早坂透は魔力親和性なんて皆無に近かったのだ。探索者になることもできず、掃除屋をやっていたのはそれが理由だ。
人には人それぞれの事情がある。
あっちとこっちを比べて、あっちの方が辛いはずだからおまえは我慢するべきだ、みたいなことを言い出すと、世界はどんどん生き難くなるだろう。
早坂透にも事情があったのだろうし、渡部結城にだって事情がある。そういうことだ。たいして事情のない香奈からは言えることなんてなにもない。
「まあ、自分にできる範囲のことをするしかないよ。探索者の鉄則でしょ?」
「『あと少しは赤信号』だよね。うん、それは、僕も判ってる。それはそれとして、白澤さんは、えっと……例の人とは、連絡取り合ってないの?」
「うん。邪魔したくないから」
「邪魔……なのかなぁ?」
「あれだけのことをできる人たちなんだから、昔の知り合いがつきまとってきたら、それは邪魔でしょ。つき合いが続いてたならともかく、今更は、ね」
いざ自分で口にしてみると、それは非常に残念な事実だった。
けれども、だからといってまた早坂透と縁を結びたいかといえば……いや、結び直したい気持ちはあるが……そうすべきではない、という理性が働いてしまう。
そういう浅ましい女を、早坂は好きになってくれないだろう。
とはいえ、別れて三年経ってなお心の真ん中に元彼の席を置いてあるなんて、それこそ浅ましいのかも知れないが。
「あっ、そういえば、瀬野くんが部室でなんか話してたよ。もしかしたらノウミダンジョンに入れるかも、みたいな」
物憂げになってしまった香奈を気遣ってか、結城が話題を変えてくれた。
「ノウミダンジョンって、まだ一般探索者には開放されてないよね?」
例の『迷宮暴走』では被害者こそ出なかったらしいが、ノウミダンジョンもスガイダンジョンも、迷宮支所や駐車場なんかは潰されてしまっている。どちらも変異しているので、調査が進むまでは探索できないはずだ。
「そのはずだけど……ほら、瀬野くんって、市議会議員の親戚だって自慢してたよね。市役所にも親戚がいるって言ってたから、コネでどうにかしたのかも」
「それ、コネでどうにかしていいものなの?」
訝ってしまうが、結城は曖昧な苦笑を洩らして首を横に振った。美人なのでそういう仕草が抜群に似合っているのがなんだか皮肉だ。
たぶん、当人は自分の美貌をあまり好んでいない。容姿に対してあれこれ言われている場面を何度か見たことがあるけれど、常に曖昧な苦笑を浮かべていた。
香奈自身は結城の容姿に思うところはないので、だからこそ結城は香奈に話しかけてくるのだろう。数少ない友人、ということだ。
「使えるなら使う、っていうだけなんじゃないかな。あっ、なんか部室の方から誰か来るね。呼びに来たのかな?」
言われて廊下の向こうを見れば、サークルのメンバーが香奈と結城に手を振っている。呼ばれてしまっては行かないわけにもいかないので、ひとまず胸中で溜息を吐いてから、立ち上がった。
◇◇◇
「ある情報筋から聞いたところによると、ノウミダンジョンはもう『アンセム』が中層くらいまでは調査したって話だ。ってことは、上層までならそう危険もない。そんでもって変異後のダンジョンだから既存の地図との整合性が取れない可能性がある」
部室の真ん中で自慢げに語る瀬野恭平は、入室した香奈と結城を確認すると、待ってましたとばかりに笑みを浮かべた。
彼のそういう……なんというか、わざとらしく周囲へ見せつけるようなリアクションが、香奈は少し苦手だった。一挙手一投足が『自分の立ち位置』を上げるための布石みたいな感じがする。早坂透なら「猿山の猿」とでも評しただろうか。
ようするに、コミュニティの中での地位を気にするタイプの男なのだ。
別にそれが悪いことだとは思わない。多かれ少なかれ、人は所属している場所での立ち位置を気にするからだ。香奈だって例外ではない。探索者サークルでは『あまり目立たないが活動には前向き』くらいのポジションを意識しているし、まあまあ上手くやれているとも思う。
「来たな、カナにユーキ。今回はユーキの『異能力』が絶対に必要だ」
途中から入って来た香奈たちに改まった説明をすることなく、瀬野は言う。
「えっと……どういう話になってるのかな?」
苦笑しながら首を傾げる結城に、瀬野は嘲るように「はっ」と息を吐いてから、部室内のサークルメンバーを眺め回した。
こいつらはなにも判っていないけど俺がきちんと導いてやるよ――というような雰囲気。一部のサークルメンバーは呆れたふうな反応をしたが、また別の一部は興味深そうにことの成り行きを眺めている。
中学や高校の部活動とは違い、大学の探索者サークルはメンバー全員で同じ目標に向かって頑張ろう、みたいな場所ではない。在籍しておくことで迷宮探索を有利にできるという明確なメリットがあるのだ。
たとえば、パーティーメンバー。
単に探索者免許を取っただけの個人が効率的に迷宮探索するのはそれなりに難しいのだ。ソロでダンジョンアタックするより、パーティーを組んで潜る方がはるかに効率がいいし危険度も下がる。
