第七十五話
「おい、悪いがギアドルのやつにちいっとだけ回復魔法をかけさせるように伝えてくれ。バルガスと一緒に『誓約』させて、俺が仲間のところに連れて行く」
微妙な顔をして言うルガルドに、トールは少しだけ眉を上げてしまった。
回復魔法を使えるのはティアの方だ。なんで俺に言うんだよ、と思ったのが眉の角度に表れたのだ。
が、ルガルドはそんなトールへ呆れたふうな苦笑を見せ、肩を竦める。
「その聖剣使いに俺がお願いしたところで仕方ねぇだろ。トール、おまえが頼んでくれ。ちょいと喋れるくらいでいいぞ」
「あー……まあ、いいけど。聞こえてただろ。やってくれ」
雑に頷き、振り向いてティアに雑な指示を出す。
聖剣使いの少女はいつの間にか普段着に戻っていて、トールのいいかげんな指示に対し、普通に頷いた。
「うん、いいよ。ルガルドもありがとね」
軽い返事と同時に、ぺいっ、と魔法的なナニカが撲殺死体三歩手前くらいの魔族に投げつけられた。丸めたティッシュをゴミ箱に投げるくらいのノリだったが、それが回復魔法だったようで、三歩手前だったのが十歩手前くらいまで治っていた。
「おい、ギアドル。話が聞こえてたかどうかは知らんが、同じ魔族のよしみだ。バルガスと一緒に助けてやる。『ルガルドから逃げない。ルガルドに危害を加えない。人族の社会に迷惑をかけない』……誓えるか? 誓えなきゃ、殺してやるけど」
二人の魔族の近くでヤンキー座りをして、かなりぞんざいに話しかけるルガルドである。態度は悪いが、悪いやつではないのだろう。そもそも態度に関してはトールに言えた義理ではない。
「……判った。誓う」
と、ギアドルとかいう魔族が頷き、バルガスも同様に頷いて『契約』が成立したようだった。ひとまずは、これで一区切りだ。
はぁ、と息を吐いてトールは担いでいた木刀を魔法鞄に放り込む。怪我人の脚だの腹だのを殴打して楽しいわけもないのだが、我ながらこういうときに躊躇をしないのが、やっぱり社会性のなさなんだろうな、と思う。
「身内が迷惑をかけた……と、一応言っておく。あんまり身内って感じじゃねぇけど、人族からしたら一緒だろ」
立ち上がったルガルドが、トールにぺこりと頭を下げた。
人間姿でオールバックにしているとインテリっぽい印象があるので、そういうやつに頭を下げられるとトールとしては少し気恥ずかしくなる。
「いや、こっちが礼を言う方だろ。引き受けてくれて助かった。相馬さんもだな。家と隣人を守ってくれて……あー……ありがとうございます」
「構わん。いずれにせよ魔族の情報は欲しかった。ルガルド、この間は悪かったな。おまえ自身は社会に迷惑をかけるタイプじゃなさそうだ。協力できることがあれば手を貸す。連絡先を交換しよう」
淡々と言葉を紡ぐ相馬賢吾である。トールとルガルドは一瞬だけ目を合わせて、同じタイミングで苦笑してしまった。
「ああ、こないだのことは、別にいい。怪我は聖剣使いが治してくれたし、あんたも仕事だったんだろ。恨んじゃいねぇよ。『誓約』まではする気はないが、こっちからもソーマを頼ることがあるかも知れん」
「可能であれば手を貸そう」
と、二人がポケットから携帯端末を取り出して連絡先を交換しているのを尻目に、少しだけ離れた位置にいる舞阪理沙に視線を向ける。
目が合った瞬間、むすっと不機嫌そうな顔をされてしまったが、どういうわけかその不機嫌はクロだな、と判った。少しの時間しか共有していなかったが、それでも、この嘘発見器が普通の感性を捨てていないことは、なんとなく判る。
「あー……舞阪さんも、ついでに手ぇ貸してくれて、助かったっす」
「まあ、別にいいわよ。あんたの言う通りついでだし。ぶっちゃけ、相馬といるより楽しかったしね。人と一緒にデパートで買い物とか……もう、ずいぶん行ってなかった。悪くなかったわよ」
「シロっすか」
「あたしのパンツの色よ」
「…………」
顔を赤くしてドヤ顔をする歳上の女に、トールはかける言葉を持っていなかった。なんでいきなり下ネタで笑いをとろうとするんだよ、とは思ったが。
「なんか言いなさいよ」
「……あー……すげー面白いっすわ。ははは。爆笑必至」
「おいコラちゃんとこっち見ろ早坂」
「なんで下ネタなんすか。あとちょっと照れんなよ」
「おまえは面白いな」
ふと、ハンチング帽のつばを指先でなぞりながら、相馬が小さく笑った。注意して見ていないと見逃すくらい、本当にわずかだけ。
トールとしてはやや不本意だったので、雑に肩を竦めるしかない。
「ともあれ、舞阪の護衛、ご苦労だった。またなにかあったら連絡しろ。ルガルドもな。できる範囲であれば手を貸してやる」
「あー……いや、こちらこそ。でも、なんで相馬さん、そんな協力的なんすか? あれやこれや忙しいんじゃねーのって気がするんすけど」
首を傾げてみれば、ルガルドも同じような疑問を持っていたらしく、トールとは反対方向に首を曲げていた。
相馬はやや呆れたふうにトールとルガルドを交互に眺め、溜息を吐いた。
「おまえらは、現時点で最重要人物だ。ルガルドの方は魔族の仲間がいるのだろうが、早坂にはいないだろう。おまえを社会から孤立させようとしたギルゲイルの策は、まずまずの妙手だ。俺としては――早坂透、おまえに『人の社会なんか知ったことか』と思って欲しくない。町を丸ごと切り刻まれては堪らんからな」
「そんなことするつもりねーすけど」
「今は、な。せいぜい周囲のやつらを大切にしろ」
真顔で、真面目な言い方だった。
だからトールは混ぜっ返すことなく普通に頷き、それから、訊いてみる。
「相馬さんには……いるんすか? 自分の身の回りの、大事にしたいやつ」
「俺にはいない」
即答だった。
深刻そうでもなく、戯けるわけでもなく、ただそうなのだという態度。
だとすれば、どうして相馬賢吾は人の社会秩序を維持したがっているのか。いや、トールだってなにもかも失ったとしても世界を滅ぼそうなんて思わないが――実際、別に思わなかった――それでも、公共の福祉に目覚めたわけではない。
スガイダンジョンで掃除屋をやっていたのは、自己満足だ。
間違っても見知らぬ誰かを笑顔にしたかったという理由じゃない。
自己満足のついでに社会貢献ができるのだから、この自己満足に文句を言われる筋合いはないはずだ、という理論武装はあったかも知れないが。
相馬は小さく肩を竦めてから、周囲をぐるりと見回した。なんてことのない、トールの家の近くの住宅街だ。地面に魔族が二人転がっていて、探索者や魔族や聖剣使いがいなければ、ただの地方都市のありふれた風景である。
それから、『狩人』の探索者は、言った。
「俺にはいないが、他のやつらにはいるかも知れん。大抵のやつにはいるだろう。それがクソみたいなやつに奪われて、自棄になった誰かがまた別の誰かのなにかを奪う。狂おしいほどにくだらないサイクルだ」
「……だから『狩人』なんかやってる?」
「他にやりたいこともないからな」
言って、別れの挨拶もなしに歩き始める相馬。舞阪が仕方なさそうに苦笑を洩らし、その背中を追って歩き出した。
「……ああいうやつがS級にいるから、社会秩序ってもんが壊れてねぇのかも知れんな。確かに、なんもかんも真っ平らにして瓦礫の中心で高笑いしたところで、金も使えねぇし、見下す相手もいねぇってんじゃ、意味ねぇか」
世は無常、とばかりにルガルドが呟き、一瞬だけティアへ視線をやってから、地面に転がる二人の魔族へ視線を移した。
「そんじゃ、後はこっちでどうにかしておく。ギルゲイルの動向が判ったら共有してやるよ。手ぇ貸して欲しいときもな」
「ああ。今回はこっちが借りたから、次はこっちが貸してやるよ。切羽詰まってなくても、必要だと思ったら連絡しろ」
「律儀だな、おめぇは」
苦笑を見せてから、ルガルドは握り拳をトールに差し出すようにした。そういえばこういうことをする相手はこれまで一度もいなかったな、とトールもまた苦笑を洩らし、ルガルドの拳に自分の拳をこつんと当てておく。