そして、別に一流の探索者なんて目指さなくてもいい。できる範囲で魔物を狩り、魔核を集め、たまにレアドロップを手に入れる。在学中にC級探索者にでもなれれば将来の見通しはぐっと明るくなるし、そもそも魔核による収入が莫迦にならない。
かくいう香奈だって、アルバイトをしなくても好きな衣服を買って、財布の中身を気にせず外食ができるくらいの収入がある。
別に、それが目的でダンジョンに入っているわけではないけれど。
「デパートの買い出しはドタキャンしちまって悪かったな。役所の知り合いと話をつけてきたんだ。ノウミダンジョンの上層に、調査名目で入る許可をもらった」
すげぇ手柄だろ、という態度を隠しもしないのは、見ていて少し痛々しかった。コネというものは自慢するよりさらりと見せつけた方が凄そうに見えると思うのだが、瀬野恭平は自慢するのを抑えられないタイプなのだ。
……こういうふうに他人を見てしまうのは、ちょっと性格が悪いな、と香奈は苦笑してしまいそうになる。
けれど早坂透が鼻で笑いそうなものに対してちょっと偏見を持ってしまうのは、香奈自身にもどうしようもない、思考のくせみたいなものだ。
もちろん、瀬野恭平が探索者として成り上がろうとしている気持ちも判る。
それは理解できるというより、そうなのだろうな、という想像ではあるが、それでも彼が探索者免許を取ってから、かなり真面目に迷宮探索を繰り返していたのは確かだ。今ではC級上位の探索者で、サークル内でも指折りの実力者になっている。探索者としては香奈よりもずっと真剣だ。
「ああ……変異してる迷宮だから、僕の『異能力』を役に立てる、ってこと?」
「そういうこと。隠し通路とか、あるかも知れないだろ。それに名目上は調査なんだから、詳細なマップを作るに越したことはないぜ」
「……分配、割り増しにしてくれるなら、行くよ」
きゅっ、と結城の表情が引き締まる。
瀬野はそんな結城に、ニヤリと口角を上げて頷いた。
「そいつぁモチのロン。バックアップに手ぇ上げるやつはいるか? おっ、下谷センパイが早かったっすね。ユーキの端末とリンクしてマッピング、お願いしますよ。探索メンバーはもちろん俺と、ユーキと、鳩羽会長もお願いしていいすか? それと、白澤もだ。なるべくガチで行きてぇからな。他には――」
上機嫌に音頭を取る瀬野恭平に、わざわざ反対する者はいなかった。
許可が取れているのなら問題はないし、変異迷宮とはいえ『アンセム』が調査済み、さらに上層の探索であれば、どうしても拒否するほどでもない。
少し考えてから、香奈は挙手して言う。
「瀬野くん、知り合いの情報筋から『アンセム』の調査データも受け取れる? あんまり情報はないだろうけど、さすがに魔物のランクくらいは把握しておかないと」
「ああ、問題ないぜ。今日の夜にでも連絡して、明日の朝にはデータ参照できるように段取りつけておく」
自信満々に首肯する瀬野に、胸の奥で少しだけ不安のようなものを感じてしまう。上層から下に行こうとか言い出したら絶対に拒否しよう、と香奈はこっそり決意しておいたが、杞憂であればそれでいい。
それから、メンバーの明日の予定を調整し、部長や他の同行者が『情報筋』について瀬野に聞いたり、ノウミダンジョンの迷宮支所はどうなるのか、みたいな話に移った。今回は特別に、ということだが、普通に探索できるようになるならそれに越したことはない。
たぶん、一般探索者がスガイダンジョンやノウミダンジョンに入れるようになるまでは、そう長く待つ必要はないはずだ。
何故ならば――ダンジョンの魔物を放っておくと『迷宮暴走』の確率が上がってしまう。市としても迷宮庁としても、早く一般探索者に開放したいはずだ。
「任せてくださいよ。っつっても、今回はユーキの仕事がデカいっすけど、調査に協力すれば実績になるし、探索者ランクの査定にも有利になりますよ」
サークルメンバーと談笑する瀬野は、当たり前だが中学高校のときよりも成長しているのだろう。中学の頃だったら、ここでもっと調子に乗っていたと思う。
文字通り、誰かさんに鼻を折られるまで――瀬野恭平は、もっとずっと厭なやつだった。今も別に好きではないが、大人になったのは確かなことだ。
横を見れば、渡部結城が決意を込めた顔で「むんっ」と息を吐いている。
細かい事情までは聞いていないけれど、どうやら結城にはお金が必要らしい。お金か、あるいは迷宮で得られるレアドロップが。
人にはそれぞれ事情があり、理由があり、動機がある。
白澤香奈も――『迷宮暴走』抑止に、ほんのわずかでも貢献したい。
言うまでもなく、自己満足だ。
でもきっと、早坂透ならこんなふうに言うだろう。
――自分を満足させてなにが悪い?
思い出の中で皮肉っぽく笑う元彼を思い出し、やっぱり香奈は苦笑してしまう。
この前お別れできたと思ったのに、全然忘れられないんだ、と。