「じゃあ、帰るか」
と、トールは言った。
「うんっ、そうだね。昨日買ったアイス、まだ残ってるよね?」
と、ティアが言った。
まるでちょっとした散歩の帰りみたいに。
◇◇◇
「お帰りなさいませ、トールニキ様! 聞いてくださいまし!」
玄関先で何故か仁王立ちしていた九条礼子が、玄関を開けたトールを見つけて満面の笑みを浮かべ、そんなことを言い出した。
「あー……はい。聞くけど、通してくれるっすか」
オンボロアパートの間取りは狭いので、玄関先で仁王立ちされるとリビングに入れなかった。体力的には特に疲れていないが、精神的には少々疲れがある。玄関先に金髪ドリルお嬢様が立ち塞がっていたので、なにかのゲージは減少した気がした。
「あら、これは失礼。どうぞお通りください」
おほほ、と微笑しながら脇に避けてくれる。リビングに戻ってみれば、園山親子は自分の家みたいにくつろいでおり、河合咲穂は隅っこで膝を抱えていた。
「……あー……お疲れっす。配信の操作、あざっす」
「あっ、お疲れ様です。問題なくできたと思います。マッピングに関しても、移動した分はデータがありますので、後で役所に提出しておきますね」
ぱっと顔を上げた河合は、普通の態度だった。じゃあなんでリビングの隅で膝を抱えてるんだよ、というのは少々気になったが。
「おかえり、トール。コーヒー飲む?」
シェンナの近くで寝転がっていたミカがひょいと立ち上がり、普通の調子でトールに訊いてくる。シェンナの方は戻って来たトールに軽く手を挙げて、それだけ。
いつの間にか見慣れて、それなりに馴れ馴れしいつき合いになった隣人が、いつもの調子でそこにいてくれる。
「あー、そうだな。とりあえずなんか飲むか。腹も減ったし。飯も食うか」
「じゃあ、ボクとミカでコーヒーを入れて来るね。ミカ、おいで」
「ん。いいよ」
ぽてぽてと冷蔵庫へ向かう――といってもオンボロアパートなので徒歩二秒の距離だが――ティアとミカを横目に、やれやれと嘆息しておく。
もしかすると、この光景がなくなっていたかも知れないのだ。
そしてたぶん……相馬賢吾は、失ったのだろう。こういう光景を。
トールだって全てを失ったつもりでいた。なのに、いつの間にか、気づけばこうなっているのだから不思議なものだ。もう一度失ったときのことを考えれば、それは相馬も心配になるだろう。今のトールはただの十七歳のガキではなく、神話級の『聖剣』と『妖刀』の持ち主なのだから。
「トールニキ様、トールニキ様。ご存知の通り、私は一足先にトールニキ様の家に戻りましたの。玄関の扉を開けると、河合様がシェンナ様とミカ様を庇うように立ち塞がっていたのですわ! うふふふ! 素敵でしょう?」
やたらと楽しそうに――というよりは、嬉しそうに、というべきか――九条礼子が隅っこで膝を抱えている河合に微笑みかけている。舞阪が溶けなかったのだから大丈夫だろうが、それでもちょっと溶けそうだな、と思った。
「……いえ。結果的に、間抜けを晒しただけでしたから……」
やや引きつった笑みを見せる河合だった。九条礼子に全く悪気がないのが判るからだろう。莫迦にしているとか、間抜けを嘲笑っているとかではなく、園山親子を守ろうとしていたことに敬意を示しているのだ。
「まあ、いいんじゃないっすか」
と、トールはいいかげんなことを言った。なんとなくだが、これで河合を褒めたり見直したりすると河合の方が居たたまれなくなりそうだと思った。
――自分自身を許せないし、許されたくない――。
そこについてはトール自身が他人になにかを言えた義理ではない。言えた義理じゃないことが多すぎて笑いそうになるが、やはりそれは早坂透があまり上等な人間ではないというだけの話なのだろう。
それから、シェンナが作り置きしてくれたポルペッティ――イタリアのミートボールみたいなやつに、米と味噌汁、レタスとキュウリの昼食になった。
「リサちーの分もつくっておいたんだけど、帰っちゃったか」
少し残念そうにシェンナが言う。昨晩は河合とシェンナと舞阪で園山家に泊まったので、仲良くなる会話でもあったのかも知れない。
「シェンナさん、結構、女たらしですよね」
ぽつりと河合が言って、味噌汁をすする。
ティアとミカはトマトで煮込んだ肉団子をばくばくと口に運んでいたが、食べるスピードはそれなりに早いのにティアの所作が洗練されているのと、正面に座ってゆっくり食べている九条礼子の食事作法がキレイだったので、ミカが真似してキレイに食べようとしているのが面白かった。
「ところでトールさぁ、ギルゲイルの狙いって、最初から判ってたの?」
椀を持って汁を飲むのに慣れていないのか、まだぎこちない様子で味噌汁を飲んでから、ティアが言った。
「あー、あれか。周囲に被害出して社会から弾き出してやろうっていう」
「そうそう、それ。いかにもギルゲイルらしい考えだと思ったけど」
「指向性持たせたかったんじゃねーか、って思ったんだよな」
「しこうせい?」
はて、と首を傾げるティア。何故か隣に座っているミカが真似して同じように首を傾げたのが、ちょっと面白かった。
「だから、周りに被害が出ればムカつくだろ。ブチ殺してやろうと考える。ってことは、俺とおまえは『なんか裏でこそこそやってるギルゲイルを追う』ことになる。テキトーにヒントでもばら撒いておけば、人参ぶら下げられた馬の誕生だ。少なくともしばらくの間は聖剣使いとエンカウントしなくていい」
一石二鳥どころか五も六も狙うやつ、というティアの話を真に受けるなら、狙いがひとつということもないだろう。
「シェンナとミカとサキホを囮にしてまで襲撃を誘ったのは、ちょっとトールらしくないかなって思ってたけど……そっか『いつか襲われるかも知れない』なら、さっさと襲わせた方がいいって判断だったんだね」
「たまたま近くに相馬さんとルガルドがいたからな。釣れない可能性もあったけど、釣れて初撃さえ凌げれば、おまえがいる。いざとなったら俺も『禍月』抜く」
ダンジョン配信をして隙を晒してみれば、案の定だったわけだ。
本当の間隙に急襲されるくらいなら、事情を話して我慢と覚悟をしてもらった方がマシだと思った。園山親子も河合咲穂も、納得してくれた。
こうしておけば性格の悪い魔族は、おそらくこう考える。
――次の隙は、はたして本当の『隙』なのだろうか?
こちらをハメるための罠ではないか。
ギルゲイルに本当の目的があるのだとすれば、そこまで労力をかけて聖剣使いの周囲に被害を出そうとしなくてもいいはずだ。聖剣使い側は『罠』を張るための労力を支払わねばならないのなら、放っておけばいい。罠であるか否かを確認するにも、やはり労力が必要になる以上は、何処で見切りをつけるかという話になる。
頭が良くて性格が悪いのなら、即断即決だろう。
「自分で襲撃に来なかったのは、なんでかな?」
「絶対会いたくなかったからだろ」
「……それもそうだね。あいつに会ったら、ボク、まず殺すと思うよ」
普通の表情で、普通の調子で、当然のように言いのける。
それを――トールはわざわざ否定しなかった。
この勇者がそこまで言うほどのクソ野郎であれば、法も倫理もうっちゃらかした方がよさそうだな、と思ったからだ。
「こら。ごはん中に物騒な話をしないの」
溜息交じりにシェンナがツッコんでくれる。それもそうだな、とトールは頷き、大皿に残された肉団子を箸で摘まんで口に運んでおいた。
「美味しいねぇ、トール。美味しいよ、これ。シェンナはすごいねぇ!」
魔族を殺す話をした四秒後に、とびっきりの笑顔でそんなことを言う。
さすがにシェンナは苦笑いをしたが、まあ仕方ないだろう。
「昨日買ったアイス残ってるから、後で食おうぜ」
と、トールは言った。
ミカとティアが「わーい」と喜んだのは、さすがに笑ってしまった。




